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くちばし(etu)が美しい(pirika)

夜明け前に、家を出る。あたりは薄暗く、通りには昨晩のうちに降りやんだ雨の気配がしめやかに漂う。誰もいない商店街を抜けて、駅に向かう。始発電車に乗ると、車内は閑散としている。走行音が鳴り響き、窓の外は暗闇、車両は地下を走る。奥さんと横並びに座り、揺れる車体に身を預ける。リュックから『ミメーシス』下巻を取り出した。

第11章でラブレー『パンタグリュエル物語』が取り上げられる。内容がぶっとんでいる。主人公が巨人のパンタグリュエル王の舌の上に乗って彼の口の中に入る。そこには様々な町や集落があり、通常サイズの人びとがたくさん暮らしている。例えば、「咽喉市」の人々はキリスト教徒が多く、「歯の向こう側」には強盗が多いらしい。人々は巨人の舌の上で畑を耕してキャベツを作ったり、他の町の人たちと貿易したり、ときどき、巨人の喉の奥底から吹き上げてくる「強風」に苦しめられたりしている。「強風」とはつまり巨人のげっぷで、そのガスに苦しむ人々の様子を、当時のヨーロッパで流行していた黒死病(ペスト)の被害に例えている。人間の想像力は、こんなに荒唐無稽な話も作り出せる、ということにほんの少し感動する。

電車をいくつか乗り換える。夜は明けて、曇り空。続く第12章では、モンテーニュの『エセ―』(『随想録』)が取り上げられる。

自分の叙述がどんなに変化に富んで多様なものであっても、決して道に迷ったりすることはないと彼が言うとき、また、自分はなるほどときどき矛盾したことを言うが決して真実はまげないと言うとき、彼はほんとうにまじめにそう思っているのである。こういう言葉からは、経験、なかでも特に自分に対する経験にもとづく彼の非常に現実的な人間観がうかがわれる。すなわち、人間はたえず動揺し、周囲の世界、自分の運命、自分の心の動きの変化に左右されるものであるという人間観である。

E・アウエルバッハ(著)篠田一士・川村二郎(訳)『ミメーシス 下 ヨーロッパ文学における現実描写』筑摩書房,p.054
この『エセ―』の独特な形式も、モンテーニュの方法のうちに属する。これは自伝でもなければ日記でもない。精巧な構想のもとに書かれたものでもなければ、時代を追って書かれているのでもない。偶然に従っているのである。「音楽家の幻想は芸術によって導かれる。わたしの妄想は偶然によって導かれる。」正確に言えば、彼を導いているのは、やはり物事なのである。彼は物事のあいだを動きまわり、物事にはさまれて生きていて、その中を探せば彼に突きあたる。

同上,p.59-60
彼の『エセ―』の成功によって、教養ある読者層の存在が始めて明らかになった。モンテーニュは特定の身分の人々のため、特定の専門分野の人のため、「民衆」のため、キリスト教徒のために書いたのではない。彼はいかなる党派のためにも書かない。彼は自分を詩人だとは思っていない。一素人の自己省察の本を彼ははじめて書いたのである。するとどうだろう。この本は自分のために書かれたのだと思った、男女とりまぜ多くの人々が現れたのだ。

同上,p.84

JR勝田駅に到着。ひたちなか海浜鉄道の乗り場に向かう。窓口で海浜公園の入園券とセットになった乗車券を購入。年季の入ったわずかな車両が、田畑や民家の合間を縫うように走る。窓の外は、田んぼ、田んぼ、田んぼ、一軒家、一軒家、その庭、2階建てアパート、裏手の駐車場に駐められた車、車、車、また田んぼ、田んぼ、田んぼ。遠くにファミレスの看板が一瞬姿を見せて、消える。ときどき、田んぼの真ん中に白鷺が一匹、棒のようにつっ立っている。微動だにしないので、それが案山子でないことにしばらく気が付かない。灰色の空、まだ朝の九時。

那珂湊(なかみなと)駅で下車する。海に向かって一直線に道を歩くと、30分ほどで港の魚市場に辿り着く。お目当ての回転寿司屋に向かうと、開店前の店の前で30人ほどがたむろしている。彼らはただたむろしているだけで、行列を成してはいない。私たちの後も次々と客が店の前に集まり、そのうちの何人かに、待ち行列の最後はどこですか、と聞かれる。私たちも分からないんです、と答えるしかなかった。

開店の時刻になり、店の扉が開くと、客たちがその扉一点めがけて津波のように押し寄せる。そこに秩序はない。たった今来たばかりの客も、1時間以上店の前で待ち続けたであろう客も、その瞬間において全ての人間が平等に扱われてしまう。これが噂の、本当に自由な競争社会だった。風呂上り、風呂桶に溜まるお湯の栓を抜くと最後、排水口の周りに渦ができるように、人びとが店内にずぶずぶと吸い込まれていく。その渦を必死にかき分けて、店内のカウンター席に滑り込む。肝心の寿司は、ネタがどれも巨大で、シャリの上にべろんとのしかかっている。その大きさだけが記憶に残る朝食だった。

食後に市場を見学し、鯵の開きや生ガキなどをその場で食べる人々などを眺めつつ、港を抜ける。海の上に架かる橋を渡り、その先の島にあるアクアワールド大洗水族館に行く。大変な混雑で、入館してもなかなか前に進めない。巨大な水槽の中で泳ぐサメたちが売りらしいが、夫婦二人とも一番気に入ったのはエトピリカという名前の海鳥だった。アイヌ語でくちばし(etu)が美しい(pirika)を意味する小ぶりの黒鳥は、白の飾り羽と黄色のくちばしが美しい。大仰かつ過剰に羽ばたきながら泳ぐ忙しない様が大変可愛らしい。イルカショーはスケジュールの都合で断念する。

バスで那珂湊駅まで戻る。ホームに駅猫のおさむがいたので、撫でたりして遊ぶ。餌に困っていないのか、たいそう太った大柄の黒猫で、お腹がでっぷりとしている。おさむに夢中になっているうちに電車が来ていたので、急いで飛び乗る。そうして、終点の阿字ヶ浦駅へ。そこから無料シャトルバスに乗って、本日の旅のメインであるひたちなか海浜公園に。

入園してまず自転車をレンタルし、見晴らしの丘へ。自転車から降りて、無数のコキアがちんまりと並ぶ丘を望む。紅葉にはまだ早すぎたのか、ピンク色のコキアは全体の一割程度。もこっとした丸い緑色のコキアをたくさん眺めて癒される。丘を越えると、大人の背丈ほどあるススキが群生するエリアに。明日はお月見だねと奥さんが言う。丘を降りて、古民家に行くと、庭に昔の遊具がおいてある。竹馬、竹とんぼ、独楽、けん玉。やってみるが、どれも難しい。こんな難しい遊具で昔の子どもたちはよく遊べたな、と思うが、比較的娯楽の少ない彼らが時を忘れて夢中になるちょうどよいゲームバランスなんだろう。奥さんが、何度も独楽に紐を巻きつけて地面に放つが、独楽は回転せずに倒れる。私は何度トライしても、串にけん玉がピタッとはまらない。

他のエリアでフードフェスタがやっているらしいので、自転車に乗りなおす。園内の地図や標識が分かりづらくて、何度か道を誤りながら、ようやくたどり着いた噴水前の会場には、出店がいくつも並んでいた。目玉の山形芋煮は売り切れ。からあげとかロングポテトとか、どこの祭りの屋台でも売ってそうなものばかりを買って、奥さんと公園のベンチに座って食べる。そのあとは園内の主要エリアを自転車でぐるりと周って、気が付けば入園して3時間も経っていた。

閉園時刻が迫る夕暮れ。レンタルした自転車を返し、最後に歩いてグラスハウスに行く。一面ガラス張りの建物は、ちょっとしたフードコートを備える室内休憩所で、天井が高く、四方がガラスのため、開放感がある。フードコートの営業はとっくに終了し、館内は私たち以外誰もいない。窓際のテーブル席に腰掛けると、目の前の巨大なガラス窓の向こうには池が広がり、その先には海が広がっていた。海の水平線に向かって、太陽がゆっくりと沈んでゆく。

シャトルバスで再び阿字ヶ浦駅に戻り、近くの日帰り温泉に行く。海に向かって坂道を下ると、どこからか、爆音のレゲエミュージックの音楽が聴こえてくるのだが、人気のないあたりにどこからともなく聴こえてくる陽気な音楽は、かえって寂寥感をかきたてる。

温泉に入館すると、更衣室に「当温泉は身体を芯から温めるので、帰りのレジでは汗だくになっているお客様をよくみかけます」という注意置きがあり、ん?と思うが、深く考えずに露天風呂に出る。すると、洞窟風呂なるものがあって、身をかがめないと入れない洞穴の中に入ると、なぜか仏像の鎮座する湯舟がある。とにかく、泉質より癖の強い温泉だった。

温泉を出ると、あたりはもう真っ暗で、駅に向かう坂道、歩けば10分もないのだが、あまりに闇が深いので、一寸先は闇、の帰り道をドキドキしながら駅に向かった。鉄道に乗り、今度は始点の勝田駅へ。車内は、スーパーの買い物袋を提げた男性や、地元の中年女性たちが6人ほど集まって井戸端会議をしていたりと、この鉄道が単なる観光用ではなく、地元の人々の生活の足になっている様子が感じられた。

勝田駅からは電車を乗り継ぎ、3時間ほどかけて家に戻る。車内では、疲れでうとうとしつつ、途中からプルーストの『失われたときを求めて』の続きを読む。前回から間隔が空いても、読み始めるとすぐに読者を迎えいれてくれて、読みながら不思議と懐かしい気持ちに包まれる。夏の山形旅行から読み始めて以来、旅の御供として定番になりつつある。

窓ガラスに何かが当たったような小さな音がしたかと思うと、上の窓から砂粒をばらまいたように、軽やかに何かがたっぷりと落ちてくる音が聞こえ、やがて広がり、規則正しくリズムを刻み、流れ出し、音を響かせ、音楽を奏で、無数の音となって、あたりを覆った。雨だった。

マルセル・プルースト (著), 高遠 弘美 (訳)『失われた時を求めて〈1〉第一篇「スワン家のほうへ1」 (光文社古典新訳文庫)』光文社,p.246
氏が唯一情熱を注いでいたのは娘である。娘は少年のような雰囲気で、すこぶる丈夫そうに見えたから、父親が心配のあまり余分のショールをいつも用意して、それを娘の肩にかけるのを目の当たりにすると、みんなはついつい口もとがほころぶのを抑えられなかった。祖母の指摘するところによれば、雀斑(そばかす)だらけの顔をした、ひどく荒っぽいこの娘の眼差しにはしばしば、このうえなく優しい、繊細で、ほとんど臆病といってもいい表情がちらついた。この娘は、自分が発した言葉を、すぐさま言われた相手の気持ちになって聞いてしまい、こんな言い方では誤解が生じないか気になって仕方がなくなる。そうなると、「つき合いやすい良い男」と言った感じの男性的な表情がみるみる透き通ってゆき、その下に、悲しげな若い娘のもっと繊細な表情が、明るく、くっきりと現れるのだった。

同上,p.272

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