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空腹なんで

暑気のため、のぼせ、だるくなる。ぐったりする。

オフィスの近くで朝食をとるつもりが、出社するなり同僚に声を掛けられ、そのまま打ち合わせ、あれよあれよと昼過ぎに。空腹なんで!と声を荒げて中座する。容赦ない夏の午後の陽射し。頭痛が朝から止まない。空腹のせいか、この茹だる夏の暑さのせいか。暴食したい気分に駆られ、中華料理屋で油淋鶏定食をがっつり食べる。

夕方、帰りの電車で、寛容論の本編が読み終わる。解説の頁が分厚いが、明日には読み終わるだろう。

帰路の路地裏で、電柱のそばに坐る野良猫を発見。怪訝そうな目つきで、こちらの様子を窺っている。そばに近寄ると、すかさず逃げ出す。この前の甘えたがりはなんだったのか。私を別の人間と勘違いしているのか。あるいは、私の方が気付かぬうちに別の人間になってしまったのか。

夕食後、ジムで中村寛『残響のハーレム』の続き。著者は、ハーレム地区のアフリカン・アメリカンの子どもたちが夏休みの間、彼らに勉強を教えるサマー・ユース・プログラムに参画する。この組織はやがて、参加者の間のいくつかの衝突によって、瓦解する。リーダーのアブドゥッラーによるある発言が引き金となり、コーランの解釈を巡って対立が生まれたのだ。

噂を総合するとその発言とは、預言者ムハンマドの仕事を引き継ぐ者が現在の社会にもいるはずだ、という内容のものだった。たしかに、イスラームの教義上、ムハンマドは最後の預言者とされている、だがムハンマドの仕事は過去においても完了したものではなく、現在も継続しているはずだ、そうである以上、預言者の仕事はほかの者に託されている、したがって、ムハンマドが最後の預言者とはかぎらない、そのように発言したとのことだった。

<中略>

カリッドが反論して、ムハンマドは最後の預言者なのだから、アブドゥッラーはその事実を認めるようにと迫った。ほかのメンバーが彼らの周りを囲んだ。カリッドに対して、「クルアーンのどこにそれが書かれているのか見せてください」とアブドゥッラーが礼儀正しくも反論した。周囲にいた男性や女性が一斉にアブドゥッラーに再反論した。彼らは口々に、アブドゥッラーはその種の解釈についてイマームやイスラーム研究者に相談すべきだといった。

中村寛『残響のハーレム』共和国,p.313-317

信仰は、彼らにとって自分たちの生き方そのものだった。組織の責任者たちは、宗派や解釈の対立を乗り越えようと奮闘し、失敗する。著者は、その過程を詳らかに描写する。観察者としてではなく、当事者の一人として。

「議論をするとき、クルアーンを手に持って互いの頭を殴り合うような結果にならないことがとても重要なんです。そのことについては本当に注意深くならなくては」

 その彼の言葉を、僕はクルアーンの解釈をめぐって生じる対立についての警告として理解していた。しかしいま、なぜ彼がそんなことを言ったのだろうかと改めて思いを巡らせた。きっと彼は、僕らの経験したこのような事態を幾度となく遭遇してきたのではないだろうか。

中村寛『残響のハーレム』共和国,p.339

かすかに頭痛がする。トレーニングを途中で切り上げる。帰宅してシャワーを浴び、今度はウィラ・キャザー著、須賀敦子訳の『大司教に死来る』をばらぱらと読む。

枢機卿は客たちを導いて、狭い階段を登って行った。砂利を敷いた細長いテラスとその欄干は、黄昏の空気の中で、湖のように蒼くみえた。太陽も光線も、もう消えていた。朽葉色の土地の襞(ひだ)は菫色に変わっていた。サン・ピエトロの大伽藍の円屋根のかなたから、ばら色と黄金色の波が、空にむかって息づいていた。

ウィラ・キャザー(著),須賀敦子(訳)『大司教に死来る』河出書房新社,p.21

頭痛の代わりに眠気が訪れ、健やかな気持ちで本を閉じる。SmartNewsのトップに記事が並ぶ。

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