逆さまの景色
小さい頃はよく、逆さまになって景色を眺めていたことを、ふと思い出した。
鉄棒にぶら下がったり、ブリッジしたり…。子供の頃、いつもと違う視点で見る景色は新鮮だった。夢中になって同じ体勢を続けていると、いつの間にか頭に血が上ってクラっとしてくる。だけどその、ぼんやりした感じも面白かった。
大学生になった私は、逆さまになることなんて滅多にない。逆さまになっている人を見かけることもない。起きているときは前を向き、眠っているときは上を向く。たまに下を向くことはあるけれど、逆さまになることなんてまずない。
「それでいいじゃないか」と思う。逆さまにならなくて困ることはない。むしろ、逆さまになっていた方が、変な目で見られるだろう。
どうしてこんなことを言っているかというと、さっき100年ぶりくらいに逆さまの世界を見たのだ。ベッドからだらんと頭をたらして、目を開けるといつもの景色が逆さまになって見えた。
私にとっての上が、自分以外にとっては下になっている。その感覚が懐かしくて、ある歌を思い出した。
♪~
雨あがり、さかあがり、ぬれたてつぼう
昼さがり、ぶらさがり、さかさまの空
「空の下 地面の上」という曲だ。小学生のときに学校で習った合唱曲で、リズムのよさが気に入っていた。この曲を口ずさむと、毎日のように外を駆け回り、鉄棒に飛び付いていた自分を思い浮かべてしまう。
私は、いつの間にか外を駆け回らなくなり、鉄棒の前を素通りし、逆さまの世界ともお別れをしていた。気づかないうちに失っているものって、思ったよりもたくさんあって、それと同じくらい新しいものを手に入れているか、ちょっと心配になる。
だけど、ずっと変わらないのは「空の下 地面の上」にいるということ。もし万が一、宇宙旅行をする機会があったら、それすらも変わってしまうけど。
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