見出し画像

精気を吸われている感じがする件~後編

前編で、X氏と元知り合いに精気を吸われているような気がする的なことを書いた。

一緒にいると疲れたり体調不良を起こす人のことをスピリチュアル界隈で「エナジーバンパイア」というらしい。

後編は、両者の共通しているなと思った点を書いてみたいと思う。


前回からのつづきのため、前編を読んでいただいた方が分かりやすいかと思われます。




X氏と元知り合いの両者に、共通しているなと感じた点はいくつかある。


一つ目は、自分の話ばかりで人の話をあまり聞かないうえに、人の気持ちに疎い傾向があり共感も少ない点。

両者は、とにかく自分の話ばかりをしてくる。元知り合いは一度喋りだしたらなかなか止まらないマシンガントークなうえ会話泥棒タイプで、X氏は自分アピールに余念がないタイプだ。どちらにしても自分の話しかしない。

また両者とも、人の話を聞いているようにみえても「今の話聞いてくれてた?」と思ってしまうくらいのトンチンカン返答が多いため、両者の返答から共感を得られたという実感は皆無に近いし、トンチンカン回答は何を言っているのか理解に苦しむため疲れる。「何でこちらがトンチンカン回答を理解(相手が何を言っているのか理解)するためにいろいろ質問しなきゃならんのだ?」とドッと疲れるのだ。

このトンチンカン回答は、両者から一般的な意見とのズレを感じる点でもある。何だかちょっと人と違うのだ。「あの人ちょっと変わってるよね~」と言われる類の人だと思う。

そして、両者とも基本的に他人にあまり興味がないらしく、問いかけるということは ほぼしない。自分に関係することで、自身が何か疑問があったり悩んでいることがあれば問いかけるが、その問いかけは全て「自分」へと繋がるものなのだ。

他人に興味を持って、相手を知りたいという気持ちから質問をするということがあまりない両者。なので、この人たちとの会話は基本的にほとんどが「私の話」ばかりになるのだ。

さらに、他人に興味がないので、人を褒めたり肯定することも少ないという特徴がある。(両者とも承認欲求が強いので、自分のことは褒めて認めてほしい様子だが。)




二つ目は、他責思考である点。

X氏の、被害者意識が強いという特徴に自意識過剰が相まって、人はいつも自分に注目していると勘違いして人の視線や評価を気にしまくり、何かあったら常に誰かのせいしがちだ。何が何でも悪者になりたくない、悪者扱いされたくない、たとえ自分が悪くても認めたくないといった様子で、必ず相手を悪者にして自分を正当化する発言がとても多い。

ごまかしようのないミス(原因はどう考えてもX氏だというミス)を犯したときは、一旦は自分の非を認めるような発言をするが後に必ず「でも〇〇さんがぁ~」と、自分だけじゃなくて人も悪いのだと主張するのが常。

自己評価が低いような発言が目立つ割には、自分を省みるということをせず、他人に責任転嫁することが多いのがX氏の特徴だ。


元知り合いも、とても他責思考「自分は悪くない」というのが大前提にある思考回路だった。この思考はX氏よりも強い傾向にあると思う。この人は本当に「お見事!」と言いたくなるくらい、何でもかんでも人のせいにしていた。自分は絶対に悪くなく、何か困りごとが起こったり仕事でミスが起こると、全て人に責任があると思っているようなのだ。実際にそう口にするのだから、本当にそう思っていたのだろう。

元知り合いが1人で行っている仕事でミスがあっても、自分のミスだとは認めない。例えば、入力ミスがあった時「〇〇さんの書き方が悪い」「字が汚すぎて読めないんだからそりゃ入力だって間違う。〇〇さんが読める字を書いてくれていないからミスが起こる」と当たり前のように、本当に人が悪いと言うのだ。

もちろん「だから私は悪くない」というオーラを放ちながら。

読めないなら勝手に判断せず聞けという話だ。確認せずに勝手に判断して入力してミスしたなら、どう考えても入力した人のミスだろうと思うが、元知り合いは書き手のミスだと主張するタイプだった。

このように、何かがあったら絶対に誰かのせいにするのはX氏と同じなのだが、X氏と違うのは自己評価が高い方という点だ。元知り合いは、(何においても自信満々というわけではなさそうだったが)念頭に「いざとなれば私はできる」という、その自信はどこから来るの?と思うような根拠のない自信満々な発言が目立った。


そんな他責思考の両者は、自分が原因であっても「私は悪くない思考」のため、人を責めたり人のせいにすることが多いうえに、「え?こっちが悪いの?」と人に罪悪感を抱かせるような物言いも上手だ。

そんなことを言われ続ける方は、当然ながら疲弊していくだろう。




三つ目は、いつもちょっと上から目線な点。

分かりやすく人を見下す態度や発言をすることもあれば、分かりやすく出さないけれど、よく見たり考えたりすると「バカにされているな」と感じさせる態度や発言が目立つ両者。

そして、常に他人と自分を比べている発言が多いのも厄介だなと思うところだ。ただ比べているだけならまだしも、両者は「比べて人を落とす発言をする」というのがとにかく厄介。

劣等感が強いからかな?と思うのだが、いつも他人と自分を比べて自分の方が優っている発言を聞かされていると、さすがに疲れる。この手の発言は、他人の悪口を聞かされているのと同じ感覚になるから、余計にドッとくるのだろうなと思う。


X氏は、その劣等感の強さから「バカにされたくない」という意識が強いように感じていて、バカにされないためなのか何なのか、デジタルに弱い人を見下しバカにする発言がとても多い。

アナログな昭和体質の会社に対して「zoomを使え」だの「社内Lineを使わないのは面倒」だの「前の会社は〇〇(クラウド共有サービス名を言っていたがもう忘れた)を使っていてちゃんと管理されていた」だのと、とにかくうるさい。

私はこんなに最近のシステムや流行についていっている!凄いでしょ!アピールに余念がないようなのだ。ないものねだりもほどほどにしてほしいし、アピールも聞きたくない。適当に聞き流すにしても とてもしつこいので疲れる。


元知り合いは、前述したように自己評価が高いタイプ。「根拠はないけれど、私はいざとなったら何でもできる」という自己評価が高かったように感じていた。

自己評価が高い=自尊心が強いとも捉えられる。自尊心と劣等感は真逆といってもいいものではないかと思うのだが、どういうわけか元知り合いは自尊心も劣等感も強い変わったタイプだったように思う。(私の周りにこの手のタイプが元知り合い以外にいなかっただけで、世の中にはたくさんいるのかもしれないが。)

元知り合いが、劣等感の強いタイプだと思ったきっかけがある。
よく一緒に旅行に行っていた頃、あるテーマパークで季節によってバージョンが変わるグッズを行くたびに購入していて、過去に購入した季節限定グッズを必ず身につける元知り合いの行動にふと疑問を持った時のことだ。

私も同じように、行くたびにその手のグッズを購入していたのだが、私の場合は購入してその場で身につけるのが目的なのと、コレクションしたいという収集癖から購入していただけで、過去の季節限定グッズを身につけたいという気持ちはゼロだった。そのため元知り合いの「過去グッズを身につける」という行動が不思議だったのだ。

そこで元知り合いに、どうして最新の季節限定グッズは身につけないのに、過去の季節限定グッズを身につけるのか?と聞いてみたら「優越感に浸りたいから」という返答だった。

優越感?それで優越感に浸れるのか?とすぐには分からず、どういうことかさらに聞いてみると「その季節にしか買えないものだから。今のはここにきている人なら誰でも買える。」という返答だった。

なるほど。
そのテーマパークの季節限定グッズは、翌年に同じものを販売することはない。その年のその季節にしか買えないものであるうえに、通販で買うこともできず欲しいなら現地に行かないと手に入らないものなのだ。(ここでは、お土産という概念は無視。)それを持っているということは、現地に行ったということ。そこで買ったということ。

「自分はこんなに頻繁に、人気のあるこのテーマパークに来て季節限定グッズを買えているのです。凄いでしょ。」「今はもう手に入らないグッズなんですよ。充実しているのです、私。」「羨ましいでしょ。」というアピールを、過去グッズを身につけることで周囲に知らしめているということらしかった。「人から羨ましがられる」それが元知り合いの優越感に繋がっていた様子。

はっきり言って理解できない感覚だった。もうまず優越感に浸りたいというのが理解できない。しかし劣等感の強い元知り合いは、こうやってアピールして優越感に浸り他人よりも自分の方が優れている、良い生活をしている、好きなことに打ち込めていると自分自身で確認しないと自分を保てなかったのかもしれない。その裏側には、他人より劣っているという思いがあったのかもしれない。

そして先に自尊心が強いと書いたが、もしかしたら周囲の人たちは自分よりも優っていると無意識に思っていて、自尊心を傷つけたくないから「いざとなったら私はできる」と思うことで、自尊心を傷つけないようにしていたのかもしれないと今書きながら思ったりした。


結局のところ、元知り合いもX氏と同じように「人にバカにされたくない」根底にあり、自身が傷つかないための防衛手段なのかもしれないが、いつも上から目線な態度と発言をされるのはさすがに気分が悪い。

両者とも「〇〇してあげた」「〇〇してあげる」という、上から目線で恩着せがましい言い方が本当に多くて、いつも「頼んでない」と言いたくなるのをグッと堪えていた。




三つ目が長くなってしまったが、最後の共通していると思った点にいこう。
四つ目は、否定から入るという点だ。

消極的な性格で、否定から入る人というのは多いと思うが、X氏も元知り合いもそこまで消極的だとは感じない。口ばかりでなかなか行動に移さないところはあるが、消極的というほどでもないのかなと思っている。

両者の場合は、相手の意見を否定することで自分が優位になろうとしている、マウントを取りたい雰囲気を感じるため気分が悪いのだ。ただでさえ、意見や話を否定され続けるだけでも喋る気がなくなってくるのに、ちょっと上から目線で見下されたような言い方で否定されまくると、さすがにイラついてしんどい。両者はそれがあるから厄介なのだ。

さらに個人的に「めんどくせぇ!」と叫びたくなるのが、両者ともアレコレと質問(自分が迷っていることなどの相談みたいな質問)をしてくるわりに、人の返答を真っ向から全否定することがとても面倒な点だ。

例えば、これはX氏によくやられることなのだが「オススメのランチのお店はあるか?」とお店情報を聞かれ、料理のジャンルは何でもいいと言うため美味しかったと思う店を挙げていくのだが「〇〇が美味しかったよ」と言っても「場所が~…」と却下。次のお店も「中華はちょっと…」と却下。その次のお店も「え~おしゃれ~でもな~和食はちょっと~…」と却下。

こちらが挙げる店は片っ端から全て却下される。

そして最終的に、自分が見つけていた店を「ここ良くないですか~?知ってる~?」と見せてきて、私が知らなければそこにに行くといった様子なのだ。はいはい、凄いね~マウントね~と思うことだ。

面倒くさすぎるので最近はこの手の質問をされても適当にかわし、できる限り答えないようにしている。


元知り合いも全否定という点では、似たようなところがある。
両者とも、人に質問した時点である程度の答えが自分の中で出ている雰囲気を感じている。自分の中にある、ある程度の答えと同じ答えが他人から出てくれば、否定しないのだ。

ただし、別の答えだと100%と言っていいくらいの確率で否定する。そして他人から自分の望む答えが出てこなかったら、他人が提示した答えは全て無視して、自分の中で出ていた ある程度の答えを実行に移すといった両者なのだ。

質問された側は、何を言っても片っ端から否定されて気分が悪くなるだけでなく、自分の中で決まっているなら聞くな!と思うこともあるだろう。

何のために質問しているのかサッパリ分からないし、時間の無駄でしかない。

自分が出した答えを実行するための後押しをしてほしいわけでもなく、自分が出した答えと同じ答えを他人から引き出させようとするわけでもない。とにかく面倒くさいのと、全て真っ向から否定されるので気分も悪く疲弊する。まして、自分の中で答えが出ているのに無意味な質問を投げてきて時間を取られるので本当に無駄でイラつくのだ。

両者とも「ただ聞いているだけ」なのかもしれないが、だったら否定ばかりするな!と思うのだが、基本的に人に共感できない人たちだ。否定が多くなるのも仕方がないのかもしれない。




この記事を書いている今、とても疲れてきた。座位を保つのもしんどくなってきていて、椅子のひじ掛けにもたれかかるようにしか座ることができていない。体が斜めになっているため腰が非常に痛い。午前中は元気だったのだが、どうしたのだろうか。

今はX氏が近くにいるわけでもないのに、おかしい。

とにもかくにも、接していると疲れる人、面倒だなと感じる人がエナジーバンパイアと表されている印象を受けた。

疲れる人も面倒な人も世の中にはたくさんいると思うが、その中でも自分が体調不良を起こすくらいの負の影響を受ける人が、エナジーバンパイアということなのかもしれない。


理由は分からないが、あまりにも体がだるくなってきたのでこの辺で終わろうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?