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足りなかったのはカラダへの信頼

この本を読んで、わたしの中に生まれつつあった考えが輪郭を帯びてきたので忘れないうちに書いておく。


わたしはいつでもこのままじゃダメだと思って生きてきた。もっと元気になって、体力つけて、疲れにくくて若々しくて溌剌としたエネルギーが溢れでるカラダにならないといけないと思ってきた。

ここではないどこかに完璧なわたしのカラダがあって、わたしはそれを目指さなくてはいけない。それに辿り着いていない今は不完全なカラダでかたち造られた未完成で恥ずかしいわたしだという認識で生きてきた。

すぐお腹を壊す自分。ときどき軽い喘息がでる自分。すぐに疲れて寝込む自分。天候や季節、生理周期に面白いほど左右される。そんな自分のカラダを弱くて恥ずかしくて情けないと思ってきた。

それはずっと「ここではないどこか」へ行ったら幸せになれると信じていたあの頃と同じような思想だ。

「ここではないどこか」なんて存在しない。今ここがわたしがいるべき場所であり、その時々に必死に選択を重ねたすえの終着点であり、ベストアンサーであるのと同じように、「ここではないどこかにある完璧なカラダ」なんてなくて、今のお腹が弱くて、まだ喘息がときどき出て、疲れやすくて天候や季節、生理周期に左右されるこのカラダが、これまでの過酷な人生をサバイブするために最善を尽くしてわたしを守ってきてくれたカラダからのベストアンサーなのだ。

誰がそれを責められるというのか。感謝してもしきれない。わたしのために懸命に生き抜いてくれたカラダを責めたり恥じたりするなんて決して許されることではない。すべての症状はわたしを守るために必要だから起きているのだ。


たしかにわたしに欠けているのはカラダの堅牢さであることは認める。心と精神に比べて、カラダの脆弱さがアンバランスになっている。

だから楽しくできる範囲でカラダを強くしていくことはもちろん必要だ。

でもそこにネガティブなジャッジはいらない。

いまのカラダの状態を恥じることはカラダに失礼だ。

わたしのこのカラダは今すでに完璧で、すぐお腹壊して喘息がでて疲れやすい、天候や季節、生理周期に左右される、がんばりすぎている時にはぎっくり腰を起こして強制的に休ませてくれる、これが今のわたしにとってベストなカラダであり、このままですでに完璧なんだ。

わたしに足りないのはカラダへの信頼だった。
わたしはもっとカラダを信じて、カラダとの繋がりを太くしていきたい。いま自由に動けるこのカラダに感謝とリスペクトをもって、二人三脚でこの人生を謳歌していこう。

うれしくて涙がでるよ