オステオパシーが病気ではなく、人間を観ている理由
1864年10月、スティル医師にとって喜ばしい帰宅ではなかった。彼は南北戦争の軍医を務め終え、生きて帰宅することができた。
これからは愛する妻と3人の子供たち、家族でごく普通の暮らしが始まるはずだった。
しかし帰宅後の家は静かだった。彼の子供は亡くなっていたのだ。それも3人とも。
それは1864年2月冬、子供は当時流行の感染症にかかり重症化し脊髄に炎症を起こす髄膜炎になっていた。医者による最善の治療を行ったのにもかかわらず小さな3つの命が消えたのだ。
身体はまったく理不尽である。最善の治療をしても、最先端の医学をもってしても病気が進行してしまうことがある。
同じ食事をとっていたのにもかかわらず、自分だけお腹を壊すことがある。
私の母は、ただ仕事をして、家庭を築き、子供を育てていただけなのに40年生きることができなかった。
病気になった際の治りやすさ、また病気になりにくさ、は何によって左右されているのだろうか?
子供を亡くして打ちのめされたスティル医師だが医者としての情熱を持ってこの難題に答えを見出そうとしていた。そして彼はこう考えたのである。
生命は環境ストレスに応じることができる「内なる力」のようなものがあるのではないか?
この「内なる力」を中医学では「気」、インドでは「プラーナ」と表現されることもある。
アジアの伝統的な考えでは人間を自然の産物とし、病気は一種の自然現象と捉えている。
海流や気圧の乱れが気象を変化させていることと同じで、「内なる力」と環境ストレスの力学関係が乱れたとき人間内部の自然現象を変化させている。
それが症状となって自覚できるようになり、医学によって観察可能な状態になれば病気という診断名がつくのだ。
このように「内なる力」が乱れれば体は侵されやすくなるのだが、「内なる力」を高めることに成功できれば病気の治りがよくなり、また病気にかかりにくくなる。
つまり良い治療は「内なる力」のマネージメントをすることだ。スティル医師はこのように考えた。
一方、西洋医療にとって良い治療はコンセプトが異なり「外なる力」で病気を制圧する。
体外からの介入によって病原体を攻撃したり、症状をコントロールしたりするからだ。
つまり西洋医療は「病気」のマネージメントをし、スティル医師の考える医療は「人間」のマネージメントをする、という違いがある。
なお、このポリシーの違いは後にスティル医師と全米医師会との衝突につながる。
西洋医学の医療→「病気」のマネージメント
スティル医師の考える医療→「人間」のマネージメント
それから150年経った今でも、“良い治療は「内なる力」のマネージメント”というコンセプトはオステオパシーの基本的な考え方である。
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