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らくご・パラレルワールド 無筆日記第五筆

手元に現物がないので確認のしようないが、昔図書館で借りたある落語のCDの裏面だか、解説書の最後の方に、こんな一文が入っていたような気がする。

このCDに収められている物語は現実世界のものではありません

出典不明、どなたかご存知であれば教えて下さい。

落語を聞き始めたばかりの頃で、志ん朝だったか小三治だったかはっきり覚えていないが(多分ソニーのCDだったか、確信は全く無い)、そんな風に書いてあったのを覚えている。

その時はただこういう書き方もあるんだなぁ、と感心したのだが、よく考えると、いろいろと今の時代には、公には発しにくい言葉が出てくる落語のCDで、こう断言されると、いやいや落語の世界は、いまわたしたちが生活している時間軸と並行して存在している、SFの世界で言えば「パラレルワールド」*のようなものだと思わせてしまう一文ではある。

今聴いていただく噺の中に、差別的な言葉や表現、状況があったとしても、あくまで噺の中の出来ことで、今あなたがいる世界のことでは全くありませんので、心配なさらずに。

これがたとえば、以下のような文庫本の末尾にある、このような「お断り」の文章だったら、おのずから落語の噺に対する感じ方も違ってくるだろう。

収録作品の中に、現在の目から見ると穏当を欠く表現が見られるものがあるが、執筆当時の時代を反映した著作独自の世界を構築しているものとの観点から、原文のままとした。

「創元推理文庫」のお断り

これだと、『穏当を欠く表現が「過去」に存在して「現在」でもその影響を受けている「人」「物事」がありますが、この物語はそれとは全く関係ありません」という表現になり、落語が、過去の存在したであろう出来事や習俗をもとにした物語であり、その中のいわゆる差別的、あるいは今日的なコンプライアンスには反する表現もあるかもしれないが、許してね。となる。

どちらがいいか?

「現実世界のものではありません」と断言して「落語はパラレルワールド」と言い切ってしまう(勝手なこちらの想像ですが)潔さ、そのパラレルワールドでどんな発言をしようと、あくまでフィクションであり、他には全く影響がありませんよ、と宣誓してしまうかっこよさが、調子のいい啖呵を聴いているようで、まさに江戸落語!という感じ。

というか、落語のその住人たちが、今この私たちが生活している時間軸、世界とは、並行に存在している世界に、ワチャワチャと暮らしているとふと想像してみると、それこそ何だかワクワク面白楽しく感じるのは、私だけだろうか。

*パラレルワールド・・・ある世界(時空)から分岐し、それに並行して存在する別の世界(時空)を指す。並行世界、並行宇宙、並行時空とも言われている。  

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