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人目を気にする僕は、誰も救うことはできない

おはようございます。kohです。

今日は嫌われることを恐れる自分について考えたいと思います。


僕は常に

人からこういう風に思われたら嫌だな

を考えています。


仕事で何か発言しようと思ったら

・変なこと言ってると思われたら嫌だな

・的外れかな?

・こんなことも知らないと思われるのが怖い

瞬間的にこのように考える癖がついています。


その結果、思っていることを発言出来なかったり、本当は人の意見とは違うことを思ってるのに黙ったりということが多くあります。


これで不満もなく、幸せに生きれるのであれば何も問題ないと思いますが、このようにnoteで書いてるよう悩んでおります。

漠然とした悩みでもあります。


人からどう思われるかを気にして生きることが悪い事なのか?

嫌われないよう自分の意見を言わないことは悪い事なのか?

自分自身を守る以上、仕方ないことではないのか?


こんな葛藤をしています。

いろんな本やインターネットで情報を入れていくと

周りの人はあなたのことは見てないよ

自分の人生なんだから、人の目を気にしないで自由に生きなよ!

もっと自分の意見言うべきだよ!

有難いお言葉で勇気づけられることが多いです。


僕は今、1人でnoteを書いており、勇気づけられるメッセージを読むときも基本的には1人

いざ、人があふれる社会に立った時、スイッチが切り替わってしまいます

(人目を気にしないと誓ったはずなのに。。。)

(誰も自分のことなんか見てない、というモードにさっきまでなってたはずなのに)

1人の時の自分と、人にまみれた社会に溶け込んだ自分は人格が変わります。


人格が変わるのは、この社会で生きていくためだと思います。

しかし、なぜこんなに悩んでるんだろう?


自分が出せない、社会に溶け込みすぎることで起きてる実害ってなんだろう?

社会に溶け込みすぎることで、とっている自分の行動や状態を良い悪い関係なく整理してみます。

・自分の意見を言わない→他人の意見が尊重できる

・反論しない→他人の意見が尊重できる

・挨拶は欠かさない→愛想が良い

・ニコニコしながら話す→愛想が良い

・誘われたら断れない→ノリが良い

・ご機嫌を取ろうとする→サービス精神旺盛

ネガティブにとらえていた行動が、実は僕の持ち味でもありました。


しかし、これからも意見を一切言い続けないのは違うと思います。


会議などで話が進まない時があります。

こういう時も、自分はなかなか意見を発しません。

今気づいたのですが、進められる可能性が自分にあると知りながら、手を出さないことに自分自身腹が立っているのだと思います。


目のまえに心肺停止で倒れている人がいるのに

(こいつ、かっこつけて心臓マッサージしてるよ)

こんな風に思われたくないから行動しないでしょうか?(極端すぎるか!)


・誰かの課題を解決したい

・誰かに役立つサービスがしたい

・困ってる人を助けたい

目の前に救いたい人がいるのに、自分自身を守るために行動を起こさないことに対し僕は悩んでいることに気づきました。


自分の意見は世界を救います。

もしかしたら、自分の一手が誰かに対する心臓マッサージ級の救いになるかもしれません。(ちょっと何言ってるか分からない)


そう信じて、僕は口や手を出し続けたいと思います。

今日も読んでくれてありがとう!!



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