見出し画像

俺と先輩

「何で…何であたしじゃダメだったんだよ…」

涙を浮かべる先輩を前に、俺はただグラスに口をつける事しかできなかった。


先輩との出会いは10年前。13歳の時だ。
俺は厳つい先輩の半ば強引な勧誘でラグビー部に入らされ、きつい練習をひいひい言いながらこなしていた。そんな部活中の俺の唯一の楽しみ、それが陸上部で走る先輩を見る事だった。一目惚れとはあれの事を言うのだろう。体験入部時にあの人を初めて目にした瞬間から俺の脳みそはあの人に乗っ取られた。寝ても覚めても、俺は話した事もない先輩の事ばかり考えていた。
(どうやったら話せるかな…LINE欲しいなぁ…)
普通であれば俺と先輩の会話は妄想の中だけに収まり、現実では何も起こる事もなく卒業シーズンを迎え、あの人は俺の思い出の1ページにいるだけの人形になるはずだった。
だがこの時運命は少しだけ、ほんの少しだけ俺に味方した。

部活を始めて1ヶ月程経った頃、俺は未だ慣れずに毎日筋肉痛になる体を引きずりながらいつもの通学路を歩いていた。すると、なんと憧れの先輩が少し前を歩いているではないか!
(ええええ?!マジ?!話しかけたいな…でもお互いの名前も知らないしな…話しかける口実もないし…どうしよう…)
俺の人生で一番挙動不振だったのは間違いなくあの瞬間だったと俺は確信している。そんなこんなであたふたしながら歩いていると、幸運の女神はめったに向ける事のない微笑みを俺に向けてくれた。

ポトッ

何かが先輩のカバンから落ちた。先輩はイヤホンをしていてそれに気づく様子もない。
(チャーーーンス!!!!)
この際何が落ちたのかなど関係ない。話しかける口実ができたのだ。俺はノータイムでその物体に駆け寄り拾い上げると、無駄にデカい声で先輩に話しかけた。

「あ、あの!!!!」

「ん?」

クソデカい声がイヤホンを貫通したのか、先輩がイヤホンを外して振り向く。

「何?」

「こ、これ!落としましたよ!」

「あ、あたしの財布!!」

それはクールな先輩の見た目とは裏腹に、とてもかわいいピンクの小さな財布だった。

「ありがと!んじゃね!」

「う、ウス!」

そう言うと先輩は財布を受け取りまたイヤホンをはめて歩き始めてしまった。
(こんなん話したうちに入んないよ…)
せっかく手にしたチャンスを不意にした俺は肩を落としながら先輩の後ろをとぼとぼと歩いていた。それからしばらく、話せなかったショックを抱えながら先輩の後ろ姿に見惚れているとまた先輩が振り向いて俺に言った。

「ねえ、なんでずっと着いてくんの?」

「な、なんでって俺も家こっちだからっすけど…」

「あ、そうなの!?ごめんあまりにも着いて来るからストーカーかなんかかと思っちゃったw」

憧れの人と話せなかっただけじゃなくストーカーとまで思われるとは。今日は人生最悪の日だ。

「んな訳ないじゃないっすか!!流石に怒りますよ!!」

「ごめんてw んじゃさっき財布拾ってもらったお礼と今のお詫びにジュース奢ってやるよ」

「え、いいんすか!?やったぁ!!」

つくづく単純な男である。ついさっきまで人生最悪の日だったのに数秒で人生最高の日に早変わりだ。

ピッ ガコンッ

「あざっす!」

「いいよジュースぐらいw それより君名前は?」

「あ、自分筒子 丸って言います!」

「へんな名前だなー、覚えらんねえからピンちゃんで」

「ちょっとー!名前ぐらい覚えて下さいよー!」

「やだ、お前は今日からピンちゃんだ!」

「もー!!」

こうして俺はずっと憧れていた先輩と時々一緒に帰るくらいの仲になる事に成功したのである。しかし先輩は3年、俺はまだ1年坊主である。そんな楽しい時間も1年弱で終わってしまう。俺はそれが嫌で嫌で仕方がなかった。時は残酷だ。楽しければ楽しい程、あっという間に過ぎ去ってしまう。先輩は部活を引退しグラウンドで見かける事もなくなり、気づくともう受験シーズンがやって来てしまった。
久しぶり(と言っても1週間も経っていないのだが)に先輩と帰っている時、俺は先輩に聞いた。

「先輩、高校どこ受けるんすか?」

「あたしはね、〇〇高!この辺で受かりそうなのあそこと底辺の△△高ぐらいだからねw」

その言葉を聞いた時、俺の志望校は決まった。
絶対に〇〇高に入るぞ俺は。

「へー、そうなんすね。行けそうっすか?w」

「ナメんなよ、ちゃんとA判定だし」

「すげー!!流石っす!」

「ふふーん、やる時はやる女だからなあたしは」

そんな他愛もない会話をしながら、寒空の下を先輩と歩いて帰った。何度あのポケットに突っ込まれた手を握りたいと思った事か。先輩と帰る事のできる時間は刻一刻と終わりに近づいている。
思いを伝えたい。でもこの時間が終わるのは嫌だ。矛盾する2つの思いを抱えた俺は、結局後者を最後まで優先した。

先輩は宣言通り、問題なく〇〇高に合格した。
流石は俺の見込んだ女である。

「な?!受かるって言っただろ!?」

「かっけー!!先輩かっけー!!」

「はい、んじゃ約束通りサイゼ奢ってねー」

「そんなんいくらでも奢りますよ!おめでとうございます!!」

「へへ、ありがと」

あの時2人で食べたサイゼの味を俺は一生忘れないだろう。激マズドリンクバーカクテルを飲まされて人生初のゲロを吐いた部分も含めて。


そうこうしているともう卒業シーズンである。先輩との楽しい思い出ももう間も無く終わりを告げる。どれだけ終わって欲しくないと願おうと、先輩は高校に進むし俺は中学に残る。それだけは変えようのない未来なのだ。
(告白……しようかな…)
卒業してしまえば、仮に俺が〇〇高に受かったとしてそれまで2年は別々の学校に通う事になる。会う事も少なくなるか最悪の場合なくなるだろう。
迷いに迷った俺は友達に相談した。

「先輩にさ、告白しといた方がいいかな…?」

「絶対行っとけ」

「行かなきゃあん時行っときゃよかったって絶対後悔すんぞ?」

「行け」

「死んでも行け!!」

そりゃそうだ。自分でもわかっていた。やらぬ後悔よりやる後悔。俺は思いを決め、卒業式の後に先輩を呼び出した。

「先輩卒業おめでとっす!」

「おーありがとありがと。でもお前なんか様子おかしくない?」

「ん、ん、んな事ないっすよ」

「いや、絶対おかしい。目泳いでんもん。」

昔から感情を隠す事のできない俺は明らかに動揺しているのを簡単に見抜かれてしまった。

「どうした?なんかあんのか?」

「そ、そっすね。ちょっと先輩に言いたい事あるんすけどいいっすか?」

「おう、いいぞ!」

「お、俺初めて先輩と会った時からずっと先輩の事が好きでした。付き合って下さい!!!」

………………

気まずい沈黙。どっちだ?これどっちだ?!
顔を上げて先輩を見ると、先輩は今までに見たことがないような、照れた可愛い表情をしていた。

「………まず、こんなあたしの事好きになってくれてありがと。嬉しいよ。」

「お前と過ごす時間はすごく楽しかったし、卒業して会える時間が少なくなるのも寂しい。」

「あの通学路、思い出でいっぱいだよな。色々話したし馬鹿も死ぬほどやった。」

「あたしもできればずっとお前と馬鹿やってたい。お前の事は普通に大好きだよ。弟のように思ってる。でもそういう好きとはちょっと違うかな。」

「だからごめん、筒子とは付き合えないや。」

フラれた。フラれてしまった。

「……わかりました。でも、でも俺!先輩の事はずっと大好きっす!!卒業してからも絶対遊んで下さい!!!」

俺は堪え切れずに溢れてしまった涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら先輩に言った。

「当たり前だろうがw あたしもお前がいなくなったら寂しいよ」

そうして俺の初恋は一旦終わり、先輩は卒業して行った。


先輩のいない中学はまるで肉抜きのチーズバーガーのようだった。部活というチーズはあっても一番楽しみにしていた肉、先輩はいないのだ。
先輩の事が忘れられず、俺は新たに恋をする事もなくひたすら部活に明け暮れ、〇〇高には天地がひっくり返ろうとも受かるくらいの学力をキープする事だけを考えながら中学生活を過ごした。

そして、事件は起こった。
中3の夏休み。午前中の部活を終わらせ、午後暇になった俺は先輩と遊ぼうと近所にある先輩の家に押しかけた。

「せんぱーい!!暇ならどっか行きましょー!」

ガララッ
2階の窓が開く。

「お前うっせーな、普通インターホン押すか電話かけるだろ!」

「だってめんどくさいんすもんw」

「お前さぁ…まあいいよ、ちょい待ってろ」

「はーい!」

5分後。部屋着のまま先輩が出てくる。

「おまたせ!いっつも言ってっけどお前来るなら先に言えよ馬鹿」ボカッ

「いてっ!殴る事ないじゃないすかー」

「いーの。で、どうする?いつも通りイオンでいいか?」

「ウス!」

この時俺はまだ知らなかった。あの後あんな事を聞く事になるとは…

イオンのフードコートに着くといつも通り先輩ミスドのポンデリング、俺はバーキンのチーズバーガーを頼んで席に着いた。

「あ、そういやお前に報告があんだった」

「え、なんすかなんすかぁ?彼氏でもできたんすかぁ??」

「そう、当たり!」

「えっ……?」

ふざけて言ったのに当たってしまった。1番聞きたくなかった言葉が先輩の口から発せられた事実を俺はまだ受け入れられずにいた。

「どうした鳩が豆鉄砲食らったみてえな顔してw
そんなにあたしに彼氏できる訳ないと思ってたんかコノヤロー」

俺はやっと我に帰ると自分の感情を押し殺す作業に入った。

「いやー、先輩に構ってくれる男なんて俺ぐらいかなーとか思ってたんでw」

くそっ。

「あたしもやりゃあできんだよw」

やめてくれ。

「おめでとうございます!」

聞きたくない。

「おう、あんがちょ」

味のしなくなったチーズバーガーにかぶりつきながら、俺は必死に涙を堪えた。
(なんで…なんで………)
付き合ってはくれなくても、先輩は俺だけの先輩だと思っていた。違う学校に通ってはいても、男友達が何人か居ても、先輩と一番仲がいいのは絶対に俺だと信じて疑わなかった。でも、現実は違った。先輩には俺以上の人がいた。その事実が何よりも悔しかった。そこからの会話はほとんど覚えていない。先輩に心を見抜かれないようにするので精一杯だったからだ。感情を隠すのが下手な俺なりに、全力で哀しみを隠した。悔しさを隠した。寂しさを隠した。本当にバレなかったのかどうかはわからない。でも仮に先輩が気づいていたとして、あの人は何も言わないだろう。あの人は優しいから。

そうして俺ができ得る最高の作り笑顔で先輩と別れると、俺は堰を切ったように泣いた。街中だったが、もうこれ以上抑え切れなかった。

「なんでッ…!!なんで俺じゃ……ダメなんだよ!!くそっ!!」ガンッ

ヤケクソになり近くの電柱を殴る。もちろん電柱なんて折れる訳もなくただ拳を痛めただけだった。

「先輩……」

受け入れたくない現実だったが、今はただ受け入れる他なかった。


それからしばらく、俺から先輩を遊びに誘う事はなくなった。彼氏がいようがいなかろうが、先輩の事は大好きだ。でもあの人がこれから俺以外の男と遊んだり、手を繋いだり、キスしたりすると考えると俺の胸は張り裂けてしまいそうになる。あの人を前にしたら尚更だ。それでもたまに先輩から来る誘いには乗った。だって先輩には会いたいし、変に気にしていると思われたくなかったから。先輩と遊びに行くと、いつも通り楽しい。先輩は何も変わっていない。変わってしまったのは俺の方だ。そんな状態が高校に入るまでずっと続いた。

事件のあった中3の夏から卒業まで、俺の精神状態はずっとガタガタだった。それでも俺は〇〇高に受かる事には成功した。初めて先輩に志望校を聞いたあの日から、〇〇高には余裕で受かるぐらい死物狂いで勉強していたからだ。先生にはもっと上の高校を目指せと言われたが、当時の俺を〇〇高以外に行かせようと思ったら俺を殺して引きずって行くぐらいしかなかっただろう。それくらい俺の意思は固かった。

「っしゃあ!!」

合格発表を見た俺はもちろん喜んだ。これで先輩と同じ高校に行ける。だが、そこには複雑な感情も入り混じっていた。
(先輩の彼氏も同じ高校なんだよな…)
そう、俺が入学する頃には付き合って半年以上も経つ先輩の彼氏がそこにいるのだ。前みたいに仲良く2人で帰る、なんて事ができるのかどうかもわからない。いや、できる可能性の方が低いだろう。それでも俺は先輩と毎日会える環境にいたかった。

入学初日。俺は少し早く起きてダメ元で先輩の家に行った。

「せんぱーい!!一緒に学校行きましょー!!」

ガララッ

「朝から声でけえなお前はぁ!!待ってろ!」

俺は家から持ってきたプロテインバーを食べながら先輩を待つ。

ガチャ

「うい、おまたせ。行こか。」

俺は恐る恐る聞く。

「俺なんかと学校行って彼氏さんにはいいんすか?」

「いいに決まってんだろw そんなケツの穴小せえ男とあたしは付き合わねえよ。てか彼氏住んでる方逆だし。」

(良かったぁ……)

不幸中の幸いだ。これからも先輩と仲良くできる。めちゃくちゃ嬉しい訳ではなかったがとりあえず一安心した。

これからも先輩と一緒に居られると思うと少し心に余裕ができたので俺は試しに聞いてみた。

「そういや先輩の彼氏ってどんな人なんすか?」

聞く必要もないがいずれわかる事だ。今のうちに聞いてしまってもいいだろう。

「うーん、難しいな…なんだろ、とりあえずデカいわ」

「で、デカい?」

「うん、デカい。あと優しい。」

「はえー、そうなんすね」

「お前絶対ピンと来てないないだろw」

「よくわかりましたねw」

「ほんと昔からわかりやすいなーお前は」

「まあ時間あったら今度会わしてやるよ」

「ウス!」

彼氏がどんな人か聞いただけなのに会う約束までできてしまった。正直あんまり会いたくないがこれから〇〇高に通う上で避けては通れない道だ。ここも早めに済ませてしまっていいか。

久々の先輩との登校にウキウキしながら高校にたどり着き、入学式を済ませるとついに俺の待ちに待った高校生活がスタートした。と言っても先輩と過ごせるのは最初の1年だけ。しかも彼氏もいる。理想的とは程遠いが一先ず目的は達成した。(薔薇色とは行かないだろうけどそれなりの高校生活にはするぞ…!)
俺はそんな期待を胸に教室へと向かった。

教室に着くと、そこには少し見知った顔触れもいたが基本的には皆初対面だった。本来ならここでかわいいクラスメイトを見つけてドキドキしたりするのだろうが、残念ながら俺はそんな事をする気にはなれなかった。先輩め、本当に罪な女だよあんたは。ホームルームが終わると、初日は授業がないらしくそのまま解散となった。

ピロリン♪

校門に向かって歩いていると携帯が鳴る。

「彼氏紹介すっから放課後マック行こ」

先輩からのLINEだった。いや早いて!!今度って言ってもすぐ過ぎるだろ!!そう思ったがここで断る理由もない。

「おけっす!現地集合でいいっすか?」

「いいよん」

そうして俺は少し緊張しながらマックへと向かった。

マックに着くとそこにはもう先輩が来ていた。

「さーせん遅くなりました!」

「いいよいいよ、あたしらも着いたばっかだし」

「あ、彼氏さんもういるんすか?」

「うん、今トイレ行ってるけど」

「あ、じゃあ俺その間に注文して来ちゃいますね!なんかいります?」

「んー、マックフルーリーの期間限定のやつ!」

「了解っす!」

そうして数分後、俺はマックフルーリーとチーズバーガーを持って席に戻ったわけだが俺は先輩の彼氏を見た瞬間、思わずお盆を落としそうになった。

「でっか……」

そこに居たのは190は下らないであろう大男だった。黒髪は後ろで結えられ、ガタイはドラゴンボールのブロリーを思わせるくらいデカい。俺はあまりの衝撃に何もできず、席の手前でポカンとしていた。

「ちょっと何してんのw」

「あ、さ、さーせんw」

少し動揺しながら席に座ると先輩が大男もとい彼氏を紹介してくれた。

「こいつが私の彼氏のZ!ね?デカいって言ったっしょ?」

確かにこの人はデカい以外の言葉で言い表しよあがない。

「あ、ども初めましてZっす」

「あ、ど、ども初めまして…先輩がお世話になってます」

「お前俺の親かよww」

(こいつが先輩と付き合ってんのか……)

ここで細身のイケメンなんかが出て来たら俺はその場で発狂していただろうが、こんな東堂葵みたいな奴に出て来られたら俺も特に言える事がない。

「先輩、男の趣味いいっすねww」

ここまで来たらもう嫉妬とかもあまり湧かなくなって来た。本当は正面じゃなくて隣に座っていたかったけど。

「だろぉ?こいつめっちゃ強いんだよ、喧嘩無敗伝説持ってっから」

「おいおいあんま言うなよw」

「無敗伝説っすか?!すげー!!Zさんヤンキーなんすか?!」

「まあヤンキーっつーかこんだけデカいと降りかかる火の粉は払わないいけないっつーかね」

「うわー!!かっけー!!」

正直、俺はもうこの時点で既に少しZに憧れていていた。中学でラグビーをやってきてガタイには自信があったが、Zの強さはおそらく次元が違う。
俺はこの時思った。

(俺もZさんみたいに強くなりてぇ…)

たぶんこの裏には(そうすれば先輩も…)という感情も少なからずあったんだと思う。こうしてあの日、俺の高校生活の目標は確定した。

強くなること。

これだけだった。
俺は強くなって先輩が惚れるような男になる。
この前刃牙を読み終えたばかりだった俺はさらなるインスピレーションを受け、「最強の男」を目指し始めたのだった。


そして時は流れ3年後。
俺、18歳。体はZほどではないがデカくなり、最強ではないがそこそこ戦える程度には強くなった。
先輩の不幸を願う訳ではないが(いつか別れねえかな…)などといくら思っても先輩は相変わらずZと付き合っていた。今度同棲を始めるらしい。

「くそッ!くそッ!くそッ!くそォ!!」

俺はサンドバッグ代わりの木に拳を叩き込んでからその場に倒れて空を見上げた。
現状とは裏腹に、夏の空は青く澄み渡っていた。

地域だとそこそこ名の通った強さにはなった。
卒業の時にZさんに挑んだ一敗を除けば未だ負けなし。最強とは程遠いが、俺は頑張った。血が滲むような努力をした。それでも、先輩は振り向いてはくれなかった。

「畜生…Zさん…あんた何でそんな強えんだよ…」

Zに敵えば先輩が振り向いてくれるとは限らない。でも今俺にできる事はZを超える事しかない。
だがそのZ超えすら、あまりに果たしない道のりに思えて仕方がなかった。

「先輩……先輩……」

今にも泣いてしまいそうだった。俺はもう先輩を諦めるべきなんだろうか。でも今さら他の人を好きになれるとも思えない。俺が手にした強さでは何もできない。圧倒的無力感。

「弱いな、俺……w」

自嘲気味に笑うと、悲しみが急に襲って来て思わず涙が溢れた。

俺がどれだけ強かろうと弱かろうと、先輩はずっと側にはいてくれるだろう。だって俺の事を
「弟のように思ってる」のだから。
でも、それじゃ嫌だった。それで終わって欲しくなかった。俺はZになりたかった。だからどれだけ無意味に感じようとも、俺は卒業まで来る日も来る日も鍛錬した。卒業して喧嘩をする事がほぼなくなっても、俺は鍛錬を続けた。そして気の遠くなるような鍛錬の果てに、幸運の女神が実に6年ぶりに微笑んだ。


俺が高校を卒業し、1年半程経った夏の話だ。年に数回会うくらいの関係になってしまった先輩から久しぶりに電話がかかって来た。

ガチャ

「もしもし、先輩?お久しぶりっすね!」

「ぴ、ピンちゃん?グス…」

久々に聞く先輩の声は震えていた。先輩と知り合って6年、先輩が泣くのを聞いたのは初めてだった。

「ど、どうしたんすか?」

「会いたいから来て」

好きな女が泣きながら会いたいと言っているのに行かない男がどこにいる?俺は二つ返事で答えた。

「ウス。どこ行けばいいっすか?」

「いつもの駅前で待ってるから…」

「了解っす!」

俺は爆速で家を飛び出し、チャリに乗って駅前へと向かった。

「ハァハァ…お待たせ…ハァ…しました」

駅前で待っていた先輩は明らかにいつもの先輩ではなかった。どんな時でもポジティブで明るい先輩が明らかに凹んでいる。

「大丈夫っすか?話聞きますよ」

「Zに……フラれたぁぁぁぁ」

そう言うと先輩は泣きながら俺に抱きついて来た。ついに来た。俺が先輩を幸せにしてあげられるチャンスが。

「酒、飲みますか」

先輩は俺の胸に顔を埋めたまま、無言で頷いた。

駅前の居酒屋に入ると、先輩は堰を切ったように話し始めた。Zとはここ1年ほど上手く行ってなかった事。Zが他の女を好きになった事。その事で喧嘩してZが出て行った事。その数日後に電話で別れ話をされた事。

「何で…何であたしじゃダメだったんだよ…」

涙を浮かべる先輩を前に、俺はただグラスに口をつける事しかできなかった。

ここでZを「テメェふざけんじゃねぇ!」と言ってボコボコにできたら先輩も俺に惚れてくれるんだろうか。「漢になったな!」と言って隣にいる事を認めてくれるんだろうか。まあそんな事できやしないから関係ないのだが。

先輩がメガジョッキ7杯目に差し掛かったタイミングで俺はこれ以上飲んだら2人とも帰れなくなると踏み、悲しみと怒りと酔いでぐちゃぐちゃになったら先輩を連れて千鳥足で自宅へと向かった。先輩を家まで送ろうと思ったが、あの家にはZとの思い出が多すぎてもう帰りたくないらしい。

「あいつぅ…ヒック…許さねぇからな…クソみてえな女に乗り換えやがってよぉ…」

「ほんとっすよ!死ね!Z死ね!!」

「死ねぇ…あんな奴死んじまえぇ…」

酔っ払い2人でそんな事を言っていると俺ん家にたどり着いた。

「汚いっすけど、どぞ」

「お邪魔します…」

普段なら「うわ、きったねえな掃除しろよ!」
だか「男の部屋だなー」とかイジってくる癖に今日は何もなかった。

ベッドに座り、先輩に水を渡す。

「はい先輩、水。飲んで。」

「ありがと…」

普段と違っていじらしくなった先輩を見て、俺は不覚にもキュンとしてしまった。先輩はいつもは綺麗で、カッコよくて、飲む時は俺を潰して来るような姉御肌なのに今日の先輩は違った。俺が守ってやらなきゃな、と思わされた。そんな事を考えた俺は酔いに任せて言ってしまった。

「先輩。」

らぁりなぁに?」

「俺、中3の時先輩に告白したじゃないっすか」

「うん」

「あん時の気持ち、今も変わってないっす」

「今も昔も、俺はずっと先輩が大好きです。」

付き合って下さい、なんて言えなかった。
こんな酔った時に言うのなんて無意味だし、どちらにも得なんてない。でも弱っている先輩を見て、これだけは伝えたいと思った。
正直返事は期待していなかった。

だが、先輩の反応は俺の思っていたものとは違った。

「筒子…」

そういうと先輩は俺を押し倒し、キスをしてきた。あまりに早い展開に、俺の脳は着いて来ていなかった。

「え…?」

「うるせえ」

そう言うと先輩はまた俺と唇を重ねた。重ねながら、先輩は俺のズボンをパンツもろとも脱がせようとして来た。

「ちょ、先輩、何してんすか?!」

「黙れ」

先輩と俺の力の差なんて圧倒的だ。止めようと思えば俺は先輩を止められた。でも、俺にはそんな事できなかった。だってこの6年で初めて、先輩が俺の事を求めてくれてるのだから。

そこから俺は先輩の見た事がない部分を沢山見た。見たことのない表情、聞いたことのない声、肌の温度。幸せだった。ずっと憧れて来た先輩。
部活の時に見ていた先輩。一緒に馬鹿やって帰った先輩。告白したけどフラれちゃった先輩。彼氏ができてショックだった先輩。この人のために強くなろうと誓った先輩。誰よりも近くて、誰よりも遠かった先輩。その先輩と、俺は今1つになっている。先輩が明日、この事を覚えているかどうかはわからない。と言うか、寂しさを紛らわせるのなら誰でも良かったのかも知れない。でも、それでも俺は先輩が俺を選んでくれて嬉しかった。先輩が初めてジュースを買ってくれた時よりも嬉しかった。そうして俺と先輩は、お互いが疲れて眠りに落ちるまで、何度も何度も求め合った。


翌朝。目が覚めると頭が割れるように痛く、死ぬほど気持ち悪かった。
「飲みすぎた…」
だが隣を見たらそんな気分も吹き飛んだ。
だって先輩がいるから。
「おはよ。」
「お、おはざす…」
俺が夢にまで見た光景だった。先輩の隣で目覚められるなんて。先輩はニヤニヤしながらこっちを見ていた。昨日の元気のない先輩はまるでどこかに消えてしまったかのようだ。

「昨日の事、覚えてます…?」

俺が怖々と聞くと先輩は答えた。

「覚えてるよーん」

「良かったねー、憧れのお姉さんとセックスできてーw」

最悪だ。やっちまった。俺はこんななし崩しのセックスがしたかったんじゃなくて普通に先輩と付き合いたかったのに…。かと言って今さら普段のノリに戻った先輩に改めて告白するのも違う。

「さ、さーせんなんか…」

「いいよいいよ、先に手出したのあたしだし」

「う、ウス…」

「んじゃ俺ちょっとシャワー浴びて来ていいっすか?」

「自分家のシャワー浴びるのに許可なんていらんでしょw ほら、早く行ってきな」

「んじゃ遠慮なく」

俺は昨日あれだけぐちゃぐちゃになってた先輩がたったこれだけで完全復活しているのがなんだか気持ち悪くて、急いで風呂場へと向かった。

「タオルタオル…あっやべタオルあっちだわ」

ベッドの横にタオルを干していたのを思い出し、タオルを取りに戻ると先輩が見た事のないすごく複雑な表情を浮かべているのを見てしまった。

「はぁー、やっちまったなぁ」

ぽつりと先輩が言う。
(やっぱり…ロボットじゃないんだから一晩で復活する訳ないよな…)
見ちゃいけない物を見てしまったような気がしたが、先輩の人間らしい部分が見れて俺は少し安心した。だがそれと同時にこうも思った。
(今、あの人俺の事どう思ってんのかな…)
本人に聞けるはずもなく、俺はこの問いを自分の心の奥にそっとしまった。

風呂場に戻ってパパッとシャワーを浴び、先輩の所へ戻る。

「お先っす!先輩も浴びて来ます?」

「んー、んじゃあたしも入って来よっかな」

そう言うと先輩はシーツをめくり、裸のまま風呂場へと向かって行った。昨晩穴が開くほど見た身体だったが、朝日に照らされた先輩の身体はより一層美しかった。先輩の身体に見惚れていると、先輩は振り向きもせずに言った。

「見てんじゃねーぞー」

流石先輩。俺の行動なんてお見通しだ。

先輩がシャワーを浴びる音を聞いてソワソワしながら携帯をいじって時間を潰し、先輩が戻って来るのを待った。

「ごめーん、結構ゆっくり入っちゃった。あとすっぴんだからあんま見ないで。」

中学ぶりに見る先輩のすっぴん。

「すっぴんもかわいいっすねw」

「お世辞も大概にしろよお前ーw てか見んなっつったろ!」ゲシッ

先輩のキックを喰らう。

「あざっす!」

「あっそうだこいつドMだったんだ」

そんないつも通りの下らない会話を昼前ぐらいまでしてから2人で数年ぶりにスマブラをやった。
先輩は昔から強くて、俺はあれから結構練習したにも関わらず、昔と同じようにボコられた。

「あたし数年ぶりにやるけどまだまだ実力差はあるようですなぁww」

「あーもー強すぎっすよ!!」

「あはははははwww」

「昨日はあんな俺に負けてた癖に…」

「あぁん!?」

「何でもないっすすみません!!」

楽しかった。こんな時間が永遠に続いて欲しかった。でも俺と先輩は付き合ってないし、こんな事がまたあるとも限らない。(狡くても昨日付き合って下さいまで言えば良かった…)俺はまたしても後悔した。

「先輩あのアパートどうするんすか?」

「あーあそこねー、昨日も言ったけどもうあそこには住みたくないし引っ越そうかな。」

「引っ越してもいいっすけど遠くには行かないで下さいよ!俺普通に寂しいんで!!」

「そうだよなーw、ピンちゃんはお姉さんが居なきゃダメな寂しがり屋さんだもんなーw」

「うわ、うるさ。あ、もういいっすよ。北海道でも沖縄でも好きなとこ行って下さい。」

「強がっちゃってーww でもあたし優しいからこの辺に越すよ、あたし優しいから」

「2回言わんでいい!!」

先輩がどこにも行かないと知って、内心めちゃくちゃ安心した。先輩は今独り身だし、この辺いるならまだチャンスはある。今の俺は昨日までの俺とは違うからな!待ってろよ!!

「んじゃ。急に呼んだのに来てくれてありがとね。また遊ぼ。」

「ウス、お疲れっす」

「ばいばーい」

先輩を送り出すと、俺はベッドの上で昨夜から今に至るまでの出来事をひたすら反芻した。人生で一番幸せだった日を、ひたすら反芻した。この十数時間で、俺は過去3年間で見てきたよりも多くの先輩を見た。先輩と付き合えたらこれが日常になるのかと考えると心が踊った。Z超えももう目指さなくていい。頭打ちを感じ始めていた鍛錬ももうしなくていい!!(もちろん辞めはしないが)
俺は間違いなく幸福の絶頂にいた。だが、人生山あり谷あり。こんな幸せが永遠に続く訳がなかった。

あれから数週間後、ちょくちょく会っていた先輩から来たLINEを見て俺は思わず言ってしまった。

「は?」

その文面はこうだった。

「新しい彼氏できたぜ✌️」

意味がわからない。3年半付き合った人生初彼氏と別れてもうこれか?先輩らしくない。だがここで喧嘩腰になっても意味がない。俺は出かかった
「何してんすか?」を飲み込み、代わりに
「早いっすねーw 流石先輩!」と送っておいた。
正直この彼氏には会いたくもなかったし会う必要もなかった。先輩と遊ぶ時はその話は持ち出さなかったし、先輩もそれには触れなかった。
そしてそれから2ヶ月も経っていないある日、今度は

「彼氏と別れました🥺」

と送られて来た。
「え、もう!?」思わず言葉が漏れてしまった。
「大丈夫っすか?飲み行きます?」と送ると
秒速で「もち👍」も帰って来た。やっぱりあれから何かがおかしい。3年半も一途に付き合ってた先輩が2ヶ月も経たずに別れるなど普通じゃない。
俺は先輩が心配で気が気じゃなかった。

「ウスウス!」

「おせーよ!結構待ったぞ!」

「まだ5分前っすよw 先輩どんだけ俺に会うの楽しみにしてたんすかww」

「は、なんだお前奢んねえぞ!」

「さーせん!!許して下さい!何でもしますから!」

「あ、今何でもするっつったな。言質取ったぞ」

心配を他所に、着いてみるとそこに居たのはいつも通りの先輩だった。居酒屋に入ってからも出てくるのは元カレの愚痴だけ。でも俺は先輩に対する違和感が何故かずっと拭えなかった。

「いやまじであいつクソ男でさ、バーで会ったんだけど最初はいい人ぶってんのに日を追う毎にどんどんメンヘラ化してくの。マジだるくね?!」

「うわーそりゃないっすねー」

生返事を返しながら酒を飲む。

「お前あたしの話ちゃんと聞いてないだろ!!」
「はい早く飲めー手が痛いーコールをするのがめんどくさい」

「うわー酒ヤクザだww わかった飲むから!」
ゴクゴク

「よーしナイスー!!あたしも飲んじゃお」グビッ

「俺今日は潰されないっすからね?」

「言ったな?じゃあこれ吸ってみ」

「えータバコっすかー?!嫌っすよー!」

「うるせー!男ならタバコの1本や2本吸ってみろ!!」

「しょうがないなー、1本だけっすよー?」

これが俺の人生初タバコだった。ペットボトルで間接キスなんてもう死ぬほどしてるのに、先輩とのシガーキスは何故かとてもドキドキした。そして先輩の策略通り、俺はタバコで一気に酔いが回り、ゲロを吐いて先輩に爆笑されながら家まで介抱された。

「らんであんなもん吸わせたんすかぁ」

「あれ吸いながら酒飲めるのが真の漢だからな、いつか吸えるようになれよ」

「ふぁーい」

「んじゃもう大丈夫か?あたし帰るよ」

「ウス!元気百倍っす!!」

「嘘つけww んじゃね、水いっぱい飲めよー」

そう言って先輩は帰って行った。

それからまた1ヶ月。

「New彼氏🤪」

1ヶ月半。

「別れた😢」

「あたしの酒が飲めねえのかー!!」
「飲む!!飲むから!!」

オエー
ギャハハハハハ

「んじゃねー」
「う、ウス…」

数週間。

「かれぴできたぁ🥰」

1ヶ月。

「別れちゃった😂」

こんな事が何度も、何度も起こった。
男を取っ替え引っ換えするようになった点を除けば、先輩はいつもの先輩だ。Z以降、俺は先輩の彼氏には1人も会ってないし、たまに来る付き合った、別れた報告と元カレの愚痴以外で先輩は一切彼氏の話を出さない。それが余計に変だった。
Zの時は事ある毎に惚気て来たのに。

俺は先輩がZと別れたあの晩の事が未だに忘れられなかった。俺は先輩に告白した。先輩もあの晩の事はちゃんと覚えていると言ってた。俺の気持ちを知りながら先輩はこんな事をしてるのか?何で?どうして?俺の中のモヤモヤは日に日に大きくなって行くばかりだったが、先輩に直接聞く程の勇気を俺は持ち合わせていなかった。

だが、そんな事が1年程続いたある日、ついに俺の堪忍袋の緒がきれた。

「いい加減にして下さい!!」

「え、何どうしたの」

「先輩、覚えてるって言ってましたよね?!
Zと別れた日のあの晩の事!!ちゃんと覚えてるって言ってましたよね?!なのに何でこんな事するんすか?!俺の気持ちで遊んでるみたいじゃないっすか!!ねえ!!何でっすか?!何でなんすか?!」

…………………

沈黙。

永遠のように思える程の沈黙が続いた。そして、先輩はついに口を開いた。

「あたしはね、Zの事が本当に好きだったの」

「あたしはもうこの人と結婚するんだろうなと思ってた。ピンちゃんには悪いけど。」

「でもこの世で1番信頼してた人に裏切られてさ、もう2度と人を信用したくなくなった。」

「だけどもう誰も信じたくないって時でもさ、ピンちゃんはそこに居て私の事笑わせてくれるし優しくしてくれる。」

「もう誰とも関わりたくないのに人懐っこい犬みたいにいつもそこにいる。それがあたしは怖かった。」

「筒子に裏切られたら、あたしもう2度と立ち直れないなって。そう思ったの。だからお前との距離が近くなればなる程怖くなって、そこら辺の男に逃げてた。」

「ほんと最低だよな、お前の気持ちはわかってるのに。あたしは臆病だから中々踏み出せなかった。お前が痺れを切らすのを待ってた。これでお前があたしの事を嫌いになってくれれば、それはそれでいいと思ってた。そんな訳ないのに。」

「だからあたしは今ここでお前に何を言われても受け入れるつもりでいる。ごめんね、振り回しちゃって。あたしも大好きだよ。」

……………

「……せぇ」

「え?」

「…うるせぇ」

「ごちゃごちゃうるせぇんだよ!!俺もあんたが大好きだ!あんたが何を抱えてたって構わねぇ!それごと愛す!!だから付き合ってくれ!!」

「筒子…ほんとお前って奴はさ…」

「喜んで!!」

その瞬間、俺は涙が溢れて止まらなくなった。
先輩の事を、2度と離れないように抱きしめた。

「ちょっと、ピンちゃん苦しいってw」

「うるせえ」

「もーw」

そうして俺は、長い、あまりにも長い片想いの
初恋を終えた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?