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【続・マリENDではない!】がらっと見方が変わる!「シン・エヴァンゲリオン劇場版」まだ誰も気づいてないラストのアレ!

以下、めちゃくちゃネタバレを含む考察です。ご注意ください


爽快な最後だが、よく見るとよくわからない「シン・エヴァンゲリオン劇場版」。
一般的には「マリEND」と言われ、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」シリーズの新キャラのマリとくっついた最後と言われている。その他の。考察動画が挙がっているがどれも自分としてはしっくり来ていない。

現在、4作からなる「超考察シリーズ」を執筆するにあたり、毎週末1度は「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を見に行っているのだが、ラストについては回を追うごとに発見があるため、今回は少し話題休閑的に深堀している。

なお、基本となる解説は以下の無料部分で触れているので、一度読んで欲しい。一度読んでいる前提で話そう。


ー最後のシーンは「補完のリフレイン」

先述の「超考察」では最後の宇部新川駅のシーンは「マリが助けてくれる」ことのリフレインだと書いた。
基本的な概念は以下の図で表している。

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「DSSチョーカー=エヴァ」であり、マリがポケットに入れた瞬間、この世からエヴァは消えた。その証拠にマリのジャケットにDSSチョーカーを入れた瞬間、本来ジャケットのポケットはDSSチョーカーの重さを受けて沈むはずだが、まるで「消えた」かのようにジャケットの裾は風になびいている。

(普通、こうなるやん?DSSチョーカー金属製みたいだし)

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参考:https://biz.menz-style.com/item/pr?pr_id=255

そして、駅の外を走るシンジとマリは「消えつつある最期のエヴァ世界」を希望とともに走りつつ、最後は「現実」へと消えていくのである。(書いてて、涙が込み上げてきた・・・)

私の結論として、最後のシーンは「助けてくれたことのリフレイン」であり、決してシンジとマリが恋愛的な関係やパートナーになったわけではないと判断している。


ー実写とアニメ絵の合成のおさらい

先週の視聴で発見したのは、実は最後まで「エヴァ世界」として、描かれているアニメ絵って、道を歩いてる人なのかな?と思っていたのだが、実はかなり意外なものであることに気が付いた。

なお、最後の空撮シーンは以下の順番で映っている。
①駅南口から北川を向いて駅を撮影

②駅上空でカメラが180度反転

③駅の真上から南側を映し、徐々にな南下(前進)

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実写の宇部新川駅の近くを歩く人々や、勢いよく走っているシンジやマリもアニメ絵で描かれているが、あくまでも「人」のみがアニメ絵で描かれているなか、意外なものが「アニメ絵」として描かれ、最後まで描かれているのも「意外なソレ」なのである。


ー新たな発見:「最後に消えるアニメ絵は何か?」

それは意外なことに「電車の車両」である。
宇部新川駅から伸びる線路を走っている電車が「アニメ絵」で描かれている。

これにはかなり大きな意図があるはずだ。

なぜなら、走っている車両以外は「実写」なのだ。
宇部線の車両の特徴はgoogleで調べた限りだと下の黄色車両で、ほとんどこれしか走っていない。
宇部新川駅は走っていない車両を休ませる場所でもあるので、何両かこの黄色い車両が映っているが、全て実写である。

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そんな中、1車両だけ駅を出発した車両がアニメ絵で描かれている。
それが、こちらの「旧国鉄車両」だ。

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写真:https://www3.big.or.jp/~ikeda/rmg/lost_t/kumoha12.html

具体的に言うと、宇部新川駅を飛び出すシンジとマリを移した後、空撮カメラは一旦線路を移すのだが、そこを走っている「アニメ絵の茶色い車両」が映っており、最後に消えるアニメ絵はこの車両なのだ。

(イメージはこんな感じ↓)

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で、この「茶色い車両は何か?」という話。

この車両、昔に走っていたが、今は走っていない車両でおそらく「クモハ42型」か「クモハ12型」のどちらかだと推察される。

先に述べるが、この車両は恐らく「クモハ12型」だろう。
なぜなら、エヴァの世界で精神的世界の葛藤の舞台となるのはこの車両だからだ。

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©カラー

こちらについては以下の雑誌で詳しいインタビューが乗っているので是非参考にしていただきたい。

この車両は昔は宇部線を走っていた車両だが、現在は使われていない。おそらく、庵野監督の心象風景なのだろう。

「シン・エヴァンゲリオン劇場版」でも補完中のゲンドウとシンジのやり取りはこの車両の中で行われている。

「シン・エヴァンゲリオン劇場版」のラストを大まかにまとめると以下の通りになっている。

1:アディショナルインパクト中のエヴァイマジナリーの中に、初号機と第13号機があり、そこに8号機がガイウスの槍を届ける。

2:ゲンドウの補完が終わり、ゲンドウが補完の中心から降りる。
 (なお、この時点で巨大アヤナミ=エヴァイマジナリーは第3新東京市付近へと移動している!)

3:アスカの補完を行う。13号機から射出し、第3村へとエントリプラグを射出。

4:カヲルの補完を行うと、カヲルは消える。(現実世界に戻らず、魂があるべきところに返った?)

5:綾波レイ(2号)の補完が行うと、レイはは消える。(現実世界に戻らず、魂があるべきところに返った?)

6:ガイウスの槍で「ネオンジェネシス=エヴァがいなくなっただけの世界」を作り出す。

7:全てのエヴァが消える。

8:砂浜で消えそうなシンジ

9:マリが迎えに来る。8+9+10+11+12号機が消える。(※最後のエヴァンゲリオン)

10:舞台が変わり、成長したシンジが気が付くと駅のホームに座っている。

11:電車が来るアナウンスが流れると、場所坐っていた場所が変わる。

12:反対側にアスカ、レイ、カヲルに似た人物たちがいて、「茶色い電車」が到着する。

13:「誰だ?」とマリが登場した後、DSSチョーカーを外し、ポケットにしまう。

14:マリの手を取り、階段を駆け上がるシンジ

15:宇部新川駅全景の中にアニメ絵の人たちが生活しているが、駅に近づくとアニメ絵の人たちはいなくなる。

16:アニメ絵の「茶色い電車」がビルの陰に消えて見えなくなる。

17:アニメ絵のない、「全て実写」の風景になり終わり。

この流れを改めて頭に入れたうえで読み進めてほしい。

ーレイ、カヲル、アスカはその電車に乗っただろうか?

電車は待つために乗る。
反対側の駅のホームにいたレイ、カヲル、アスカの3人はこの電車に乗るのだろうか?

この電車は精神的葛藤や解消されない不安、成長できない自分へのメタファーだ。

イマジナリーではなく、リアリティーの中で立ち直ったシンジと最初から最後まで精神が安定しているマリはもう、その電車に乗らないことを示唆するかのように茶色い電車の停車するホームとは反対側に来ている。

では、反対側のレイ、カヲルアスカはこの電車に乗るのだろうか?
否、乗らないと考えられる。

なぜなら、彼らも「DSSチョーカー=エヴァ」が消える前に「イマジナリーの中で立ち直っているから」だ。


前の記事(以下)で述べた通り、宇部新川駅のシーンは「アディショナルインパクト」のリフレインである。
あくまでも、アディショナルインパクトで起きたことが反映された世界だ。よって、既に立ち直っている彼らは電車に乗らないのである。

映画「シン・エヴァンゲリオン劇場版」で最後まで移されているのは精神的葛藤の象徴である車両であり、それが消えると同時に、「現実」だけが映す出される。
そして、この電車が消えた理由は「誰も乗っていないから」だろう。

1つ思い出してほしいのは、「アディショナル・インパクト」は「魂(=メンタル)と肉体(=フィジカル)の補完」であった。
この補完の中で、ゲンドウからシンジが補完の中心を引き受けてから、アスカ、カヲル、レイと補完されていくが、あくまでも「補完」は全ての人がつながっている世界なので、全ての人間がアスカ、カヲル、レイと同様に補完されている筈である。

つまり、碇ゲンドウとシンジ親子のお陰で、この世の「魂」は救われた世界なのである。

なんと!ミドリに「あの親子のせいで、この世界はめちゃくちゃだ!」と言われていたが、最終的には全ての「魂」を救った形になっている。

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25年間にスタートした、「エヴァンゲリオンシリーズ」とは、「苦悩」の話であった。碇シンジが、エヴァンゲリオンの登場人物全てが、少しでも壁を壊せるように繰り返し努力する話だ。

そして、今回の「シン・エヴァンゲリオン劇場版」でついに、全ての「壁」を打ち壊した。
「エヴァ」の象徴として、「DSSチョーカー」が消えるというわかりやすい演出の陰で、もう一つのエヴァの側面である「苦悩する内面」を象徴する電車が消えることで、全てのエヴァの終わり再現したこの演出、やはり庵野監督は天才である。

4/2追記「エヴァがすべて消えたあとの世界のシンジ」

エヴァのラスト考察する中で、「エヴァが消えた世界のシンジは死んだも同然」、「エヴァが消えた世界のシンジに価値はないから、死んだのも同じ」といったような意見がある。

様々な答えが考えらえるが、私はもっと「希望」に溢れたものだと解釈したい。

副題になっている「Thrice upon a time」は、同名の小説が存在する。
邦題は「未来からのホットライン」で、ジャンルはタイムトラベルものだ。

タイムトラベルもので「過去に干渉するとどうなるか」という議題の例として「親殺しのパラドックス」というのがある。これに対する回答として「親殺しをした時点で分岐(=パラレル化)し、干渉前と干渉後の2つの世界線が誕生し、維持される」や「絶対に過去は変えられない(過去への干渉も織り込んだ歴史しか存在しない)」の2パターンが主な答えになっている。

しかし、この「未来からのホットライン」は「干渉により未来は書き換わり、過去に干渉した事実は消えるが、過去に干渉した事実(=証)は新たな未来にも残る」という新しい設定を矛盾なく見せている作品となる。

庵野監督がこの作品と同名の副題を付けたのは、エヴァがいなくなった世界にどう向き合うかを想像するとき、この「未来が書き換わっても、事実は新たな未来に残る」という風に解釈してほしくて、「Thrice upon a time」としたのだろう。

作中でも「渚カヲル」がこう言っている。

魂が消えても、願いと呪いはこの世界に残る。意志は情報として世界を伝い、変えていく。いつか自分自身の事も書き換えていくんだ

エヴァが消えても、それによってもたらされた幸も不幸も、エヴァが消えた新しい世界には残る。そして、正しい意思さえあれば、新しい世界も自分の意志とともに変えることができる、ということだろう。

つまり、「エヴァ」が消えても、リアリティの中で立ち直ったシンジの「意思」は残り、現実に生きるシンジの中でそれは残っていくのだろう。




さて、上記はいかがでしたでしょうか。

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