言う時は言う、ただその時が未定の火蓋

どうも、ゴリ松千代です。


ある日私は精神的な負荷を溜め込まないために、献身的な事で他の追随を許さぬと有名(主に私の中で)な妻に愚痴をこぼしていた。その愚痴こそが妻の精神的な負荷になるであろう事を考えていなかった私は、その時珍しく「ふーん…」くらいで返されてしまった事を深く深く反省した。本当に。

私が言った細かい内容や関係は省くが、私が言いたいのはここからだ。私は愚痴を言う事で理性が働いて感情を抑制出来ている部分が少なからずあった。だから私の場合は愚痴を言う対象がいない場合、必ず本人に向かう。黙っていれば黙っているほど、その時間が長いほどに研がれ、研ぎ澄まされていく。思い出さない、考えないを徹底しないと専用の刀は差しっぱなしだ。

私はこれまで思ってきた事をまとめ、台本を書き、その反応への対策マニュアルを作り(いや、もちろん全て頭の中でだが)、本人に直接電話をした。よほど言い返す言葉がなかったのか、話の途中で「最近胃腸炎が……」と状況の見えていない雑談を差し込んでくる始末だ。「そうなんだ、それで続きなんだけどさ」で片付ける私の盾の性能も相まって大変面白い。とにかく、向こうは言いたい事が言えて、私も言いたい事が言えたのでお互いにこれでおしまいだ。2つの意味で。

向こうを『帰れない状態で帰りたい状態』にしてもこちらとしては非常に目障りなので、やはり電話は正解だった。文字でも相手の矛盾点や論点ずらし、棚上げなどの粗を『言った言わない』の懸念抜きに正確に突けて非常にありがたいと言いたいところだが、さすがに人格攻撃が過ぎる。言葉に対し暴力(凶器含む)で返されては私も死を覚悟しなければならないので、それはちょっと。

時折、「言いたい事を言いたい時に言えます」という『ろくに発言の我慢も出来ない馬鹿』を長所として言い換えた大人がいる。私も元々は言いたい事をすぐ言ってしまう人間だったので、その無駄な行動力に自惚れてしまう気持ちは分かる。その本能丸出しで一方的な罵詈雑言、ただただ脳が子どものままなだけで「言える私、度胸ある!」とは言い難く、TPOを弁える事が最重要だ。こんな事この年になってわざわざ言うまでもないが、あれから私はその場の空気を壊さぬよう必死に堪えている。言うべきタイミングや言わなくて済む事の見極めを私は探っていきたい。

このnoteも、私の捌け口の一端を担っている。しかしながら反省と今後の行動も兼ねて書き連ねないとただの悪口なので、匿名には匿名なりの記事仕草を取るしかない。それが明日以降の『考えたい私』と『考えたくない私』の一助になるから。


La vengeance est un plat qui se mange froid.

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