考えたくない自分、考えない方法

どうも、ゴリ松千代です。


私はルービックキューブが好きだ。せいぜい1分を切れる程度で、胸を張れるかと言われると少し気が引ける。これ以上記録を伸ばそうとするといきなり難易度が跳ね上がり、ここからは『特技』の成せる技なのだろうな、という事だけは『趣味』で立ち止まる私にも良く理解出来る。

それでも私はこの立方体をこね続ける。そしてそれは、他の何事も考えなくて済むからという理由が大きく占めている。そう考えると、タイムなんて追い求めずに60分くらい続けてた方が良いんじゃねーかとは思える。考える事と同じく、考えない事も大事にしているという話をしていきたい。

考えるのを止めないという考え方は私の良いところだ。このnoteのようにその時に思った陋見を延々と書き残し、過去の自分が未来の自分を頷かせたり首を傾げさせる。

引用元:考え方についての考え方について

この日私はこう言っているが、もちろん考えた方が良い事、考えずにいた方が良い事の区別はつけている(その区別が正しく分けられているかどうかは別)。私の脳は、下手に自分の認知している情報や良からぬ想像をまとめてひとたびレンダリングしてしまうと格段に処理速度が落ちる。私だって嫌な事は早々に忘れたいし、起こってもいないトラブルに身構えたくはない。対策を考える場合はまた違うが。

昨晩も寝床についた後に「(あーーーーー)」と息継ぎなしで脳全体にノイズを送り続けた。何一つとして考えずに寝てしまいたいからだ。「あの時ああ言われたな」「あいつ今頃何を思ってんだろうな」なんて事に私のメモリを割きたくない。いや、これは考えではないのかもしれないな。フラッシュバックに近いものが、私の考えを邪魔している。自分の言葉をあえて持ってくると、憎悪の再生可能エネルギーというやつだ。

とにかく、だから私は見ないし、考えない。考えないようにしている事がある。考えなければあいつもあの思い出も存在しないのだから。この記事は短いしオチもないが、そのくらい考えたくないという考え方についてよく考えた結果こうなってるんだよという〆で、今日のところは一つ。

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