LITTLE GIRLの名は

少女に妖精(フェアリー)と悪趣味な名前を付けたのは母だった。他の候補は天使(エンジェル)、涙蘭(ティアラ)、珠凛越冬(ジュリエット)。
とにかく外国人みたいな名前が良かったらしい。珠凛越冬に関しては越冬つばめがちらつき、むしろ日本的だ。何にせよおかしいと思う。

もし子どもが先生になりたいと言ったら? 政治家になりたいと言い出したら? そんなことはこれっぽっちも考えなかったんだろうか。
自分の親ながら情けない。

だが兄は違う。ちなみに兄の名前は善男で、父が名付けた。名は体を表すと言うが、確かに兄は善い男だ。兄は兄を包む朗らかな空気でもって周囲の緊張を解く上、聞き上手である。だからこそ少女は、兄の前に限り、一人でいる時と近い形で自分自身を曝け出すことが出来た。
少女の話を興味を持って聞いてくれたことがなく、半径3cmの小さな世界で動き回っている誰かとは違う。

兄が両親をどう思っているか、本当のところは分からない。映し出す機械が変わると微妙に映像も異なるように、同じ人物を見ても抱く印象は人それぞれだから。
だが、喋り出す前に唾をのみ込み、拳を握りしめて覚悟を決める子どもが他にどれほどいるだろうか。
無償の愛は、親から子ではなく、子から親へ流れているものだと痛感する。たとえ忌み嫌っていようとも無意識下で子は親に向かって手を伸ばす。求めては堕ちていくことを分かっていながら、だ。

けれども大人は簡単に子供を切り捨てる。
見殺しにされた子供は、「親の資格に足りない輩を親にしてあげた」という奇妙な役割を、この世に生まれ落ちた理由として正当化され、処理される。

少女は今まさに、オモチャ程度の権力を振りかざす大人への猜疑心と憤怒に突き動かされていた。そして自分は尾崎の生まれ変わりだと確信したのであった。(無論、ジャンボがつかない方である)

ハマショーの『MONEY』がすきです。