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僕らの復活祭

僕のエゴが、誰かを救う日は来るんだろうか。

大阪万博から5年が経った。
物価も落ち着き、僕は針中野にある劇場付き一軒家を約8000万円で購入した。どうやって資金を貯めたかは内緒だ。とにかく僕は必死だったし、あの頃見た景色をリバイバル上映する場所が必要だった。

7人組コントユニット『のどごし生卵』は、時代の代弁者‘だった’。
芸歴8年目であえなく解散。M1は3回戦、KOCは準決勝止まり、レギュラーといえばテレビ神奈川の旅番組とポッドキャスト限定ラジオ。クイズ番組やコント番組には不定期で出演していたけれど、そんなことは問題じゃなかった。
僕は熱狂的なファンでありながら、彼らが面白くない人たちに見つかってしまわないかといつもヒヤヒヤしていた。語弊がある。つまるところ彼らがお茶の間に浸透するなんてことは世紀末で、アルコールを撒き散らしたようなネタがぶっ刺さるのはこの僕だけだと誰もが思っていた。その集団がファンだった。

物知り顔でネタを分析する行為は冒涜に繋がるので、危険極まりない(あの頃の僕はどうかしていた)。
『のどごし生卵』は、木更津キャッツアイでいうところのぶっさん、ロック界でいうところのデヴィッド・ボウイ、温泉でいうところの草津、スキー場でいうところの八ヶ岳、アザラシでいうところのゴマちゃんだった。
単独やネット配信において、彼らは常に完全なる勝機が見えていて、圧倒的な主人公だった。
とにかくエネルギーの消耗が激しく、観客は手元に酔い覚ましの一杯が必要だった。

ライブ名は「わん・ないと」。
(一夜あるいはワンナウト的意味合いも含む)
生きてさえいれば、また交わる一夜がある。
フォークダンスDE成子坂を再会させられなかったのは、僕らお笑いファンの大罪だ。
だから今度こそ、僕はエゴを押し通す。
氣志團のOne Night Carnivalを出囃子にあの頃の彼らがライトの下に戻ってくる。
「コント『信号』」

数時間後に別々の帰路についたって、今はこの空間が全てだ。
当日券で立ち見の客もいた。
深く腰掛けていた客たちの身が少しずつ前のめりになる。
その目に映る景色が、何よりもこの世の正しさだ。

(勢いづいて書いたので、何だか少し宗教くさいがそこはご愛嬌で。興奮さめやらぬのだからしゃーない)

ハマショーの『MONEY』がすきです。