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答えに近づいた日のこと

3年ぶりに、元恋人に会った。18から23までをずっと一緒に過ごした人だった。彼の前に付き合っていた人からDVを受け警察沙汰になった私を助け出し、大丈夫だよ、とずっと守ってくれていた人だった。再会した彼は記憶の彼より少しぽっちゃりしていた。
5年も付き合うと恋愛感情が薄れてしまって、家族同然になった。仕事に打ち込みたい、とにかく自由になりたいという私の傲慢さ、欲張りで別れた。仕事にのめり込むタイプの私と真逆な彼に、わたしの人生を任せられる人ではないと思っていた。実際に別れてから、良い仕事が舞い込んできたり、自己開示ができるコミュニティを見つけられたり、恋をしたりで刺激的な目まぐるしい時間を過ごした。

どうして3年ぶりに連絡を取って会ったか。
昨年体を壊して、仕事すらままならず鬱になり、布団で丸くなって耐えていたとき、私が最後正気を保てていたのは、彼との思い出があったからだった。
ずっと思い出していたのは、ある年のクリスマスの思い出。
煌びやかな街中を歩くことよりも、家でシュウマイを作りたいと言い出した私のリクエストに、二人で買い出しに出て小さな画面でレシピを覗き込んで、4時間かけてシュウマイを作っていた時間。気がついたらクリスマスはとっくに終わっていた。途中で調味料を間違えたり、なんか違うなぁという成果で大笑いしていた、とても愛おしい時間。
どうしてその日のことを思い出したのかわからない。
けれど、彼と別れた後刺激的で満たされた日々を過ごしていても、それは外の世界で過ごす私だけが満たされていて、プライベートの私が満たされていたわけではなかった。
自己効力感が強く、自分を削ってまで人に価値を与えて喜んでもらうことでしか生きる理由を見出せなかった私が、真逆な彼から与えられていた様々に生かされていたことに初めて気がついた。
目眩で揺れる視界と鬱状態で、自分がおかしいのかすら分からない狂った状況で、自分を生かしていたのは彼との時間だった。

依然体は悪いものの、少しは外に出れるようになったので、彼に何かを伝えなきゃと衝動で連絡を取ってしまった。当時の私は傲慢で、ずっと広い心で私を守ってくれていたにもかかわらず、ありがとうもごめんなさいも、何も言えていないままだった。愛情表現が苦手だから、と言い訳して何も伝えられないまま終わってしまった。
彼は変わらず、優しい人間だった。
変わらず、のんびりした人間だった。
歩幅を合わせてくれ、ものを食べれない私にスピードを合わせてくれていた。
アクション映画の鬼気迫るシーンでは、祈るように手を合わせて応援していた。
隣で私は、そうだ、彼のこういうところを尊敬していたんだよな、ということを思い出した。冷めた家庭で育った私が、初めて心を全て開け渡せた人だったということも。不安や怖いものなんてなく、彼と全てを分かり合えて自分と同化しているようなそんな感覚で、一番幸せだった時間だということを。

色々な人と出会って、
幸せにしたいなとこちらが尽くす側になることや
なんとなく一緒に生きていけるだろうなと思える相手はたくさんいた。
自分を変化させて、誰にでも合わせられる自信があったからだ。
これもまた自己効力感が強い故なのだと思う。
けれど、彼と再会した日には今までの人と全く違う感情があった。
私が、幸せになりたいと思った。
どうしてそんな気持ちが湧いたのか全く分からない、けれど
きっと答えに近づいたんじゃないかと思っている。
これからどうなるか、全く分からないけれど、
この感覚を得られただけで、生きていてよかったと思える、良い夜だった。

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