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ローテクスニーカー(バルカナイズド製法)の始まり。

坐骨神経痛に悩むSTANCLAN(スタンクラン)共同代表の石黒です。

スタンクランとはスリッポンを専門とするスニーカーブランドですが、皮肉な事に坐骨神経痛が重症でスリッポンしか履く事の出来ない身体になりつつあります。。。(身体を屈めると激痛が走る為、靴下や座って靴ひもを結ぶという事がとても困難)

そんな不甲斐ない私の身の上話はどうでも良いのですが、やはりスニーカーといえばローテクと思ってるわたしは、自分でスニーカーブランドを作るなら、やっぱりバルカナイズド製法以外は考えられませんでした。

もしかしたらスニーカーの製造方法やその時代背景に興味がある人はかなりマニアックな方かもしれませんが、スニーカーを作ってる身として、バルカナイズド製法がどのようにして生まれたのかという背景については、自身の勉強も兼ねてこちらを紹介したいと思います。

こちらはヴィンテージファッション好きにはバイブル的な本のシリーズで、スニーカーに関わらず、あらゆるヴィンテージファッションのアイテムがこれでもかという形で掲載されております。

この本のVol.6にヴィンテージのキャンバススニーカーが特集されており、その中にバルカナイズド製法の時代背景が良くわかる記載があります。

以下引用

ミシガン州デトロイトから車産業が誕生した1900年初頭、その近郊に位置するオハイオ州アクロンではタイヤというもうひとつの巨大ビジネスが同時に登場している。(中略)タイヤそのものは“ゴム”という全く違った研究分野から生み出されており、タイヤ開発で培った技術は徐々に違った分野で応用されるようになった。中でも大手タイヤ会社『グッドイヤー』、『B.F.グッドリッチ』が目を付けたのはシューズ産業で、30年代までに“クッション・ソール・シューズ”と呼ばれる新商品を発表し、後のスポーツ界を飛躍的に発展させてゆく事になる。50年代はクッション・ソール・シューズが大量生産された“第一次黄金時代”であり、この頃には『コンバース』、『USケッズ』、『ボールバンド』、『PFフライヤー』といったメジャーブランドが勢揃いしている。(中略)結果的にキャンバス・シューズ・ビジネスは50年代に大成功を収め、60年代に入っても業界は力強く成長していった。そしてキャンバスシューズの普及によって若者たちのファッションはよりスポーティになってゆく。ところが、70年代初頭に起きたオイルショックはシューズ産業にも大打撃を与えた。石油価格の上昇によって生産コストが膨らみ、競争力を失ったブランドが市場からの撤退を余儀なくされた。同時に『ナイキ』のような新しいコンセプトをもったメーカーが70年代に登場し、キャンバスシューズは突如時代遅れとなった。その結果、戦前にスタートした殆どの老舗ブランドがこの70年代にマーケットから姿を消している。

100年以上の歴史があり、タイヤ産業の新ビジネスとして発展したという点が興味深いです。逆に日本でバルカナイズド製法でスニーカーを生産できる数少ない工場の一つに久留米のアサヒシューズがありますが、こちらは足袋の生産から始まり、のちにブリヂストンとして発展していく過程が米国のそれとは対照的で興味深いですね。

また、オイルショックによる生産コストの上昇、それに伴う競争力の低下、同時にナイキのような新時代を象徴する競合の出現により、多くのキャンバスシューズブランドが70年代に姿を消したという点も興味深いです。80年代生まれのわたしが生まれる前にはすでにピークを迎えて滅びていたという訳です。こうして歴史を振り返ると現在コンバースがナイキの傘下にある事が若干皮肉っぽく感じられなくもありません。

現状ではバルカナイズド製法のローテクスニーカーブランドと言えば、主にコンバースとVANSという印象がありますが、過去には色んなブランドが群雄割拠していた時代があり、オイルショックというグローバルな外的要因に翻弄されて、淘汰の末に今があるという事が分かりました。

わたしが運営するスリッポン専門スニーカーブランドのSTANCLAN(スタンクラン)もバルカナイズド製法のスニーカーブランドとして産声を上げてから1年半が経ちました。この間にもコロナやウクライナ問題など、刻一刻と変化する社会情勢があります。過去の教訓に倣って、淘汰されぬよう、気を引き締めて取り組んでいきたいと思います。

よろしければ、オンラインショップを覗いてみてくださいね。

それではまた。

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