映画ボーダーライン、原題の"SICARIO"と邦題の"BORDERLINE"、この違いに込められている意味

FB:1月14日 ·

最近調べている映画ボーダーラインのコメントに下記のようなものがありました。

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原題の"SICARIO"と邦題の"BORDERLINE"、この違いに込められている意味も考えると更に良い映画だと感じる。

原題の"SICARIO(暗殺者)"は『誰が敵か味方か分からない、常に周りを疑わなければいけない状況と環境』、邦題の"BORDERLINE(境界線)"は『過酷な環境で暮らす人々の様々な葛藤と生死の線引、善悪との線引、非情になり人としての一線を超える』という意味が込められている
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とのこと。
映画のテーマは、アメリカとメキシコ国境で巻き起こる麻薬戦争の闇を、メキシコ麻薬カルテルを撲滅すべく召集された女性FBI捜査官の目線で描いたものですが、

麻薬戦争という目立つキーワードだけはなく

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・誰が敵か味方か分からない、常に周りを疑わなければいけない状況と環境

・善悪との線引
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についてもポイントにあり、今の日本もこの点はかなりリンクしていると言えます。

例えばガーシー問題については、様々な彼が起こした問題の線引きについてどう考えるのかということがあるのではと思います。

自身の地域の岐阜(市)もマフィアが入っているのか?(それとも元からいたのか)ということを感じ、犯罪のマフィア化が進んでいるように感じ(自分はそれを強く実感した)対処が必要なレベルだと思います。

メキシコとは問題の次元が違えども、誰が敵か味方か分からない、常に周りを疑わなければいけない状況と環境に置かれている人も結構いると思います。

政治(政治家、政治従事者など)と反社はつながっているとよく言いますが、改めてそれを実感する昨今です。

そろそろ、そういった深い問題についても洗い出して改善して欲しいと思います。


参考情報


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