クーベリックのベートーヴェン交響曲全集

名指揮者ラファエル・クーベリックが9曲それぞれを、9つのオーケストラを指揮して録音したベートーヴェン交響曲全集。ライブ録音を寄せ集めしたのではなく、企画当初からセッション録音を前提としたものは、これが最初で最後ではないだろうか。

1971年から1975年に録音されたものだ。シャルル・ミュンシュ、ジョージ・セル、オットー・クレンペラーといった巨匠たちが鬼籍に入り、カール・ベームは既に大巨匠。ヘルベルト・カラヤンやレナード・バーンスタインなどが大スターとして人気を盤石なものにしていた時代。正に時代は東西冷戦の真っ只中である。カラヤンはバーンスタインは西側出身だが、クーベリックは東側から亡命した経歴ゆえ、シカゴ時代のような不遇な時期を経て、1961年にバイエルン放送交響楽団のポストを得るまで、かなり遠回りしているように感じる。しかし、それまでの間に数多くのオーケストラを指揮し着実に実績を残してきた。既にその頃には、ウィーンフィルとブラームス交響曲全集、スメタナの我が祖国など録音し、高い評価を得ていることからも伺える。9つのオーケストラを振り分けるというタフなしごとができるのは、彼のような苦労人だからこそできた仕事ではないかと推測する。

では、交響曲全集の中の一曲だけを演奏するオーケストラ側は、すぐにこの企画に乗ったのだろうか?当然録音した演奏は最終的に全集として纏められ、否が応にも、他のオーケストラと聴き比べをされることになることは容易に想像がつく。誇り高い名門オケは、このような企画は断りそうなものだが、天下のウィーンフィル、ベルリンフィル、コンセルトヘボウといった名門中の名門がここに参加している。この企画が成立したのは、クラシックの名門レーベルであるドイツグラモフォン社であればこそ実現できたことたまろう。また、クーペリックという指揮者がいかにか各国のオーケストラから尊敬されていたかの証でもある。

セッションにおけるオーケストラ団員も気合が入って演奏しただろう。うちのオケが一番イイ演奏したるぜ!という気概に満ちていたに違いない。実際に聴いてみると、どの演奏もルーティンワークのような手抜きが感じられない。セッション録音らしい手堅い演奏ではある一方で、ライブのような瑞々しさもある。

クーベリックの思惑もそこにあるのかもしれない。彼にとってみれば、既に良好な関係を築いているバイエルン放送響と全曲録音するのが自然な流れだし、むしろ、その方が彼のやりたい音楽が隅々まで伝わっただろう。しかし、この録音を聴くと、どのオーケストラにも、クーベリックの意思が細部まで行き届いていて、オーケストラは彼の楽器になっている。

オーケストラの選択も納得できるものだ。第1番のロンドン響。カール・ベームとも良好な関係にあったこの団体、少し無骨で古典的フォルムのこの曲にピッタリだ。贅肉のない直截な表現は見事。第2番はコンセルトヘボウの上質な音色が曲にとてもマッチしているし、ソロ楽器の音色も堪能できる。気品に満ちて流麗だか引き締まっていて、極めて上質な音楽だ。第3番はカラヤン時代のベルリンフィルだが、実に剛毅でマッシブ。ゴージャスなサウンドで、曲のスケール感を充分表現している。カラヤンよりも穏和な表現だが、ここ一番で見事なトゥッティを聴かせるあたり、流石はベルリンフィルだなと思う。第4番のイスラエルフィルは弦楽セクションの優秀さで有名だが、美しいだけでなく、切れ味抜群のスケールの大きい演奏。クーベリックらしさがよく出ている。第5番はボストン響のメンバーが実に熱っぽく演奏している。ホールトーンは少なめで堅い音色。落ち着いたテンポで重心が低く引き締まった剛毅な音楽だ。第6番はパリ管。ドイツ的な重厚サウンドの対局にある鮮やかな色彩を基調とするオーケストラだが、これが田園風景を描き出すのに実に効果的だ。ウィーンフィルとの第7番、当然ながら悪かろうはずもない。トゥッティの豊かな響きはこのオケならでは。実に伸び伸びと演奏していて爽快。第8番にクリーヴランド管を選んだのは、クラシックファンにはピンとくるはず。オケの精緻な機能性を求められるこの曲には、長年ジョージ・セルに厳しく鍛えられてきたこのオケこそ相応しい。そして、盟友バイエルン放響との第9。エネルギッシュで引き締まった音楽で、ギュッと凝縮された表現。手兵とこの全集を締めくくることで、彼らとの絆を内外に示している。

クーべリックのベートーヴェンは実に堂々として雄弁だ。オーソドックスな解釈に思えるが、よく練られていて、実に細部まで丁寧に音楽を作っている。スケールが大きいものの散漫にならず、どちらかと言えば切れ味が鋭い音楽なのだが、旋律を伸び伸びと歌わせ、窮屈さや神経質なところはなく、おおらかで健康的だ。基本的に自然体な演奏なので、普通に聴こえてしまうが、9曲とも非常に高水準。オーケストラは実力を存分に発揮し、熱っぽく演奏をしている。それもクーベリックの狙い通りなのだろう。ラファエル・クーベリック、恐るべし。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?