見出し画像

文顯進・郭全淑夫妻が「真の父母の責務を継承」される意味

家庭連合の食口は、「顯進様が真の父母宣布をされた」と説明されているそうです。
「真の父母宣布」という言葉の使用に、私は悪意すら感じます。
「愛の減少感を超えられなかったカインの主管性転倒」のような、否定的なニュアンスが含まれているからです。
家庭連合の食口は、自分の眼で確かめることもせずに「カインの主管性転倒」だと確信できるのでしょうか。

私の知る限り、文顯進会長がFPAで「真の父母宣布」をされたことはありません。代わりに伺っているのは、「真の父母の責務(mantle)を継承する」という控え目な表現です。

mantleという言葉は、旧約聖書の預言者エリヤがエリシャに、外套(マント)を継承したことを彷彿させます(列王記上19章19)。
文鮮明師が使命を完遂できずに霊界に逝かれたので、息子である自らがそれを継承しようという覚悟が伺えるのです。

顯進会長の祈祷からは、mantleという言葉を使うまでに深い葛藤を乗り越えてきた様子が伺えます。
神の前に「真の父母」が離婚の危機にあるという記事で書いたように、「韓総裁の責任不履行=文師の(夫婦としての)使命未完遂」を意味するからです。

FPAの中にも、「顯進様はいまでも、お母様が元の位置に戻られることを諦めておられない」と希望的観測を持つメンバーがいます。
しかしあらゆる可能性を想定する顯進会長からすれば、最悪の事態(韓鶴子総裁が過ちを悟れないまま霊界に逝く)にも備えて準備をしなければなりません。

現在FPAでは文鮮明・韓鶴子夫妻の尊影は掲げず、敬拝は無形の神様のみに捧げるよう指導されています。
しかし公式には文顯進・郭全淑夫妻の写真を尊影として配布されていないので、まさに摂理が延長するかどうかというギリギリのところにあるのかもしれません。

知的誠実さ(intellectual honesty)や道徳的権威(moral authority)を信条とする顯進会長が、たくみな言い回しで家庭連合の食口を騙そうとしているのではありません。
日本語ではmantleという言葉を「責務」と訳しましたが、これはそもそも顯進会長の「真の父母」に対する理解を象徴しています。
真の父母は無条件に崇められる宗教権威でもなければ、信者が唱えれば天国に入れるお題目でもありませんでした。
全人類を嘘偽りなく救済する、責任のことだと理解されているのです。

「嘘偽りなく」救済することがどれだけ困難か、聖書歴史を振り返るだけでも十分でしょう。
文鮮明師はイエス・キリストから召命された際に、その責任の重さに一度は辞退されました。
晩年の文師は神学部の学生たちを前に、「先生にとってエバを育てることがどれだけ困難だったか・・・」と自らのご事情を吐露されたそうです。
それが韓総裁の逸脱を預言することになろうとは、誰が予想できたでしょうか。

家庭連合の食口にとって韓総裁の失敗(の可能性)に言及されることが、子供が両親に離婚してほしくないような反発を招くと書きました(神の前に「真の父母」が離婚の危機にある)。
しかし「真の父母論」を学んでその深刻さに気付いたのであれば、感情的な不安を超えて冷静な対応をしてほしいのです。

分裂した真の家庭の中で誰が、自らの宗教権威を高めることではなく神様のみ旨を成就することに、責任を持とうとされているでしょうか。
私は自らの選択を自信をもって勧めることはしますが、最後に選ぶのは皆様ご自身です。

私はこれまで一度も、サンクチュアリや実体み言葉(駒場)などの他の分派を批判したことはありません。
彼らが彼らなりに祈り求めた、重大な人生の決断だからです。

しかし家庭連合に残る食口は、知的誠実さや道徳的権威よりも「(本部への)中心性」を優先してきました。
「本部に盲従してなどいない、真の父母様を愛しているのだ」と説明することで自分を納得させていますが、「メシア無謬主義」という非原理に縛られている自覚がありません(「メシア無謬主義」は日本統一教会独特の文化)。

最高裁による念書判決の差し戻しは、解散請求の外堀が完全に埋まったことを意味します。
韓総裁が真実に勝利されたのであれば、1000日を超える清平の徹夜精誠祈祷に答えがないのはおかしいでしょう。
私はかなりの確度をもって予想しますが、鈴木エイト裁判も家庭連合が敗訴すると見ています。

解散命令が確定するまで、僅かな猶予があります。
韓総裁と心中する覚悟で突き進んでも、そこには神様はもちろん文師すらおられないかもしれません。
どうか何も知らない子供たちに、本当のことを教えてやってもらえないでしょうか。

ゼデキヤの治世第九年の第十の月の十日に、バビロンの王ネブカドネツァルは全軍を率いてエルサレムに到着し、陣を敷き、周りに堡塁を築いた。 都は包囲され、ゼデキヤ王の第十一年に至った。その月の九日に都の中で飢えが厳しくなり、国の民の食糧が尽き、 都の一角が破られた。カルデア人が都を取り巻いていたが、戦士たちは皆、夜中に王の園に近い二つの城壁の間にある門を通って逃げ出した。王はアラバに向かって行った。 カルデア軍は王の後を追い、エリコの荒れ地で彼に追いついた。王の軍隊はすべて王を離れ去ってちりぢりになった。王は捕らえられ、リブラにいるバビロンの王のもとに連れて行かれ、裁きを受けた 彼らはゼデキヤの目の前で彼の王子たちを殺し、その上でバビロンの王は彼の両眼をつぶし、青銅の足枷をはめ、彼をバビロンに連れて行った。

列王記下25章1-7



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?