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【熱を伝えるインタビューリレー】第ニ走者: 徳田嘉仁さん (新たな「まちの診療所」を作る総合診療医・家庭医)

皆さんこんにちは!
熱を伝える場づくりグループの森です。

熱を伝える場づくりグループでは「熱を伝えるインタビューリレー」と称して、インタビュー記事の連載をしています。
前回は第一走者として、彦根市シティプロモーション戦略推進委員会会長の北川雄士さんにインタビューを行いました!

第一走者:北川さんの記事は【こちら
※第零走者として、グループメンバーのインタビュー記事も作成しました。
よろしければ【こちら】からご覧ください

今回ご紹介する第ニ走者は、地元稲枝で「まちの診療所」づくりのために活動されている総合診療医・家庭医の徳田嘉仁さんです!

第二走者:徳田嘉仁(とくだ よしひと)さん
「"生"について真剣に考える遊び場」をつくりたい!

▲「まちの診療所」について、とても丁寧に熱く語ってくださいました。

現在は大阪や京都で医師としての研鑽を積みながら、滋賀で様々な活動をされている徳田さん。
専門の総合診療医・家庭医は、病気を身体だけでなく心や社会の視点からも見る職業だそうです。
将来、稲枝にあるご実家の診療所を継ぎ、新たな「まちの診療所」を作るために、さまざまなイベント・企画をされています。
今回はそんな徳田さんの活動や目標についてお聞きしました!

Q:作りたい「まちの診療所」とはどんな場所ですか?

A:「病気になってから行く場所」ではなく、「気軽に立ち寄れて、楽しくて、美味しい場所」、「ポジティブな感情で人が集まる場所」「ただ、なんとなく居続けたいと思える場所」、そこがたまたま診療所だった、という場を地域の方々に提供したいと考えています。

多くの人は具合が悪かったり、病気になったりしていても我慢しがちですが、少しのアドバイスで状態を改善できることが多くあります。
でも、診療所って、やっぱりどこかハードルが高いし、すぐに受診するとはなかなかなりません。
私は、日常の中で、身体の不調を感じたときに、我慢しないといけないという状況がなくなるようにしたいと考えています。

写真提供元:アンダンチ(https://andanchi.jp/)

▲徳田さんが考えられている計画の一部(1)。
徳田さん「待合室をカフェにしたり、広い庭をつくってヤギを飼ったり、漫画を置いたり、近所の中学生が勉強できるような学習スペースを用意したり、とにかく”人が滞在したくなる”色んな仕掛けを用意したいです

A:また、”生きること”や、その表裏一体である”死ぬこと”について、決してネガティブな部分だけではなく、日常のなかで当たり前に一緒に考えていけるようにもなりたい、そんな場を提供できる診療所にしたいとも思っています。
例えば、高齢者住宅や保育園などを併設し、多世代が分け隔てられることなく衣食住をともにする、そんな場を立ち上げていくことも構想の一つに入っています。

多くの方が自宅でお亡くなりになることの方が多かった一昔前の昭和初期、そこでは家族が「生きること」そして「死ぬこと」という意味を考えさせてくれる場であり、命の巡りを識るための機能の多くを担っていました。
ところが今は、病院機能が発達しほとんどの方が病院で亡くなるようになりました。
また家族という機能もより効率化された核家族が多くなったことで世代間の交流は減っています。
これは、社会自体の変化に合わせた理にかなった効率的な動きだと感じる一方で、”命”について日常の中で考える機会については、減ってしまっているようにも思います。
そんな時代背景の変化の中で、私は”家族”というコミュニティからさらに拡げた、”地域”のなかで「生きること」について考える場を創出したいと思うようになりました。
その”地域の機能”の一部として、新たな「まちの診療所」という場が立ち上がればいいな、と思っています。

そして多世代の人たちが集う場を立ち上げ、世代や存在を分け隔てることのないコミュニティとなり、どの世代であっても安心して暮らし、亡くなる瞬間までみんなと一緒に”生きていける”・・・そんな場にしていきたいです

Q:その案ができたきっかけを教えてください!

A:昔、沖縄の離島で救急救命医をしていたことがあります。重傷者が発生すると離島では対応できませんから、患者さんをドクターヘリを使って本島へと搬送することもあります。
ところが、ヘリに患者さんを乗せていると、島の人たちに「ヘリかね」と聞かれたことがよくありました。私は「ヘリだよ。でないと、助からないから」と答えていました。
自分自身は「ヘリコプターが来たよ」という意味でそう答えたのですが、あとから、指導医の先生に「島の人たちのいう『ヘリかね』という言葉の意味は『もう私は、(生まれ育ったこの)島には帰って来られないんですか?』という質問の裏返しなんだよ」ということを教えてもらいました。

(ヘリで搬送された患者さんの一部は、離島で生活できる体力を回復することが出来ず、家族のいる本島や施設でその後の人生を過ごさざるをえず、島に戻ってこないこともあったため)

そこで初めて、私が当然のように”命”を守るために行ってきた行動は、実は患者さんの”生活”から無理やりその方を切り離す一言になっていたのだ、ということを知りました。
もちろん、命を助けるためにヘリ搬送というのはとても重要な手段(ライフライン)であり、もう一度離島に救命医として戻ったとしたら「ヘリを呼ぶ」という選択を否定することなく救命のため全力でその手段を活かし治療にあたると思います。ドクターヘリ自体の意義を否定するつもりは全くありません。

しかし、離島でのこの経験から、私が医師として守りたいのはその人の生命だけではなく、生命の先にある「生きるすべてだ」と思うようになりました。「生」という字から例を出すならば人生や生活のことです。

そして、実家の診療所を継ぐことになった時には、「生きる」ことを守るために、「生」について真剣に考えられる場所を作りたいと思うようになりました。

写真提供元:銀木犀(http://www.ginmokusei.net/

▲徳田さんが考えられている計画の一部(2)。
徳田さん「例えば、駄菓子屋を作るとして、そこの店主は高齢者住宅のおじいさんがするとか。子どもが買い物に来たら、おじいさんが自由に値段を決めるんです(笑)そうやって皆に役割がある場所を作りたいですね

Q:ちなみに、高齢になっても自宅で暮らしたいという方に対して、何か考えていることはありますか?

A:元々、訪問診療を広げていきたいとは考えていました。
ただ訪問診療(在宅ケア)は、本人の意思を守るだけではなく、一緒に住んでいるご家族など、関係者の意思も合わせて総合的にプラスになるようにしないといけません。

 高齢者施設を作ろうとしているのは、ただただ居住空間をたくさん用意したい、というわけではなく、その人たちがやりたいことをできるようにするサポートの手段の一つです。
高齢者住宅は、住んでもらうことのほかに、双方の介護疲れや急に状態が悪化した時の一時避難所のような形で運営できたら、とも思っています。

Q:今後の展望を教えてください!

A:現状、課題はかなり多いですが、まずは「美味しい、楽しい、居心地がいい」から始まる場づくりを始めていっています。


実際動いている内容としては、2022年3月から今後継承予定である父の診療所敷地内で、月1回マルシェを開いていきたいな、と画策中です。
その練習として、先日「自宅に庭にキッチンカーを呼ぶ」なんていうイベントもやったりしました。笑

徳田さんのご自宅の庭にキッチンカーを呼んだ時の一枚

「診療所の中でマルシェ」は実現にむけて、まだまだ調べたり準備することがたくさんあり、本当に出来るかはお約束できないのですが・・・もし実現したら、皆さんぜひ、遊びにきてください!

あと、大切にしていることがあって、、、とにかく自分のやりたい!楽しい!と思えることを第一にしたいですね。
「社会のため」「地域のため」から始めてしまうとしんどくなってしまったり、つらくなっていくことがあると思います。でも、自分のやりたいこと楽しいこと、なら自分が決めたことだから、しんどくなりませんし、自己責任です。笑
そして、その”自分の楽しい”が結果的に社会や地域に還元できていけばいいなと思っています。

『まずは、”Meet the self”から。自分の内なる声をしっかり聞いて、自分のしたいことをはっきり声に出す。それがMeet the peopleとなって周囲の人たちを巻き込み、巻き込まれた人たちとともに社会を変えるうねりになる(= Meet the society)』
これは「リーダーシップの旅」という書籍からの丸パクリなんですが。笑
とても大切にしていきたい言葉で、自分のやりたいことがまずあって、それが人々をまきこみ、そして社会のためになる、ということが一番いいと考えています。

Q:最後に一言お願いします!

A:スタートアップは得意なのですが、継続することが少し苦手です(笑)
なので実行してくれる仲間や伴奏してくれる人を探しています!
一緒にやりたい人がいたら、ぜひ僕に声をかけてください!

▼徳田さんの活動を記録するNOTEがこちら

徳田さんは取材中、『自分が生きていく中での経験がやりたいことにつながり、それを丁寧に言語化する事で形になります。皆さんにも、なによりも自分の声を大切にしてほしいです!』 とエールを送ってくださいました!
私たち委員会も、徳田さんから目が離せません!
これからも活躍を応援させていただきたいと思います。

* * * * *

次回、インタビューをさせていただく第三走者は、原田絢子さんです!

原田さんは、徳田さん曰く「"自分らしく笑顔になる"をテーマに産後ケアの活動を続けておられるママ活動家!ママとママをつなげ、笑顔を拡げていくことで、お母さんたちが過ごしやすい街になるよう色々なわくわくを創出してくれています!」とのこと。

次回の「熱を伝えるインタビューリレー」もお楽しみに!

writer : 熱を伝える場づくりグループ 森

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