見出し画像

#50_人ではなく仕組みを責める

人を責めそうになったら、ちょっと一息ついて、仕組みを責めてみる。そんな考え方ができるようになったらいいなと思うことがあります。

たとえば、学級で。

授業中、一部の子どもたちがおしゃべりをしてしまい、先生の声が聞こえづらかったり、先生から注意されて授業が中断されてしまったりすることがあります。おしゃべりをせず、静かに授業を受けていた子どもたちからすれば、とても迷惑なことです。授業をしている先生から見ても、授業を中断しなければならない状況はよくありません。こんなとき、「おしゃべりしている人が悪いんだ。おしゃべりしている人に問題があるんだ」と考え、おしゃべりをしている子どもたちを指導することがあります。それ自体は、とても日常的で、当たり前だと思えるものです。

別のアプローチもあります。「おしゃべりをしてしまうような仕組みに問題があるんじゃないのか?」と発想するアプローチです。もしかすると「やることがわからずに、おしゃべりするしかない」という状況なのかもしれません。そうであるならば「やることをもっとクリアに伝える仕組み」を発明することによって「おしゃべり」を減らしたりなくしたりすることができるようになるかもしれません。もしかすると「やることが早く終わって、手持ち無沙汰になったから、おしゃべりでもしようかな」という状況なのかもしれません。そうであるならば「次なる課題・発展的な課題を用意しておく仕組み」を発明することによって「おしゃべり」を減らしたりなくしたりすることができるようになるかもしれません。

人を責めるのではなく、仕組みを責める。

そうすることで、問題は「個人化」されず、「社会化」されます。「個人化」された問題を解決するのは「個人」ですが、「社会化」された問題を解決するのは「みんな」になります。

人を責めるのではなく、仕組みを責める。

人を責めそうになったら、ちょっと一息ついて、仕組みを責めてみる。そんな考え方ができるようになったらいいなと思うことがあります。

授業をしている私自身も、授業がうまくいかないとき、すぐに子どもたちのせいにしてしまうことがあります。一方で「まだまだ授業がうまくできないなあ……」と自分のせいにしてしまうこともあります。これはどちらも「人を責める発想」です。そうじゃなくて、やっぱり、「仕組みを責める発想」を持ちたいものです。授業がうまくいかないのは、子どもたちのせいでもなく、私自身のせいでもなく、授業の仕組みの問題なんだ、と。どんな仕組みの授業をつくったらうまくいくのか。そんな発想を大事にしたいものです。

ちなみに、手前味噌ではありますが、50分の授業時間の冒頭15~20分を「自己調整の時間」にしています。これまでは「①前年度の復習」「②前時の復習」「③本時の予習」を時間を区切りながら、みんなで一斉に取り組むようにしていましたが、個人差があり、早く終わった子どもたちが暇そうにしていたり、逆に中途半端になってしまう子どもたちがいたりしました。「15分の中で、③本時の予習はがんばって終わらせよう。①前年度の復習と②前時の復習は、自分に必要かどうかを見極めて取り組んでみよう。」というチャレンジをしています。

人を責めそうになったら、ちょっと一息ついて、仕組みを責めてみる。

「個人の問題として処理されそうなことを、みんなの問題として引き受けようとする姿勢」を持ってみようと思います。そうすると、ちょっと気楽に、一歩引いた気持ちで、今日も仕事に行けそうです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?