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#31_イメージの解像度を上げる

学校には「教育目標」や「目指す子ども像」があります。それらは「言葉」によって表現されます。そしてほとんどの場合「反論不能」です。たとえば「心豊かな子どもを育む」という「目指す子ども像」があったとして、「心豊かな子どもを育むとは何事だ!」と反論する人はいないでしょう。このように、言葉によって表現される「教育目標」や「目指す子ども像」は「反論不能」です。

それゆえ、「反論不能」は「思考停止」につながりかねません。その意味で、「教育目標」や「目指す子ども像」の取り扱いには細心の注意が必要です。

「心豊かな子どもを育む」という目標を設定している学校があったとしましょう。この学校で働いている先生たちに「心豊かな子どもって、いったい、どんなイメージですか?」と問うたとき、そこで返ってくる答えの「解像度」と「共有度」が問題です。

おそらく……おそらくではありますが、「あまり高くない(ちょっと/かなり)粗い解像度」になっていることが多いのではないかと推察しています。

おそらく……おそらくではありますが、それぞれの先生たちがもっているイメージがバラバラになっていることが多いのではないかとも推察します。

さらに言えば、「先生たちがもっているイメージ」と「子どもたちがもっているイメージ」が異なっていることもあるのではないかと。もうちょっと踏み込んでいえば、「学校の教育目標」や「目指す子ども像」それ自体が、子どもたちと共有されていない状況もあるのではないかと。

もしも上記のような状況が日常的になってしまった場合、「学校の教育目標」や「目指す子ども像」は、まさに「額縁に入れられただけの言葉」になってしまうはずです。すると、学校は、先生たちは、子どもたちは、「目指すべき北極星」を見失ってしまいます。これからやろうとしている教育活動が「よい」のかどうかを判断するための軸を見失ってしまいます。これまでやってきた教育活動が「よかった」のかどうかを判断するための軸も見失ってしまいます。

「言葉にこだわりぬくこと」

教育と言葉は不可分です。

「ナスビの学校」をつくるにあたって、あらためて、この原点に立ち返ってみたいと思います。



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