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今夜も召し上がれ 第12夜
第12夜 パリパリ羽根つき餃子
俺の家では、そういうものは父親の料理だった。
そういうもの、というのは例えばお好み焼きだったり、羽根つきの餃子だったり、そういうパリッと焼き上げる円形のもので、買い出しから父親と一緒に行っていたように思う。常日頃料理の大部分を母親が担っていた我が家では、それはある種のイベントだった。
学校帰りのスーパーも、もはや日課になった。
もやしや朝食のパンをかごに放り込み、うろついていたところ目に入った「2割引き」シール。ただでさえ安い餃子は、まだ5時を回ったところだというのに、可哀想に、全てが割引になっている。
しばらく餃子も食べてない。
独り暮らしをしてから、というのはもっともなのだが、それだけではない。もっと前から……、もう何年もである。家で餃子を食べていないような気がする。ラーメン屋で頼んだり、定食屋で頼んだりしたことは何度となくあるのだが、なぜだろう。
「…………」
そうか、俺が高校生になった頃から、いや、その前からだ。父親は忙しかった。ずっと忙しかった。忙しくなくても、家族のために台所に立つ日などなかった──ように思う。
だからどうというわけではないけれど。
2割引きの餃子を2パック、かごに放り込んだ。
買ったものをすべて冷蔵庫に放り込んでから、しばらくごろごろと怠惰を貪り、ココアを溶かした牛乳で当座の英気を養う。
牛乳も好きだが、ココアを溶かした牛乳はもっと好きだ。顆粒タイプのココアが広く出回る夏は生活に対する満足度が上がる。一年中置いてくれたって買うのだが。
ある程度やる気が回復したところで、夕飯作りである。今日は餃子だ。それも羽根つきの。
あとは焼くだけという、チルドの餃子は忙しい母が、よく野菜スープの具にしていたものだ。まあそれを世では水餃子というのだろうが、あれ好きだったな、と思いつつ、1パックはすべて、もう1パックは半分残してフライパンに並べる。
この半分は冷凍しておいて、今度野菜スープの具にしてやるのだ。
丁寧に、アマミホシゾラフグのミステリーサークルのように餃子を並べ、それから火をつける。
今日の弁当箱を洗い、水切りかごと食器棚を兼ねた吊り下げ収納に並べる。これで食器を拭くという家事を省略できる。
めんどくさいとはつまり、最強の行動原理であると、どこかの偉いひとが言っていた。
とかなんとか思っていると、フライパンのなかが充分に温まり、焼ける音がし始めた。
「うん、いい音」
人間は本来、この焼ける音に食欲をそそられるんだろうな、これはもはや本能だろうな。
電子レンジが、ご飯が炊けたと告げる。
「餃子、焼ける頃にはご飯もいい感じに蒸らせてるな。段取り天才か」
マグカップで作っておいた水溶き片栗粉を回し入れ、また蓋を閉める。
「あれ、餃子ってターンオーバーだったか?まあいいや」
どうでもいい話だが、目玉焼きはサニーサイドダウンが好きだ。焼き加減も、名前も。
激しかったフライパンのなかの音が大人しくなったら蓋を開け、水分を飛ばす最終工程に入る。
泡立つ水溶き片栗粉が、あの歯応えを持つ羽根になる。すなわち孵化だ。
ああ、作ってしまえばこんなにも、容易いというのに。
フライパンのなかがからりと固い音に変わったのを確認し、火を止める。スーパーで1000円だったこのフライパンは、2ヶ月やそこらで音をあげるとは思わないでよ、とでも言いたげにするりと餃子を皿に放り出した。
ぴったりお皿と同じ大きさの、羽根つき餃子。
炊いたご飯の半分をどんぶりによそい、マグカップに麦茶を注げば夕飯は完成だ。
この間、鶏モモ肉の唐揚げずを作っていたら焦がした箸で、その羽根を砕く。真ん中から、一思いにばりっと。
「いただきます」
俺の手による、俺のためだけの羽根つき餃子。
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