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プラセボの決断(3)

しかし、伊丹行きのANNでは危なかった。G列3番という前方の席が予約できて幸先いいなと思ったら、急にあんな揺れが来て、危うくウィッグが取れるかと思った。

大阪へ出るにあたって、ちょっとだけ頭を整えて行こうと思い、一か月前に通販で購入したウィッグ。購入者のコメントを読んでいくとみんな好評だったので、変に安かったけど大丈夫と思って買ってみたけど、やっぱり安いだけあった。ウィッグの毛量は思ったより少なく、留め金は小さなクリップでパチッと何か所かおさえるだけの簡易的なものだった。あまり激しい動きはせず、気を使ってはいたが、突然の飛行機の揺れはどうにもならない。

でも、頭頂部へのこんな細かい配慮とはもう少しでお別れだ。明日から始まる大阪での短期バイトは日当二万円、梅田の再開発に携わる土木作業だ。人手不足の折、未経験にも関わらず、かなり優遇された金額での募集となっているのが嬉しい。

会社のお盆休み中、こんな思い切った行動に出たのには、ちょっとしたきっかけがあった。

位牌の後ろに置いた遺影の写真は父が27歳の頃、家族でお花見に行った時に撮ったものだった。桜に負けないくらい、いや、それ以上の明るい笑顔でこちらを向いている。息子である俺、直樹はお花見に行った当時5歳。そして父はこの一年後、通勤中の電車内で気を失って倒れてしまい、心不全でそのまま旅立ってしまった。いきなりシングルマザーになった母だったが、女手一つで俺を育て、大学まで進学させてくれた。そして、今年の5月2日は父の23回忌だった。

23回忌で久々に会う親戚は、すでに年金生活に入っている年代が多い。そんな親戚がみんな口をそろえて「直樹はお父さんそっくりに成長したね。」と言う。息子だから当たり前なのだが、どうしてもみんなの視線が頭上に来ているように感じる。俺の身長は190センチなので、みんな俺を見上げる格好になるが、その見上げた視線は顔のあたりを通過して、頭頂部付近でピタッと止まる。そして、気づかれないように遺影の写真と見比べる。気づかれないようにという配慮が俺にはひしひしと伝わっているので、みんなが何を言いたいのかは分かっている。

ひとしきりみんな同じような挨拶をした後は、来た順番にゆっくりとお寺の本堂の椅子に着席する。椅子の数には限りがあるので、俺は正座だ。
そして迎えた13時、正座をする俺の目の前には、分厚い座布団の上で正座をするお坊さんがいる。その隣にはお寺の中で一番分厚い座布団の上に置かれた、大きな木魚がある。お坊さんがバチを手に取ったのを合図に、ありがたいお経が始まり、伴奏するように木魚が一定のリズムで音を出す。

今の俺の視界は、お経を唱えるお坊さんの後頭部と袈裟を着た背中と木魚で占められ、煩悩がどこかへ行っているような気分になる。お経が進むにつれ、お坊さんの声が心穏やかにさせるのか、お経の意味が分からないからなのか、理由は定かではないが、チーンと時々入る高音の鳴り物ではっと目が覚める。

3度目のチーンで目覚めたとき、目の前のお坊さんの頭の上に、ハエが止まっていることに気づいた。ハエは手をこすり出し、動きのないお寺の中で、唯一の生き物に見えた。

今年、俺は父の年齢を超える。父さんごめん、明るい父さんに似ているのは嬉しいのだけれど、俺はやっぱりなんとかしたいんだ。まだ、あがきたいんだ。

まず、お盆休みにできる時給の高い短期バイトを探す。そして給料が入ったらスマホで101の予約を入れる。そのためにはどんな仕事でも、俺は体を張って頑張る。そう決意したとき、ハエは手をこするのを止め、お坊さんの頭を離れて、ブーンと本堂の奥へ飛んで行った。

#創作大賞2024 #お仕事小説部門


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