見出し画像

プラセボの決断 (2)

梅田に来たらいつも利用する大浴場付のビジネスホテルの部屋に荷物を置き、備え付けの椅子に腰を落として、ふーっと深く息をはいた。

島本は大阪在住の柔道部の先輩と久々に会いたいと言っていたので、大迫さんとの打ち合わせ後はフリーにしてやった。俺もなんとなく一人でいたかったので丁度良かった。部屋には誰もいないはずのに、なんとなく人気のようなものを感じ右側を向くと、椅子に座った自分の姿が鏡に映っていた。反射的に右手が頭頂部に伸びた。

行きの機内でコーヒーを配りに来た男性キャビンアテンダント、タクシー運転手の男性、ホテルのフロントにいた外国人、カフェコーナーのサラリーマン二人組、そして背筋を伸ばしたウェイター。みんな胸を張り、自信ありげに見えた。

俺は身長168センチ、体重60キロと太ってはいないし、筋トレもなんとか頑張っている。が、最近頭皮から毛が日々卒業しているような気がして、そして卒業生が増えつつあるような気がして、誰を見てもつい、ちらっと頭を見るクセがついてしまった。

今日、大迫さんはヒールの高いパンプスを履いていたのか、俺より背は高く、打合せが終わって立ち上がったとき、おでこのあたりに視線を感じた。ただ、それだけのことだが、俺にとっては全てのことを繋げてしまうくらい、頭皮からの卒業生が増えていないか気になる。気にし出すと止まらないので、トイレで鏡を見る度に卒業していない在校生の様子を確認してしまう。毎日、何回も何回も。こんな自分が嫌になる。鏡を前にすると色々と考えすぎて、このまま頭を抱えて動けなくなってしまいそうだったので、わずかに残った力を振り絞って、椅子から立ち上がった。そして、ビジネスホテル近くの中華屋でラーメン餃子セットとビールのささやかな晩餐を済ませ、大きな鏡のある大浴場には行かず、部屋でシャワーを浴びて寝た。

翌朝、ビジネスホテルの枕には卒業生が11人いた。いちいち数を確認してしまう自分が情けなかったが、1本500ml税込み23万円の101さえ購入すれば全てが解決するのに、とも思ってしまった。

宿泊したビジネスホテルからは、伊丹空港行きの直行リムジンバスが出ている。このバスに乗り、朝入ったばかりのニュースをスマホでチェックするのが、梅田出張時のルーティーンだ。ただ、最近スマホを見ていると同じ広告ばかりが入ってくる。ニュースが読みたいのに、勝手に割り込んでくるいつもの広告には、始めにしょんぼりと下を向いた20代位のパーカーを着た男性が出てくる。そこへ黒猫がやってきて、男性になにやら耳打ちする。次の瞬間、男性の頭の毛が一気に膨れ上がり、頭の倍くらいの大きさになる。そこで黒猫が「すごいにゃ、101」と書かれたプラカードを男性の横に出す。プラカードの文字は「対面販売のみ、ご予約はこちら」の赤い太文字に変化して、点滅を続ける。この広告を何度目にしたことか。

実は、取引先の銀行に行く途中の地下街に101の札幌店はあり、広告と同じくらい何度も目にしている。いきなり店舗閉鎖になってしまったら気持ちの行き場に困るので、店舗の前を通ったときは、お客の入りや店舗の雰囲気をチェックしている。「101すごいにゃ」という黒猫のおかげか、若いお客をよく見かけるが対面で売りたいというのは、うちの会社と同じ方向性であると勝手に親近感を持っている。

欲しい物を手に入れるのに時間がかかると、自分の物になったときの高揚感はその分、増すだろう。欲しい物を即、その場で手に入れた場合でも、即効性が気持ちを高揚させるだろう。とにかく、ごちゃごちゃ考えずに、さっさと101へ予約をすればいいだけの事なのだが、変化を受け入れる勇気がないのか、予約を入れると自分の悩みを正面から認めたことになるのが悔しいのか、なかなか素直になれず、プラカードを持った黒猫を見る回数ばかりが増えている。

札幌に戻ってきた翌日、大迫さんから早速メールが届いていた。なんと「もみじ」1000袋の追加注文、そして今後は毎月500袋定期的に購入したいとのことだった。いくらカリスマトリマーとはいえ、発注しすぎじゃないか?とは思ったが、ポメ丸が一心不乱に「もみじ」を食べている姿を思い出し、パソコンで在庫があることを確認した後、同じ敷地内にある工場へと急いで向かった。工場長に大迫さんの大量発注の話を一早く伝えたかったのだが、あいにく工場長は猟師としてヒグマ駆除に駆り出されて留守だった。取り急ぎ、工場長にはLINEで伝えることにした。

元々うちの「もみじ」は、エゾシカ駆除で発生したエゾシカ肉を加工してできた商品だ。エゾシカは国内では北海道のみに生息する鹿で、オスの体長は大きいものは190センチ、体重150キロ、メスはオスより少し小ぶりという程度で、いずれにしても本州の二ホンジカに比べると大きい動物である。2メートルを超える柵を飛び越えてしまうほどの跳躍力があり、泳ぐこともできる。木の芽やドングリを食べる草食動物で基本的には大人しいが、個体数の増加にともない、農作物を食べてしまう被害が多くなり、年間約14万頭駆除されている。そして、駆除したあとのエゾシカの活用方法が近年課題となっていて、食肉として加工する施設も色々な場所にあるが、ペットフードとしての加工から取り組むケースも多いらしい。農林水産省も現在、鳥獣被害防止対策交付金まで用意して、エゾシカを含めたシカやイノシシといったジビエの活用をすすめようとしている。

そういった世の中の流れもあり、エゾシカのペット用ジャーキーへの加工は珍しい話ではないのだが、猟師が工場長を兼任しているのは他では聞いたことがない。工場長自らエゾシカを射止めてすぐに加工する新鮮さが「もみじ」の一番の売りであり、生命線でもある。ジャーキーになってしまうので鮮度は関係のないように思えるが、嗅覚の優れている犬たちにとっては、どうやらそうでもないらしい。商品試食会に集まってもらった近所の犬たちが、奪いあってまで「もみじ」を食べている様子を見て確信した。エゾシカから「もみじ」に仕上げる一連の流れがどこよりも早くできるのは、ひとえに工場長のお陰で、本当に感謝している。

工場長の山本英雄と出会ったのは、7年前になる。俺がまだ札幌で製薬会社の営業社員として働いていた頃、営業成績がなかなか伸びず、疲れ果てていたことがあった。ある日、営業先の病院の先生に
「顔色があんまり良くないね。ちゃんと食べてる?」と声をかけられた。
「お昼にちゃんと、牛丼食べましたよ。」
「あ、そう。牛肉もいいけど、鹿肉なんかも鉄分が取れていいよ。」
と世間話程度に先生がアドバイスしてくれた一言を真に受け、その日の晩は鹿肉を食べに行くことにした。今思うと、本当に疲れていたのだろう。

調べてみると鹿肉料理はステーキ、ハンバーグ、シチュー、ローストなど、思っていたよりも種類が豊富であることが分かり、鹿肉料理を出すお店も自宅の近くに一店舗あった。それが山本英雄が店長を務める、ジビエレストラン「もみじ」だった。

せっかく食べるのなら、鹿肉本来の味がしっかり分かる料理がいいと思い、「もみじ」でエゾシカ肉のステーキとスペアリブのローストを注文してみたところ、自分の味覚が牛肉よりもエゾシカ肉好みであることに気がついた。スペアリブの骨までむしゃぶりついて、おいしく頂いたのち、テーブルでのお会計時「牛肉よりエゾシカ肉が好みだと今日分かった。」とお店の人に伝えると、大喜びで店長の山本英雄を店の奥から連れ出してきた。なんでも、「もみじ」で出されているエゾシカ肉は山本自ら狩猟して、食肉加工したものとことで、「エゾシカの骨までむしゃぶりついて喜んで食べてくれた人物に出会えて、心底嬉しい。」と言ってくれた。

そこから、山本さんは現在のジビエを取り巻く環境についてや、最近狩猟したエゾシカの話などをしてくれて、気づくとお会計の終わったテーブルで1時間ほど、エゾシカレクチャーを受けていた。一番気になったのは、駆除されたエゾシカのほとんどは、埋められたり、償却されて処分される話で、それをなんとか少なくしたい一心で、レストラン「もみじ」を始めたのだと、右手に力こぶを作って、山本さんは話し続けた。山本さんと一緒にお会計の終わったテーブルで話をしていると、鹿肉が鉄分があっていいよ、という事前知識の暗示のお陰だったのかもしれないが、体が熱くなってくるのが分かった。こんなに熱を持って話す人に触れるのは、本当に久しぶりで、今まで冷凍されていた人肉が解凍されるみたいに、一時間後にはすっかり俺も熱を帯びていた。そして、これからはエゾシカ肉の加工をもっと増やして、食肉用だけではなく、ペット用ジャーキーも作りたい、交付金を使って工場を広くすることを計画していると、ぽろっと言ってしまった山本さんの言葉を俺はしっかりと拾って、会社を退職することを決意した。

退職して1年くらいは、エゾシカ肉の加工工場で現場の手伝いをしながら、ペット用ジャーキーの試作を何度も繰り返し、株式会社ドギーラブを設立する見通しが立ったのは、山本さんと出会ってから2年後のことだった。

山本さんにさっき送ったLINEに既読が付いた。大迫さんの大量発注の話を知って、今頃驚いていることだろう。


#創作大賞2024 #お仕事小説部門

プラセボの決断 (1)はこちら https://note.com/goodlp/n/n079e84834321


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?