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私の中のモラ夫

発達弟との関係により陥ったカサンドラ症候群。この症状に悩まされていた当時、私は(妻いわく)動く肉の塊になっていた。感情を喪失し心が不在になるあの不穏な感覚を今も忘れない。多大なストレスにさらされた結果である。

幸い今は回復し、この通りnoteを書いたりTwitterを楽しんだりしているが、これまであまり言及しなかった出来事が一つある。それは、「当時の自分はモラ夫化していた」ということ。

今回は「モラ夫」について考察します。

私のモラ夫的素質

私の父はモラ夫だった。幼少からそれこそ成人するまでモラ夫の被害を受けながら、それを見て育った上に、父は「強い子に育てたい」という目標を持って私を育てた。結果、彼の願い通り私は強い子に育ち、無事に彼を退治した。

さて、被虐待児は親になって虐待を繰り返すという。この悲劇の再生産はモラハラも例外ではないだろう。つまり私はモラハラの資質を十分に備えているはずなのだ。

事実、カサンドラ症候群に悩まされたおよそ1~3年間は(とりわけそのうちの1年間は明確に)モラ夫化していた。

なぜモラ夫化してしまったのか。その原因を探る。

私のモラ夫ムーブ

妻に対して具体的にどのようなモラハラ行為をはたらいたかというと、記憶にある中で一番ひどかったのは、育児に追われている妻が私の朝食を作るのを拒否したときである。

当時、私は毎朝9時に職場へ出勤していた。朝食は摂ったり摂らなかったりだったが、摂るときは大体自分で用意していたように思う。しかしその日はなぜか妻に朝食を要求した。妻はちょうど2歳かそこらの幼い息子の世話をしていたと思う。そんな中で朝食を要求されたものだから、妻は「は?無理」と言った。

妻の言い方もよくなかった。これがモラハラの始まりというわけでなく、この時期は私のカサンドラ状態がもっともひどく、夫婦仲がもっともうまくいっていなかった時期であることを付け加えておく。妻も日ごろから何かしら鬱憤をためていたはずだ。

そんな妻の言い方に腹を立てた私は、「家事は金輪際頼まない。洗濯も一切いらん。自分のことは自分でやる。そっちも自分のことは自分でしろ」的なことを言ったように記憶している。

さらに妻によると、私はそのあと玄関を出るなり、玄関外に置いてあったものを蹴り散らかして出て行ったらしい(覚えていない)。明らかなDV行為である。

モラ夫の前科

自分にはモラ夫的資質があるとは思っているものの、これまで女性に対してモラハラ的な行為を行ったことは一度もない。もちろん妻に対してもそうで、モラ夫化したのは後にも先にもこの時期だけである。

これまた生育によるのか、モラ夫の父に理不尽な仕打ちを受ける母を見て育ったため、私はむしろ昔から女性に肩入れしすぎる傾向がある。父から母を守ったこともあれば、彼氏に暴行を受ける見知らぬ女性を助けたこともあった。いわゆるレディファーストとか正義漢とかそういう類で、結果的に人に優しい行動につながっているのでこれはこれでいいと思う。

ただ、そんな自分が短期間とはいえ妻に対してモラ夫化したからには、根が深そうなこの問題の原因を解明して再発防止に努めなければならないと思った次第である。

まして妻との関係は、その期間を除いてずっと良好であった。周囲から羨ましがられるほどのカップルorおしどり夫婦だったのだ。そんな良好な関係にもかかわらず、私はモラ夫化して夫婦関係が小さな危機に陥った。

危機感をもって原因を特定しておく必要があると思い、カサンドラ療養期間に自分がなぜそういう行動に走ったのかをよく分析した結果、以下のような結論に至った。

モラ夫化した原因

結論から述べると、私がモラ夫化したのは、カサンドラ状態になることでリソースを失ったことが原因である。当時は発達弟に毎日毎日追い詰められており、心身ともにリソースを奪われていただけでなく消耗し切っていた。

消耗した分の充足を妻に求めた結果、妻が十分に期待に応えてくれないことに腹を立てていわゆる八つ当たりをしていたのである。

どうやら人は追い詰められたとき、大きく分けて2種類の反応を示すらしい。1つは私のように、外部に攻撃性を向けて発散を試みるタイプである。モラ夫にはこういうタイプが多いような気がする。

もう1つは鬱屈した気持ちが自分自身に向き、無気力になったり鬱になったりするタイプである。こういうタイプは他害的ではないが自害的である。

いずれにしても私の場合は明らかなリソース不足が原因で、リソースを回復させることでモラ夫バーサク状態を脱した。モラ夫化を防止するにはリソースを確保し、健全なステイタスを維持することが重要な課題であると考えている。

また、この経験により良好な夫婦仲を保つために、妻との連携を深めることができた。

妻はどちらかというと、追い詰められると自害的になるタイプである。自害的な妻に対して私が他害的になると、妻が負担を一身に背負うことになる。これはよくない。

というわけで、その後私は自分の振る舞いを妻に謝罪したが、併せて今後の対策として、万が一にも今後私が再びモラ夫ムーブを見せたらそのときははっきりと指摘してくれるよう依頼した。

一度モラ夫を経験してそれを悔やんだ身である。指摘さえしてもらえれば我に返ることができると信じている(というか二度とモラ夫化はごめんである)。

モラ夫をやめられない理由

モラ化していた当時、私にその自覚がなかったわけではない。妻に辛辣な言葉を吐いた後になって「これは妻に対してあんまりでは?」と思うことがたびたびあった。

しかし当時の私はストレス過多で追い詰められている状態だったため、自分より妻を優先する余裕がなかったのだ。妻を尊重する余裕すらなかった。その結果、「いやいやでも俺はこんなに頑張っているし苦労もしているのだから、このくらい要求して当たり前だ」と、妻に八つ当たりしたり不当な負担を強いる自分を内心で正当化していたように思う。これが、モラ夫がモラ夫をやめられない原因ではないだろうか。

自分を救済するには、自分自身の不具合を正当化するしかない。こうしてどんどん底なし沼にはまっていくのだろう。

これは本人の資質や性格よりも、追い詰められているその状況や状態に諸悪の原因があるのではないかと思う。あんなカサンドラ状況では誰だってまともではいられないはず。カサンドラに限らず、過労状態にあったり会社でパワハラされていたりいじめられていたり、あるいは精神疾患を患っていたり障害を負っていたりなど、人により理由や事情はさまざまかと思う。

いずれにせよ共通しているのは、リソースに余裕がないということ、現状に不満を覚えていることではないだろうか。

狂った人は「もともと狂っている」のではなく、「狂うような状況や環境に身を置いている」のだろう。要するにストレスがすべての原因である可能性が高いと私は考えている。

これに気付いた私は、夫婦仲を修復するため抜本的に環境を変える必要があると考えた。カサンドラで病んでいたこともあり療養も必要だった。両方に対応するには、仕事をやめ引っ越して生活環境をリセットしつつ暮らしのコストダウンを図り、すべてを一から仕切り直す必要があると考え、それを実行した。

これが正解だった。

カサンドラの魔女から解放され、妻との関係が徐々に修復へと向かっていったのだ。

夫婦仲を修復できた理由

夫婦仲を修復できた理由は、大きく二つある。

環境を変え抜本的な対策をとったのが効果的だったのは明らかだが、それ以上に一つは妻が私の状態や状況を理解してくれたこと。もう一つは私が自分のモラ夫的な振る舞いを自覚していたことだ。

療養生活に入ってからも、しばらくの間はモラ夫的な片鱗があった。普段は穏やか(?)だが、ちょっとしたことでスイッチが入り(カサンドラのフラッシュバック)、急に不機嫌になったり情緒不安定になったりということをずっと繰り返していた。

幼い息子にも辛くあたってしまうことがあった。これはもう何度もひどい良心の呵責に襲われた。とても辛かった。

この時期、自分の状態が不安定になって家族に不快な思いをさせても、それを謝ることもできなかった。謝ると罪悪感や良心の呵責が肥大し、もっとよくない精神状態になることが容易に予想できたからだ。

なので、妻にはあらかじめ「心で悪いと思っていてもこういう理由でうまく謝れないと思う。ほんまにごめんやけど必ず立ち直るからしばらくは堪忍して」とお願いした。

妻はそれを寛容に受け止め、私の回復を待ってくれた。

こんな調子で、自分の中で何が起こっているのかを妻にまめに説明したのも、協力関係を保つのに効果的だったように思う。

メンタルはぼろぼろだったったが、思考はかなり冷静だった。こういう報告や相談を重ねながら、カサンドラ回復に向けて少しずつ歩んでいき、2~3年がたってようやく元の自分を取り戻すことができたのだ。

モラハラを再発しないためには

先述したように、モラ夫化を防止するにはまず、十分なリソースを確保することが重要だと考えている。つまりゆとりのある暮らしを送ること。

私の場合は仕事に追われ過ぎて余裕を失った結果である。仕事、人間関係、生活習慣、精神疾患、原因はさまざまかと思うが、いずれにせよストレスの原因となる因子をできるだけ人生から排除し、心身ともに余裕のある暮らしを実現することがモラ夫防止の唯一の手立てに思う。

つまり、人に優しくする前に、まずは自分自身が快適に過ごせる人生の実現を目指さなければならないということである。

今もまさにその道を歩んでいるところだ。

今の私は、以前に比べて断然ゆとりがあり、日々を楽しく快適に過ごせている。いろいろな苦労をともにしながら歩んできた結果、妻との信頼関係や絆が深まり、これまでになく深い心のつながりも感じている。

当時2、3歳だった息子ももうじき7歳。

大きくなった。

このかん、彼にはたっぷりと愛情を注いできた。

つらい思いや苦しい思いをしたものの、災い転じて福となすではないが、だからこそ得られた夫婦の絆、家族の絆があるように思う。私自身としても反省点が多かったからこそ改善できたものは多い。

短い期間ではあったが、あのとき妻に対しモラ夫になったことを、きっと私は一生忘れないだろう。妻に対する負い目として心の中にずっとあるだろうし、妻にかけた負担を取り戻したいといくら頑張っても、きっと「これで取り戻せたはず」と納得する瞬間はやってこないのだと思う。ある意味、モラ夫をやってしまった自分に課せられた十字架だろう。

しかし、妻より体も大きく力も強く、暴力や恐怖で支配しようと思えばそれができる条件を備えている私には、そのくらいの十字架があった方がいいのかもしれない。

いずれにせよ、モラハラはパートナーを傷つけるだけでなく、最終的には自分自身をも傷つけるのだ。

どれだけ荒ぶってもどれだけ道を踏み外そうとも弱い者いじめをしなかった自分が唯一、妻にそれをやってしまったことを悔やみ続けるだろう。

あとがき

さて、この問題に対して肝心の妻自身はどう思っているかというと、実はあまりどうも思っていなかったりします笑

当時の話をすると「そんなことあったあった!すげーむかついた!笑」くらいのノリ。う~んありがたや( ノД`)…

当時は妻も私にストレスを覚え、誰もいないところでこっそりぬいぐるみを殴ったりして発散していたとか笑

過ぎてしまえば笑い話ですが、少なくともあの経験を通して妻も私も多少は老けましたし、当時の写真を見てみると私の顔には死相が出ているわ、妻の顔は疲れているわで、何とも痛々しい気持ちになります。

それでもへこたれず乗り越えられたのは、やはり前向きで健気な妻がいつもそっと私を支えてくれていたから。

こんな素敵な人に粗暴な振る舞いをするなどとても信じられませんが、状況により人は容易に変わるものなのだなぁと実感した次第です。「自分は大丈夫」と過信せず、モラ化しない環境作りをこれからも大切にしていきたいと思っています。

あーあとそうそう、妻との関係を修復できたのは、最終的に「私が一線を越えなかったから」ということも付け加えておきます。つまり直接的な暴力を振るわなかった。

もし妻あるいは子に暴力を振るっていたら、修復は難しかったと思います。私が女性の立場なら絶対に無理。

というわけで私の場合、ストレスが原因でモラ夫化したので、ワークライフバランスやライフスタイルの見直し、ゆとりのある暮らしによるリソースの確保が再発防止に効果的だった──という話でした。

ストレス管理のためのテクニックについては、↓の記事が参考になると思います。併せてご覧ください。


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