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「発達障害者を自分の人生から排除する方法」への回答

私の成功哲学」の記事に、以下のコメントをいただいた。

発達障害者の適切な見抜き方、避け方、(自分の人生からの社会的)殺し方(特に高学歴で擬態してるタイプ)について、大真面目かつ具体的な方法論を語って共有いただければ幸いです

なかなかひどい質問内容だと思うが、せっかくなので真剣に回答する。
主なトピックは以下の3つだと思う。

  • 発達障害者の適切な見抜き方

  • 発達障害者を避ける方法

  • 発達障害者を(自分の人生から社会的に)排除する方法

この3つについて私なりに回答する。

回答する前に、前提としてお話ししておきたい。
まず私は、コメントくださった方がどういう属性、お立場、性格、性別、ご状況なのかをまったく把握していない。属性、立場、性格、性別、状況により対策や対処法は変わると思う。なので私の回答がコメントくださった方の期待に沿えるかどうかはわからん。私の主観的な仮定と推察の上での持論であることと、どのように仮定しどのように推察したかの詳細について言及しないことをご了承いただきたい。

また、私の回答が絶対であるかのように解釈せず、あなたが物事を判断する上での一つの材料に留めていきただきたい。私なりにできるだけあなたの期待と成果に応えられるよう努力はするけども。

もう一つお断りしておきたいのが、各トピックはそれぞれ「結論→補足→持論」で構成する。いずれも先に結論を端的に記述する。ただし、私の真の回答は補足と、特に持論にある。なのでそれぞれ回答が長くなるかもしれないが、最後までお読みいただければ幸いである。

発達障害者の適切な見抜き方

すごく主観的で偏った回答かもしれんけど、もしコメントくださったあなたが定型発達者(健常者)なら、「うわこいつマジかよ」と感じる相手は発達傾向が強い相手である可能性が高いと思う。

定型は定型同士で基本的には人間関係をそつなくうまくやるじゃんね。定型にも色々いるからもちろん対立したりすれ違ったりはあるけど、「理解できん」「意味不明」までずれる相手ってあまりおらんでしょ。

世の中に悪人はたくさんいるけど、その悪人がなぜ悪しき行動を選択しているのかを理解するのはそれほど難しくなかったりする。いじめも然り。DVも然り。犯罪も然り。

一方、発達の行動原理はこちらからすると意味不明な場合が多い。だから基本的に理解できない。理解できない相手に嫌悪感を覚えるのなら、直感的に「理解できなくて不気味」と感じる相手とはお近づきにならないのがいいと思う。

ところで、ここでいう「発達障害者」はおそらくASDを指していると思うのだけど、「発達障害はASD、ADHD、LD」に大別されるらしいので、一応それぞれの私の経験則に基づく主観的な印象を記す。

ASD:(定型的な)対外評価を認識しない(これが「空気を読めない的なずれた発言やTPOに沿わないアクション」や「ファッションセンスや立ち居振る舞いの不自然さ」につながる)。ザクと言っちゃうと「定型と感性やシステムが異なる」って感じ。自閉度が高ければ高いほど、マナーやデリカシーや礼儀礼節、粋と野暮などを理解できないタイプが多い様子。

ADHD:私の認識としては「不注意(もしくは健忘的)&多動的」であること。物忘れ、ケアレスミス、記憶の改竄(勘違いなど)が典型的だけど、倫理を弁えず衝動的に浮気や不倫を繰り返したり、何かしらの依存症に陥りやすい特性だと思う。一方で表情豊かだったり人懐っこかったりコミュニケーションに積極的だったり、ASD同様やはり一概に短所ばかりではない。

LD:あまり会ったことないのだけど、私の推定ASDの親友がめちゃくちゃ字が汚い。自分が書いた字を、他人はもちろん自分も読めない。ほんで私の弟もそれと似た一面がある。なのでメモする意味がない。こんな感じで、私はLDと聞くとまず「字が汚い」を典型例としてイメージする。なんとなくASDの「対外評価を気にしない」に通じるところがあるような気がするけど、もしかするとASDとDCD(発達性強調運動障害)の併発で「字を上手に書けない」が発動する場合もありそうな気がする。
ちなみに私の心のアイドルであるオジー・オズボーンは読字障害らしい。LDは読字障害、書字障害、算数障害に大別されるらしいが、私が会ったことがある(というか、LDと認識した)のは先述した親友の書字障害だけである。

補足説明として、人間は誰しもスペクトラム的に特性や傾向があるので、「こいつは発達障害者だ!」と高い確度で見分けるのは実質的に不可能かと。ただ、やっぱ「変な奴」や「おかしな奴」って凸凹が大きくて発達傾向が強いと思うので、直感的に「あ、こいつは何か変だ」と思った相手には近寄らないのがご自分のためでもありお相手のためでもあるんじゃないかな、と思う。

発達障害者を避ける方法

社会生活を送る以上、避けられないと思う。強いて言うなら、たとえば職場で発達と出会って病んでしまったのなら、人事に異動を申し出て交渉するか転職するかなど、「発達を避けるために自分がリスクを負って行動する」必要がある。

これって別に発達障害者相手に限らんのだけど、世の中には合わない相手なんて当たり前のようにいるわけ。そういう奴らに出会わないように生きたければ、社会に関わらず無人島などで自給自足しながら世捨て人みたいな暮らしをするほかない。社会に生きてれば、自分と合わない人間とは必ず出会うものだ。

だから大切なのは、嫌な人間とエンカウントした場合の問題解消スキルをしっかり鍛えておくことである。コミュンケーションスキルも大切だけど、いざとなったら退職や転職ができる選択肢を用意しておくとか、時間と金にゆとりを持ちながら求職活動ができるよう貯金しておくとかってのが大切。そのために実績や経験を積んだり、技術や知識を磨いたり。この辺のスキルを鍛えて他者や環境に依存しない自律的な能力を養っておけば、対人関係におけるストレスを抜本的に克服しやすくなる。

人生の有事に十分な選択肢を確保できるよう、日ごろからさまざまな可能性をシミュレーションしながら準備をしておくことの方が、「嫌な奴と出会わないようにする」よりもよっぽど大事な工夫かと思う。

他人の人生はコントロールできないけど、自分の人生はある程度コントロールできるからね。

なお、対人関係のノウハウについては以下のツリーが役立つかもしれない。

発達障害者を社会的に(自分の人生から)排除する方法

前項に通じるが、「相手を排除する」のではなく「自分のライフスタイルを最適化する」のが最適解かと思う。

結婚相手がなかなか離婚に同意してくれないなら、いっそ失踪しちゃえばいいと思うし、職場に嫌な奴がいる上になかなか辞めさせてもらえないなら、最終的には無断で飛んじゃえばいいと思うのよね。もちろん相談なり交渉なりやるべきことをやり社会的責任をある程度果たした上で──の話だけど、多少の無茶をやったって、案外司法や行政は不遇な人を味方してくれるし、相談すればちゃんと応じてくれるケースも多いから、常識的な感覚を持った上で「いざとなったら常識をぶっ壊す」くらいの覚悟は持っておいた方がいいと思う。

最終的には無責任ムーブで全部ぶっ壊してやればええねん。人生なんてそんなんで壊れないし。ただし後悔しないように、衝動的感情的にでなく計画を持った上で行動するのが大事。少なくともそのくらいの覚悟と保険があれば、大胆な決断もしやすいと思う。人生、覚悟があれば何とかなるもんや。

逆にそういう覚悟がないと、自分の人生を自分で請け負うことを嫌って他責的になり、「どうすれば嫌な奴を排除できるか」という思考になるんじゃないかな。

自分自身の生き方や生きる場所を柔軟に更新できさえすりゃ、そもそも他人を排除する必要なんてないのよ。しかも自己の最適化に努めた方が、実は他人を排除するよりも圧倒的にコスパが良かったりする。

だから「排除する」ではなく「自分の人生を最適化する」の視点で捉えるのが良いと思うなり。

そもそも排除思考は差別的なニュアンスが強いからあかん。何があかんかって、他者を排除する行為は、自分自身の生き場所や自分の人生の可能性すら狭めるのだ。他者を排除すればするほど気付かないうちに自分の居場所が減り、自分自身の将来性を徐々に切り捨てることになる。だから相手のためにならん以前に、自分自身のためにならん。

おおらかに生きた方が楽しいよ、きっと。

少なくとも私はそう感じる。

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