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出発点は全てここから。

私が合唱部に入ったのは中学1年の春。
入ってみたものの、部員数はなんとたった3人。
当然ですが、すぐに廃部となりました。
元々ピアノ弾きはもうしんどい、歌う方が楽しいと思っていた矢先、
廃部という形で一時期から帰宅部員になりました。

クラブ活動としての合唱はあったので、そこに参加して
1年、2年と女声三部合唱でNHK全国合唱コンクールに出場するも
あまりにも弱小すぎて入賞なんて雲の上の存在だなと感じたまま
3年生になり。

そんなときに音楽の先生がもう一人加わりまして。
噂に聞いた吹奏楽部を物凄い勢いで叩き上げてきたという方。
よし、これはやるしかないと、私ともう一人のソプラノの子と一緒になって
歌える男子を引っ掻き集めたのが「お昼休み合唱団」の始まりです。

混声なら勝てるかもわからん!と思ったんですね。
というのも、入賞していくのは殆どが混声の合唱部の人たちばかりでした。
そりゃもう合唱の「が」の字も解らん男子を半ば強引に参加させてしまい
そして沼にハマっていったあの半年間。

この前のノートで私が19歳の時に歌った世に出てないテープを出したので
ふと思いついたのですが、安定のうちの母、カセットテープを仕舞っている
訳でもなく。ちょっと呟いてみたんです。

そうしたらまさかの後輩からDM。あなた家のすぐ近所だったじゃない。
てっきり男性かと思い込んでいた自分おばかw

色々あったのよーってなって、綺麗に梱包されて届いたテープと譜面見て
びっくりですよ。

藁半紙やんけ!!!!!!


よく見たらこれコンクールの後勢い余って作曲した子が市の大会で優勝したやつ。
問題はテープの保存状態が大丈夫かどうか?でした。

何より私はこの歌を自分の娘に聞かせたかった。

加賀清貴先生(バリトン歌手)の「名付けられた葉」

これは結構な難曲だと感じてました。最初これを自由曲にすると
言われた時、ぶっちゃけ不安でしかなかったもの。
大丈夫か?うちの即席チーム?お昼休みしか練習時間ないぞ!?

というわけで、夏休み返上しながら昼休みも入れて、ガンガン練習していき
私はアルトのパートリーダーとしてアルトの譜面を読んで歌いながら
確認する作業。なんて言ってもこの歌い出しから声の粒の揃え方から
実にややこしいことこの上ないけれど、ハモったらゾクゾクくるという
恐ろしいほどにやると楽しい曲。こういうタイプの曲は今まで歌ったことが
なかったのでそれはそれはもうのめり込みまして。
そして、県大会当日、歌ったんです。課題曲は「小さなコンチェルト」
歌い出しからもう「カセットテープが」とくるのでモロ昭和ですな。
そしておそらく審査員の皆さんもまたあの弱小中学が今度はどうした?的な
感じでいたかと思われますw え?今年から混声?って。
課題曲は、うん、今聞いてもやっぱりまだまだダメダメですよ。
当時の白鳥が歌ったら全く違う出来ですもん。これ。

だがしかし。自由曲に入った瞬間、その場にいた全員が「え!?」という
選曲だったのか。その辺りのギャップの激しさを恐らくたみちゃん(先生)は
狙っていたんでしょうね。ここに思い切りぶつけたれ!行ったれ!みたいな。
本当はこの曲すごいゆっくりとした歌なのに。
後から作曲なされた加賀先生から「審査の時間範囲内だからテンポ早いですね」
とコメントいただき「ああ!だからあんなに早い勢いで歌い切ったんだ!」と
今更ながら納得してしまいました。中盤からフッと変わるあの瞬間からもう
全員実は殺気立ってましたもん。うちらからしたら「これで中学最後のNコン!」
でしたので、「だから、私、考えなければならないだから!私!」みたいに
なり出しての名付けられた葉へ移り、最後の最後で「美しく散るほうを」の
「お」の所、アルトの自分の声が全力で吼えてます。実はこの時点で涙が
自然と出てきてボロボロと涙流しながら歌っておりました。恐るべし中学生。

結果、見事3位として発表されましたがここでアクシデント発生。

夏休み中田舎に帰っていた子がいたらしく戻ってきたら人数一人余っちゃって
規定から外れてしまい発表してぎゃーと喜んだ後ロビーに呼び出され
失格を言い渡され全員が号泣してお辞儀して帰っていったという曰く付きの
作品でございます。

それではお恥ずかしいですが当時マッコさん15歳。ここが現在のメタルな
自分に繋がっていった出発点でございます。どうぞお聴きになってください!!

あっという間にあれから49歳になっちまったw
でも、この曲だけは一生忘れられない。
そして、この先何があっても考え続けるんだろうな。

美しく散るほうを。

                       拝  MACCOさん

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