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小説「グッバイ!とてもツライけど」

SKユニバースの連載短編小説

第一日目~第十九日目までは上記から読めます


第二十日 見物

 

 渋谷はいつものように人と騒音にあふれている。スクランブル交差点では、信号の変わり目ごとに人と車が交錯しそうになる。そして電車がすぐそばを通過する。地下にあるものについては、表からは分からない。だがそこでも人々は食事をしたり、ショッピングをしたり、カフェでお茶をしたりする。またセンター街ではラーメンを食べたり、プリクラを撮ったり、音楽を聴いたりもしている。ハチ公前で、待ち合わせの人たちが右往左往しているし、109前でも人が出入りしている。

 その日、109の前に空ステージがあった。突然、空っぽだった特設ステージに人影が現れる。彼はマイクを片手に聴衆に呼びかける。「みんな元気かい。」という声に、横断歩道を渡る人々も視線を向ける。それは有名な男性アーティストだった。テレビで誰もが見たことのある彼が現われると、人々は狂気に陥ったようになる。「カレよ。」「あの人だわ。」「あいつだぞ。」それぞれ口々に叫びながら、ステージのほうへと人波がうねる。その流れに自動車がクラクションを鳴らす。だが、いったん動き出した人々の大群を遮ることはできない。

 すでに赤信号になっているのに走り出す者もいる。車の流れは寸断される。それに対してステージの上のアーティストが呼びかける。「みんな、気をつけて。安全第一だから。」カレがそう言うとともに、どこから現れたのか警備員たちが周囲を囲う。そして「押さないでください。」「慌てないで。」「もっとつめてください。」などと、時に高圧的な叫び声を上げる。それでも人々はそれが聞こえないかのように、前へ前へと行こうとした。一目カレを見ようと、できるだけ近づこうと。

 その群集は109の前に陣取って、動こうとしない。マイクを持って語りかけるアーティストの声は優しいので、女の子たちはウットリしている。男どもも、カレの様子を伺っている。さらに遠目からは事態を把握していない人々が、いったい何が起こっているのかと見ている。そしてウワサがウワサを呼んで、「カレがいるらしいぞ。」「あの人がライヴするみたいよ。」という伝言ゲームに押されるように、また新たなうねりが起こる。周囲では警官たちも見守っている。一応届け出を受けているらしく、警察官たちは微動だにしない。ただ万が一のときに備えているようだ。

「よし人が集まってるぞ。予定通りだ。」と言ったのはテロの実行犯、ではなく音楽プロデューサー。アーティストの新曲PRのイベントの一環のようだった。そしてその様子を撮影し、ミュージックビデオにしようというのだ。「何もここでやらなくても。」などと毒を吐く大人はごく一部であるようだ。ほとんどの人々、仕事途中のサラリーマンでさえ歩みを止めた。選挙演説のときには、聞きもしないで通過する人々が、今は一歩も動こうとしない。「まだ始まらないの。」「歌って。」「愛してる。」などという声が聞こえるだけだ。

「じゃあ、聴いてください。新曲です。」というカレの言葉とともに、演奏が始まる。ギターのリフから始まって、いつの間にか現われたベースとドラムが音を鳴らし始める。するとまるでお祭り騒ぎのようだったのが、シーンと静まりかえる。事態を把握していない自動車だけが、何事もないように走り続けていく。バスに乗っている人々は、窓からライヴの様子を見ていたりする。近くのレストランの窓側に座っている客も、上からライヴを見ている。ただ大音量であっても、その音は室内までは聞こえてこない。

「かっこいい。」「素敵。」「いい曲。」見物客たちは口々に言いながら、魅力あふれるパフォーマンスを繰り広げるカレにうっとりとしている。男たちでさえ、カレのかっこよさには参ってしまうほどだ。一曲歌っている間に、上空にはヘリコプターが舞い始める。それはテレビのワイドショーで、あっという間に渋谷の喧騒は日本全国へと放送される。それを見た地方の主婦たちは、まるで渋谷が異次元か異国の地であるかのように感じる。そのアーティストの様子を眺めながら「あんな人と結婚したかなったな。」などとつぶやくのだ。

「なにしとんねん。アホちゃう。」そう愚痴ったのは、Sだった。彼はこういうイベントや売れっ子が大嫌いだった。それ以上に、そういうものに群がる輩のことを嫌悪していた。「こういうアホがおるから、あいつも売れてると勘違いするねん。」遠めに見ながらSはそう言った。しかし彼が少しくらいそう思ったとしても、何も変わらない。なんといっても、彼らの活動はゲリラやテロではなく音楽的・経済的なものでもあるのだ。そのアーティストの魅力があるから、CDが売れ新曲を聴く人がいる。それは社会的な行為だ。たとえ今回の企画が多少、危なっかしいものであったとしても。

 かつてU2やビートルズなど多くのビッグバンドもこういう手法を使った。ある種の常套手段とさえいえる。もちろん町は混乱するが、その様子も含めてイベント性があるというわけだ。「いいぞ、いいぞ。カメラもっと寄って。」プロデューサーはロケバスの中でトランシーバーを握りながら、モニターを見つめている。多くの製作担当者たち、マネージャーやスタッフたちがこの日のために準備をしてきたのだ。「きっと大きな話題になるぞ。」というプロデューサーの言葉をみんな信じた。そしてそれは実際に話題になった。

「じゃあ、今日はこのへんで。さよなら。」アーティストは一曲だけ歌うと、あっという間に去ってしまった。取り残された人々は雄たけびを上げたり、黄色い声援を送り続けている。何がどうなったのか、今到着した連中には分からない。「何かイベントがあったらしいぞ。」「有名人が来てたんだって。」「これから来るんじゃないのか。」情報は錯綜しながら、人々の上を旋回する。ヘリコプターやロケ車も去り、警備員の声だけが町中に響く。「お帰りください。」「終わりました。」「ゆっくりと解散してください。」

 その声につられるように群集は、ゆっくりと散り散りになっていく。ほんの数十分の出来事である。そして十分後には、もう何もなかったかのように車が行きかう。これが東京という町だった。「よかったね。」「ラッキーだった。」「SNSで拡散しようぜ。」とスマホの写真を見ながら人々は嬉々として語っている。さきほどの情景を頭に思い浮かべながら、彼らは夜を明かすだろう。夢の中でもカレと出会う女子たちもいるかもしれない。それは語り草となり、何かあるごとに繰り返され「あの場にいたよ。」といい続けるのだろう。日常が非日常になった瞬間、それに出くわしたことに感謝しながら。彼らは日常の喧騒の中へと帰ってゆく。

 ただ一人、まだSだけはそういうことに対して「アホちゃう。」と言いつづけていた。彼は流行やお手軽な文化に対して、アンチを表明していた。彼が好きなのは、もっとどっしりとした文化だった。音楽でも、染み入るような渋いロックが好きだった。それはある種の趣味の違いである。そんな彼だって「ああ、あれは知ってる。あそこにいたから。」と友人に語るときには、どこか得意げだ。たとえアンチがいようと、メインカルチャーとはそういうものである。アーティストであるカレも、そういうことは分かっている。だからリスクをかけ、路上ライヴを敢行したのだ。何か言われても、話題になる以上は幸せなこと、と割り切りながら。しかし、曲が売れるかどうかだけは別問題である。売れなければ、カレもあっという間に流行と言う流れから消えてしまう。東京という街の流れから。そして無残に忘れ去られてしまう。


 

第二十一日 現物

 

 王龍也はカメラマンをやっていた。元々、台湾出身の父と日本人の母の元に生まれた彼は、横浜の中華街で育った。しかし、父と母が台湾に戻って生活するというときになって、龍也だけは日本に残ることを選んだ。そこからは独り身で、東京の片隅で生きてきた。写真学校で知り合った鈴木勇という親友と自主映画を作ったりした。そのときに知り合った女の子と仲良くなり、付き合うようになる。それはカレがまだ二十代手前のときだ。

 彼女の名前は、狭間愛といった。関西の裕福な町から出てきた愛は、ヴァイオリンを弾く才女だった。龍也と付き合うようなった彼女は、直後に妊娠する。そして両親の反対を押し切り、彼らは同棲する。どうしても子どもを生みたいと思ったのは若気の至りだっただろうか。王龍也は関西まで足を運んで、何度も彼女の両親に頭を下げた。渋々だったが、両親は認めざるをえなかった。なんといっても孫が生まれるのだ。神戸の病院に入院した愛は、たくましい男の子を産んだ。しかしその日、阪神大震災がおこった。一九九五年一月十七日のことだ。

 そのとき龍也は東京で仕事をしていた。カメラマンとしての仕事がようやく軌道に乗り出していたのだ。赤ん坊が生まれるという連絡が入って、夜明けとともにカレも新幹線で神戸へと向かう予定だった。だが、その大地震のせいで交通はすべてストップする。神戸では思ったよりも大きな被害が出ていた。火事の被害も甚大だ。数千人規模で死者が膨らんでいた。龍也は嫌な予感がした。そしてそれが当たってしまう。地震の瓦礫の下、愛は亡くなったのだ。

 龍也がそれを知ったのは、東京駅の公衆電話だった。携帯もつながりにくいということで、公衆電話に人が群がっていた。「え?」二日酔いもあっという間に冷める訃報。龍也は泣き叫んだ。ようやく新大阪の駅にたどり着いたときには、気が狂いそうだった。唯一の幸いは、赤ん坊の命だけは助かったことだ。だが、その赤ん坊は愛の両親が引き取ることになった。

 未亡人となった龍也は、一人東京で過ごすこととなる。カメラマンとして生計を立てつつも、アルコールに浸る日々。しばらくカレは立ち直ることができなかった。親友の勇やその彼女マイコも、慰めることができない。カレはクスリにも手を出し始めた。最初は軽いものを試すだけだった。一時の解放感、苦痛からの脱出、恍惚感。そういうものを得たくて、エスカレートしていく。やがてカレは三十になろうとしていた。

「イイモノ入ったよ。」と中国系の男がいった。

「とにかく現物を見せてよ。」とカレは言う。今まで何度も騙されていたのだ。

「イイモノだよ。」と中国系の男は主張する。

「だから、実際に見てからだ。金を払うのは。」龍也もそこだけは譲らない。そう、最初は強気だった。だけど、そのうちどうしてもクスリが欲しくなってくる。そうなると、もう相手の思うつぼだ。少しくらい純度が落ちたとしても、ノドから手が出るくらい欲しい。それが薬物というものだ。

「分かった。払うから。いくら?」龍也は日雇いの仕事をしていた。カメラマンの仕事もどんどん少なくなっていたのだ。アルコールとクスリ浸りのカレに、カメラの仕事を任せる人も少なくなった。

「二。」男は言う。

「二万。」龍也は渋々と金を出す。

「コレネ。」男はクスリを渡して、消える。

「ああ。」とつぶやきながら、龍也は白い粉を吸う。だがそれは安物、いや偽物だった。

「マジか。クソ。」龍也は落ち込んだ。やっぱり現物を確認してからにするんだった。これでしばらくクスリはやれない。安いアルコールに逃げるしかない。そして日雇いの仕事。それがカレの毎日だった。二十代の頃に思い描いていたような、奥さんとの新婚生活も夢のかなた。

 

 さらに何年も時間が過ぎる。更生施設に入り、龍也は何度目かの復活を果たす。カメラを片手に街に出て、デジタルカメラのシャッターを切る。もう時代はフィルムでさえなくなっていた。そして彼は親友・勇の彼女マイコ(愛の友人でもある)にモデルを頼む。起死回生の写真集を出そうというのだ。龍也の熱意にほだされて、マイコも協力することになった。

 しかし、写真の現場でも龍也はアルコールを手放さない。

「それ、いつまで持ってるの。」マイコが言う。

「何?」ワインのボトルを片手に、龍也はにらむ。

「シャッター切れるわけ?」マイコは負けじと言った。

「ああ。クスリはやめたからな。」龍也はボトルを置き、カメラを手に取る。

「うん。」マイコはポーズをとった。指が震える龍也の手元を見ながら。そして熱が入るにつけ、彼らのキョリは近くなる。マイコだってそんなのバカげてるように思えた。でも今にも線が切れてしまいそうな龍也を見ていると、さまざまな感情が揺り動かされる。マイコだって愛のことは知っていた。友だちだったのだ。遠い昔のことになってしまったけれど。

 今の龍也は頼りない。たしかに負け犬だ。でもそれを乗り越えようとする覇気があった。なんとかもう一度やるんだという気持ち。いくつものワナ、トラップにかかりながら必死にもがこうとする男。彼女はそんなカレに写真を撮られているうちに、母性をくすぐられる。そして一夜をともにしてしまう。マイコは勇と結婚していたわけではないが、恋人同士だった。間違いを犯したことを後悔するのは、もう少し後のことになる。

 というのも、マイコは妊娠したからだ。それが龍也の子である可能性を、マイコは知っていた。このままおろそうかとも考えた。でも、彼女も三十代を過ぎていた。できることなら、生みたかった。勇に相談することにする。龍也との一件はナイショにして。すると勇はすぐに「結婚しよう。」と言ってきた。罪悪感とともに、喜びも感じてしまう。それでマイコは余計に悩むことになる。

 一方で龍也は写真集の出版がダメになる。それから、再びクスリに手を出し始め、自宅にはアルコールのビンが散乱している。そして、龍也は白い粉を吸う。昔のように現物を確認せずに買うような愚かなまねはしない。人は成長するのだ。龍也は恍惚を感じながら、熱いシャワーを浴びる。そのとき、アパートが揺れた。思ったよりも長いな、と龍也が感じたかどうかは分からない。彼の意識は飛んでしまっていた。脳が麻痺してしまっていたのだ。そして足を滑らせ、浴槽に倒れる。地震が収まっても、お湯が湯船に注がれ続けた。王龍也はその中で、さよならも言わずに溺死してしまった。二〇十一年三月十一日、昼間のことだった。

 その後、葬式を終えた勇とマイコは籍を入れる。年内に生まれてきたのは女の子だった。男の子だったらタツヤにするつもりだったが、赤ん坊の名前をアイとつけた。


第二十二日 権力

  

 映画業界において権力の座にあるのは監督といっていい。たしかにプロデューサーも力は持っているが、テレビの世界のように絶対的ではない。ただ脚本家、俳優、スタッフ。もちろん彼らだってそれなりの実績を積めば、力を持つ。大御所の俳優や脚本家が物申すこともたまにあることだし、周囲もそういう力を持っている人の言うことは聞く。

 なぜ周囲が彼らの言うことを聞くかといえば、それなりの仕事をして結果を残してきたからだ。すべてに成功したわけでなくても、何回かのヒットはあったろう。そして一番大切なことは、何とかその世界で生き残って続けてこれたという事実。つまり、今もまだそこにいるという現実であり、それが何より存在感を増す。

 Sが音楽の世界から、映画の世界に進出したのはたまたまだ。しかしそこで権力抗争に巻き込まれるとは、つゆも知らず。それは彼が監督に気に入られたからだった。いや最初から気に入られたわけではない。いくつかの経過、現場、流れがあった。ある監督の付き人が消え、Sが代わりにそのポジションについた。

 監督はそれなりのキャリアを経ていたので、権力を持っていた。結果としてSはその傘下に入ったのだが、それにはメリットとデメリットの両方があった。監督の付き人となると、様々な人に会うことになる。それは間違いなく、Sの財産だ。そして監督の庇護の下ある程度の権力を持つことができた。

 実は、Sにとってそれは非常に居心地の悪いものだった。その力を使おうと思えば、いかようにも使える。人に用事を言いつけたり、仕事を頼んだり。よくもわるくもできる。でもそういうことをするには、Sはまだあまりに純粋だったし、同時に一匹狼だった。

 そもそもSが音楽の道に進んだのは、手に職をつけて生きていけると思ったからだ(当然、音楽が好きということはベースにある)。サラリーマンのようにペコペコしないですむと思ったし、組織の中でバランスを取りながら生きるには、Sは不器用すぎた。だから音楽を生業にしようと考え、上京した。

 しかし、音楽業界も映画業界も同じように権力構造があるわけで。Sはその中で立ち往生してしまった。当時音楽業界自体はパイが少なくなっていたこともあり、ジリ貧状態だった。だからSは映画の世界にシフトした(映画音楽をやりたかったこともある)。すると思ってもみなかったことがおきた。監督に好かれたのだ。いや、好かれたなどという感情論ではなく、「都合がいい」と思われただけかもしれない。

 とにかくSはその中でもがき苦しんだ。権力をうまく使うことができないのに、自分は権力に守られている。そこにはある種の矛盾があった。不条理というほどのものではない。ただSの中ではしっくりこなかった。嫉妬や羨望が周りからはあった。それがSには疎ましく思えてきたのだ。このままでいいのか、Sはそう思うようになっていた。

 もっと最初から権力闘争の場にいたり、弱肉強食を生き抜いてきたなら話は別だろう。だがSはそういうわけではない。音楽の方からちょこっと遊びにきたような感覚。バイト感覚というと言いすぎかもしれないが、その程度の心持ちだった。それがふとした瞬間から、自分に権力が下りてきたのだ。自分で勝ち取ったわけでなく、人から与えられたものに対しては人間は誰だって執着が薄くなる。

 Sはごく自然に、その立場から去った。己からそうしたつもりだったが、周りからのプレッシャーもあったのだろう。まだ準備ができてなかった、ともいえる。とにかくSは付き人を辞めてしまい、再び一人身になった。それはとても自由であり、音楽に再チャレンジするのも楽しかった。

 音楽をやっていると、Sは心の底から喜べた。たとえ上手くいかなくとも、好きだから続けることもできた。映画業界にいたときとは大違いだ。どちらが彼に向いていたのかは分からない。周囲が持ち上げてあっという間に権力の真横にいるような存在に、誰でもがなれるわけではない。ある意味でもって生まれた星があったとも言える。

 しかしSはそれを受け入れなかった。人生は自分で選択して、生きていくしかないのだ。そこに困難な道が待っていようと、彼を成長させてくれる。いとも簡単に権力を手に入れて、ぞんざいにそれを使うよりはよっぽどマシだ。Sはそう思った。

 かといって、音楽業界が難しい世界であることは先にも述べた。そう簡単に売れたり、食っていける世界でもない。といっても、人に教えたり、子どもに教えるくらいはSにもできる。やがて彼もそっちの方向にシフトするかもしれない。彼の相棒であるHなどは、結婚してからそうやって音楽とかかわり続けている。

 一方で、映画業界はどうなったか。そう、ご存知のように大御所監督は命を落とす。まだこれからというところで、力尽きてしまった。どんな権力者、歴史上の人物であっても、人間の寿命(それは運命と言ってもいいだろう)には勝てない。権力は常に転々と転がっていく。誰かが落とした権力を、今度は拾う人物がいるというわけだ。

 この場合、それはSの後に監督の付き人をやっていた人物だった。彼はSほど素朴ではなく、野心も持っていた。バランス感覚や社交性にもすぐれていたし、適度なドライ感やプレッシャーに耐えることができた。それだけでなく、人に対してプレッシャーをかけることもいとわないような人物だった。

 さりとて彼も簡単に権力を手に入れたわけではない。Sが放棄したような労働、奉公、献身を持って監督に仕えていたのだ。まるで中国の皇帝に仕える者のように。そしてひそかに次の座を狙っていた。そのためには周囲に対して気も遣ったし、根回しもした。そのようにしてようやく転がり込んできた権力により、新しい映画監督が生まれた。

 Sも彼のことは知っていた。なるほど、とSは思った。彼なら映画業界でもうまく立ち振る舞うことができるだろう。ただ意地悪く言えば、それでよい作品が生まれるかはまた別問題である。ただSにも言えることだが、才能というのは人それぞれ。特にアートの世界においては結局好き嫌いもある。だからこそ権力に負けずにやっていくのは、あまりに至難の技なのだ。特にこの東京と言う大都会では。

第二十三日 権利

 

 映画の権利というのは、いったい誰のものなのだろうか?監督が死んだ後、それはいったい誰が保持するのか。いや、そもそも作品が監督のものだと言えようか。例えば、音楽はもっとシンプルだ。作詞作曲というものがある。たとえアーティストがどこかの会社に所属していたとしても、作詞作曲に揺るがない(著作権のほかには、版権というものがあって会社が保有するにしても)。ちなみにアーティストと言えば、昔は画家のことだった。でも日本ではミュージシャンのことを指すことが多い。

 映画監督がアーティストと呼ばれることは、ほとんどない。監督は監督である。野球の監督、サッカーの監督、現場監督。組織を指示して動かすのが監督の仕事だ。そう、監督とは一つの「仕事」なのかもしれない。だから作品が監督に所属するとは言いにくい。製作会社、配給会社がその映画を所持するのであり、一般的にはその権利も会社に属する。監督は、脚本、音楽、俳優などと同じように、クレジット名として記入される一部門というわけである。

 それでも監督は船の船頭のようなものだから、すべてを統括している。進路を決めるのは監督であり、その船はキャプテンの意向に従う。ということもあり、多くの場合作品はやはり監督によって判別されたりする。昔からそうだったわけじゃない。スターによって作品を区別するのが、最も一般的だった。今でもその傾向はあるにしても、同時に監督も重視されるようになった。それはやはり、それくらい監督の力が映画の中で大切だと感じられているからだろう。

 ある程度の歴史が映画の中で生まれたとき、つまりフランスのヌーヴェルバーグが1950年代から60年代にかけて起こったときの変化。それまでスターで見られていた映画を、監督の元に帰した。ヒッチコックやホークス、さらにはジョン・フォード。そういったアメリカの監督が一気に取り上げられた。

 ではハリウッドの映画界で一番力を持っていたのは、監督だったかのか?いやそれは違う。監督よりも絶大な力を持っていたのが、スタジオであり、スタジオを司る社長。つまり有名プロデューサーのことでもあった。日本にもスタジオは存在する。東宝、東映、松竹は三大スタジオだし、日活や大映もあった。過去にはそこから多くの有名な銀幕スターが登場したし、同時に黒澤明や小津安二郎といった巨匠も誕生した。

 権利は昔ならスタジオ、現代なら製作会社が保持する。権利を持っていれば、それは売ることもできる。作品における権利とは、すなわち市場価値のことである。映画の場合は特に多くの人が関わるので、権利関係が複雑になる。だから会社が、作品の権利を持っている。

 ただ本当のアーティスト、つまり画家の場合はどうだろう。多くの場合、画家は一人で作品を仕上げる。権利は単純に画家のものであることが多い。ただし画家もその作品を当然売る。例えばパトロンのような者が、投資をして画家が作品を描けばそれはパトロンのものとなる。その後にパトロンが誰かに作品を売ったり、渡したりしようが画家は関与しない。

 そう、たとえ画家といっても、作品を売って手放したらそれで終わり。もう作品は画家の元には通常戻らない。権利も何もない。だからどうしても手放したくない作品は、売らずにずっと手元に残したりする。アーティストというのは、作った作品を人に見てほしいものである。認められたいという欲求は誰にだってあるから。しかしそれ以上に、創作の喜びは勝る。作ることが何よりも楽しく、創作のあれこれをしているときにアーティストは自分を表現しつつも、自分を離れる。

 ただ画家の場合、作品は一点ものである。だからこそ価値が高まるにしても、監督にとって映画が一点しかなければ困ってしまう。やはり多くの人に見てもらためにも、複製品を作る。そして上映するときには、それは最初の一品と変わらぬ完成度となる。だからこそ、商品のように扱うことも可能になるし、会社が販売や流通を司るのだ。そうなると、監督の名前というのは権利というよりは、ブランド名みたいなものである。

 ブランド名は見る人にとって、指標になるだけでなく商品の質を保証するものともなる。名前を知られない幾多の商品よりは、ブランドの名前がついているほうを買おう、見ようというわけだ。そうすることで、ブランドの持つ共通した長所も楽しむことができる。作家主義みたいなものだ。監督の特徴が強いほど、ブランド力も強くなる、特に時間が経過すればするほど、複雑だった権利関係はシンプルになる。

 それは関わっていた人たちが亡くなっていくから、ということもいえる。時間が経過して残る監督というのは、ほんの一握りで、残念ながらほとんどは消えてなくなる。だから著作権というのも、死後何十年かでなくなる仕組みをとっている。もう関係者が亡くなってしまえば、作品の権利も消滅してしまうのだ。名画なら美術館が所蔵する。映画も一般的な財産となってさしつかえはない。しかも最新の作品はいっぱい作られていくわけだから、過去の名作が社会的財産になっても問題ない。

 さて、かの大監督、日本の東京で活躍した彼はどうだったのか。それなりの数の作品を残してきたし、その中には名作と呼ばれるものさえあった。当時はスクリーンを満杯にし、人々を感動の渦に巻き込んだ。雑誌やメディアで話題になり、連日取材が行われた。映画祭で賞もとれ、そうした脚光はますます大きくなる。何年か過ぎても、まだ人々が覚えているくらいだ。まさに、作品は記憶の中に残っていく。同時代を生きた人々の思い出として。それこそが、監督たちの本当に望むことかもしれない。

 アートは作品であるとともに、見る人にとっては一つの経験である。それを見ることで、五感を動かし、何かを感じる。作家や画家、監督が選んだ素材や素質、俳優や風景、彼らが行った行為や行わなかった好意。そういうものまでも感じ取る。時にストーリーという分かりやすいものに乗せて。それはもう作品というだけでなく、それを見に行く行動も含めての体験なのだ。

 そして時間が過ぎ去ることで、それは思い出となっていく。そうなれば、もう誰も思い出を取り除くことはできない。誰にもそんな権利はない。そして作品が残っている限り、時代や世代を越えて、受け継がれていく。もはや誰それの財産、誰それの権利とは言えない。社会全体の遺産なのだ。かの大監督がどこまでそれを意識していたかは別にして、亡くなった今となっては、作品に対しても彼自身サヨナラを言うしかないのである。

 

 

第二十四日 喧嘩

 

 


 お世話になった映画監督が死んだ後、Sはどうしようかと思った。音楽の世界に戻るのが一番近道のような気もした。だけど仕事としては、撮影関係のほうが近かった。いやタウンワークを見ていても、映像関係の仕事のほうがあった。少しは撮影の現場を知っているのだから、彼はその面接を受けてみることにした。

 Sは、中野にある映像事務所を訪れた。事務所といっても南口からちょっと歩いたところにあるマンションの一部屋である。その人は五十才くらいの男性で高田といった。今までいくつかのドキュメンタリーの仕事をしており、今はミャンマーの一件に取り組んでいるという。Sもドキュメンタリーが好きだったので、これは好都合だと思った。相手もSのことを気に入り、彼はその場で採用された。

 わりと人に好かれるタイプのSだったから、即採用されたことには驚かなかった。ただその高田さんが「君が最初の応募だったから。」と言ったのは少し引っかかった。他には応募者はいなかったのだろうか。タウンワークが出てすぐ電話をかけたのはたしかだが、それでもここは東京である。人はいくらでもいるはずだ。

 しかし、Sは自分が受かったわけだから、他の人が遅れて応募してきても断られるだろうと思った。そしてすぐに電話をした自分がラッキーだったんだと思った。新しい仕事が決まるというのは、気持ちのいいものだ。緊張感もあるけれど、それまでの無職状態から脱することもできる。それに職探しをする苦労からも逃れられる。様々な職業を選択して、電話をし、履歴書を書いて、面接を受けて、さらに通知を受ける。それは誰にとっても大変なことである。

 Sは喜んで中野まで通った。音楽と映像という違いはあるが、どちらも自由業みたいなところがある。フリーランスだ。少なくともオフォスワークとは違うので、Sにとっては向いているように感じられた。それに映画業界で少しは働いた経験があったので、ドキュメンタリーの現場でも何とかなると思ったのだ。むしろ大勢が働く映画よりも、個人戦であるドキュメンタリーのほうが彼にあっているかもしれない。

 しかし、高田さんはSに何も仕事を与えなかった。

「何かしましょうか?」とSが尋ねても、高田さんは首をひねる。

「今のところ、仕事はないんだよね。」というのが高田さんの答えである。

「そうですか。」Sは何と答えていいのか分からなかった。一応彼は日給で雇われていたので、何もしないというわけにもいかない。それでもコーヒーを入れたり、インターネットをいじったり、高田さんと話したりして一日、二日は過ぎた。

 高田さんは、その個人宅兼事務所に暮らしていた。少し前には埼玉にいたそうである。ドキュメンタリーといっても色々あるわけで、特にNHKなんかの下請けで映像を撮ったりしていたようだ。NHKはギャラは高くないが、一応天下のNHKである。名前もあるし、長期にわたりBSなどでも流してもらえる。わりと大きな仕事といっていい。

 高田さんが個人で進めている企画などもあった。それがミャンマーの若者の話しである。ミャンマーがまだ軍事政権だったときに、日本にやってきたミャンマー人の若者(ようは難民らしいのだが)、彼を扱った政治的なドキュメンタリーである。高田さんはその企画を進めようとしていたが、どうもうまくいかないらしい。そこで一層のことと東京に事務所を構えることにしたのだ。

 昔は東京に住んでいた高田さんも、埼玉に引っ越してしばらくはそちらから通ったりした時期があったという。通勤時間はかかるが、その分家賃は安いし、広さもある。多くの関東人がそうであるように、若いうちは都心で働いていた。そして中年になるに従って、家庭を持ったりして埼玉や千葉に移るのだ。ただ高田さんが結婚していたことがあるのかどうかまで、分からなかった。とにかく一念発起して再び東京都内である中野に移ってきのだ。

 一見優しそうな高田さんだが、何を考えているのか分からないところがあった。そして三日目になると、Sに対してこう言った。

「きみ、アメリカに留学してたことがあるんだよな。」高田さんに聞かれて、Sはうなずいた。

「一年間ですが。」ジャズの町であるニューオリンズに留学した経験が、Sを音楽に駆り立てたのだ。

「じゃあ、英語の翻訳とかできるかい。」高田さんはそう聞いてきた。

「は、はい。」Sは少し戸惑いながらも、うなずく。それで高田さんは、英語の翻訳仕事を彼にふった。内容はミャンマーの伝統的な物語らしかった。中国のお話しにも思えたが、英語で書いてある。挿絵もある長い物語で、Sはそれを翻訳し始めた。

 それからさらに三日間、Sは毎日朝から夕方まで熱心に翻訳し続けた。英語の辞書アプリを携えて、いそいそと翻訳することはSにとって苦痛でなかった。物語自体も興味深いものだったし、翻訳という作業が面白かった。しばらく使っていなかった英語の勉強にもなる。最初に思っていた映像の仕事とは違うが、これも資料か何かで間接的に役立つのだろう。これでお金がもらえるなら、悪い仕事ではない。Sはそう思った。

 一週間近くすぎた頃、Sは自分の作った音楽を高田さんに聞いてもらうことにした。すでに面接のときに、音楽のことを話していたのだ。

「これです。」SはCDを高田さんに渡した。

「あいよ。」高田さんはそれをデッキに入れる。Sは少し緊張しながらも、自分の演奏や歌声がスピーカーから聞こえてくるのを聞いた。高田さんは黙ってそれを聞いていた。全部で三曲、十分弱。

「これですべてです。」Sはそう言った。

「うーん。」高田さんは首をかしげる。

「どうでした?」Sは率直に聞いた。

「いまいちだな。」高田さんも率直に答える。

「どういう意味で?」Sは眉をひそめた。

「演奏がいまいちだし、全体的にアマチュアレベルだね。甘いっていうか、悪いけど興味ないな。」高田さんはそうハッキリ言った。Sはその返答に驚いた。誉められることはないにしても、こうもハッキリ否定されるとは予想していなかったのだ。高田さんに聞いてもらったのも、何かしっかりとした意見を言ってもらえると思ったからだ。そうじゃないにしても、自分はこういう活動をしているのですという名刺代わりのつもりもあった。

「そこまで言いますか。」Sは腹を立てて、つい言ってしまった。

「そこまでって言われても。感想を聞いたのはきみだよ。ダメなもんはダメなんだよ、この世界。」そう高田さんは言う。

「ダメっていうのは、あなたの意見でしょ。」Sも頭に血が上る。

「もちろんおれの意見だけど、誰が聞いても明らかだよ。幼い演奏と歌声だ。興味ないね。」高田さんは遠慮なかった。

「やってられない。」すぐれたものではないかもしれないが、一応彼にとっては魂をこめて作った曲である。アドバイスをくれるならともかく、全否定とは。

「おれの知り合いの女の子のほうがまだ上手いよ。」高田さんは首を振る。

「は?」Sはその瞬間、もうそこを辞める気でいた。

「もうちょっと頑張らないと、人に聞いてもらうにはさ。」高田さんはCDを返した。

「わかりました。どうやら高田さんとぼくの価値観は違うようです。ここを辞めます。」そうSは言った。

「何言ってんの。きみのつくった曲と、ここの仕事は関係ないだろ。」高田さんも立ち上がる。

「関係ありますよ。あなたのこと信用できないんです。こっちが一生懸命作ったもの、全否定するなんて。デリカシーもないし。」Sは一気に言う。

「きみが意見を求めたから答えたんだ。興味ない。それだけ。」高田さんも怒っている。

「いいですから、今日までの給料だけ払ってください。」SはCDをしまいながら答えた。

「なんだよ、きみを雇うんじゃなかった。あのあと、他にもたくさん応募があったんだよ。いい感じの経歴の女の子とかさ。でもきみが一番最初だったから取ったのに。」高田さんは眉間にしわをよせる。

「知らないですよそんなこと。そっちが勝手に採用したんでしょ。」SはCDの入った自分のカバンを持った。

「映画の経験もあるっていうから取ったのに。何だよ、全然自分から動かないし。何一つ仕事取ってこないじゃないか。」高田さんはそう言いながら、財布からお金を出して彼に渡した。

「さようなら。」Sはそれを受け取って、その場を後にした。

 中野の駅前を歩きながら、Sはせいせいした気分だった。さっきまでの怒りはもう過ぎ去っていた。自分の音楽を守ったようで、誇らしかった。あんな罵倒を受けて、のうのうとしていたらミュージシャンとして失格だ。もし高田さんの言うことが正しいにしても、言い方ってものがある。

 でも、まさか営業に出ることまで期待されていたとは。あまりにも肩の荷が重い。彼には向いていないのかもしれない。それに彼は二度と映像の仕事はしないだろう。これからまたバイト探しに逆戻りだな、Sはそう思った。だけどこれもいい機会だから、音楽の方に戻ろう。甘ちゃんなら甘ちゃんなりに、生きていくしかない。生き残れるか分からないが、高田さんをギャフンと言わせることができるように頑張ろう。そう思いながら、Sは東京の雑踏の中に消えていった。

 

第二十五日 見解

  

 見解の相違というものは常にある。価値観や意見というのは、その人の生きてきた環境や立場によって作られるから。東と西では違うし、北と南でも違う。国が違えば、同じものでも違う意味を持つ。それを風習と呼ぶこともできるし、現代社会で言うならルールが違うというところだろうか。大阪からやってきたSにとって、東京はまったく見解を異にする場所だった。

「なんでこうも違うんやろ。」とSはグチる。そしてそう言っているそばから、ちょっとした事件が起きる。彼が駅から自分のアパートまで自転車に乗って帰っているときのことだ。映像の仕事をしていた彼は、夜分遅くに一人自転車を漕いでいた。すると、前に突然人影が現れる。

「はい、止まって。」手をかざしたのは、警察官だった。Sは驚くとともに、またかという思いにかられた。これまで何度も警官に止められることがあったのだ。大した理由がなくても、東京では警察官がウヨウヨいる。Sはそれを数年前からのI都知事による、警察官増員の影響だと考えていた。こんな風に止められることなんて、大阪ではめったにない。でも東京では、こうも頻繁に止められるのだ。職務質問?

「どんだけヒマやねん。」とっさに自転車をそのままこいで、Sは軽く手を上げて通過した。自分は何も悪いことをしていないから、止まる必要ないというのが彼の見解だった。そして、今までも止められた経験があったので、こういう場合は「協力」「同意」をしなければならないという法律がないのも知っていた。彼は何も悪いことはしてないのだ。推測だけで人を拘束できるなら、警察には捜査令状も何も必要ないことになる。

 彼は少し嫌な気持ちになりながら、自転車をこぎ続けた。するとしばらくして、後ろから声がする。

「止まりなさい。」何と警察官が後を追ってきたのだ。

「なんやねん。」彼は後ろを振り返ることもせず、自転車をこぐ。何しろ彼は何も悪いことはしてない。

「止まりなさい。」後ろから、二台の自転車。警察官が猛スピードで追ってくる。

「協力しません。」彼は断固として止まる気はなかった。

「なんでですか?」ほとんど犯罪者を扱うような目つきで、警官は汗をかきながら言った。

「理由はないです。協力はしません。」Sは自転車をこいでいく。

「なんでですか、止まってください。」警官も止まる気配がない。それどころか、ますますスピードを上げて、Sの真横に来る。

「やめてください。」Sはあくまで丁寧に言いながらも、止まらない。

「ちょっと、止まりなさい。」だんだんと警官の言葉はエスカレートする。Sが横断歩道を渡って、住宅街を進むうちにちょっとしたデッドヒートになってくる。

「協力しないって言ってるでしょ。やめてください。」彼は主張しながら、マイペースに自転車をこぐ。警官のうち一人は後ろで、トランシーバーか何かで連絡を取っている。そしてすぐ近くの警官は血相を変えて、ほとんど自転車をぶつけんばかりだ。

「だから何でかって言ってるんです。止まってください。」警官は血眼になりながら、そう叫んだ。

「やめてくださいって、言ってるでしょ。協力する気がない、それだけです。」彼はそう言いながら、進む。するとほとんど彼の道を塞ぐように、二台の警官が前に出た。

「ちょっと、やめてください。警察官が何をするんですか。」Sは深夜の住宅街で叫んだ。そして何とか前に進もうとする。

「止まりなさい。」何回も警察官は繰り返す。

「名前は何ですか。」Sは怒りながら尋ねた。

「私は××警察署の●●です。止まってください。」まるで警官はオウムのように繰り返す。

「××警察の●●さん、やめてください。止まらないです。」まるで警察の犬にでも追いかけられるように、Sは逃げた。逃げる理由もなければ、追いかけられる理由もない。ただあるのは、見解の相違である。

 住宅街で大声で叫ぶ声が聞こえる。迷惑しているのは住人たちだろう。しかしSにとっては、それは自分の権利を凌辱されることでもあった。「協力」しないと言っているのを、無理やり捕まえることができるならこの国は法治国家と言えるだろうか。しかし警察のほうではそうは思っていない。もちろん法律の縛りはあるが、なるべく怪しいものを取り締まるという考えで動いている。では「怪しい」の定義は何か?それは警察官の個人的な見解ということになる。実際にSが怪しいかどうかは別にして、彼は何も悪いことをしていない。つまり警察官の見解は間違っているのだが、彼らはまるで火のついた車のような状態。何しろ体育会系の若い警官二人だ。

「ご主人、止まって。」大声であげる警官の声に、Sは眉をひそめる。

「誰がご主人やねん。」とは声に出さないが、違和感を感じた。警官の言葉はあくまで丁寧だが、自転車をほとんどぶつけるように寄せてくる態度は高圧的。そして、その後ろからとうとうパトカーの音がしだした。

「そこの自転車、止まりなさい。」今度はそのパトカーのマイクが、横暴に言い放つ。赤いサイレンとともに、完全に逃走犯を追うような格好だ。

「だから、止まらへんって。」あくまでSは頑固に言った。

「止まりなさい、自転車、止まりなさい。」もう町中に聞こえるような音が深夜に響く。

「やめろって。」Sが叫ぶ自転車の前に、三台目の自転車が現れた。そして前からは別のパトカーも来て、道を防ぐ。とうとうSは止まらざるをえなかった。警官の自転車は三台で、Sを取り囲んだ。そして大きな体の警官が体を張って、一歩も前に逃さない形だ。

「捕まえたぞ。」とは言わないまでも、彼らは完全に逃走犯人を確保したときの強い態度だった。

「だから、何をするんですか。××警察の●●さん、やめてください。」Sは最後の抵抗とばかりに、思いっきり叫んだ。

「まぁまぁ。」そこへ登場したのが、パトカーから降りてきた中年の警察官だ。アドレナリンが出まくっているSや若い警官とは違い、彼は落ち着いた物腰で言った。今やSの周りには、パトカー二台に自転車三台、警察官が八人いた。

「だから、協力しないって言ってるのに。なんで止めるんですか。」Sはあくまで自分の法律的な立場をたてに取った。

「なんで協力しないんですか?理由をきかせてください。」中年の警官が聞く。若い警察官はさすがに、Sからキョリを置いた。そして別の二人が彼を逃げないように立っている。あと二、三人は、住宅の人々に説明しているようである。

「理由はないです。単に協力したくないから、協力しないって言ってるんです。」Sは大声で言った。

「ライトがついてませんね。」警官は目ざとく自転車をチェックした。

「ライトは持ってます、これです。」自転車のライトは壊れていたが、Sの手にはライトがあった。

「それじゃダメなんですよ。」警官はそう言った。でもSはその言葉をすぐに信じはしない。

「どこに記されてるんですか?道路交通法に載ってますか?」そうSは尋ねた。

「いや、ダメなんです。警官がそう言ってるんだから、本当です。」警官はそう言ったが、Sは疑っていた。

「整備不良ですね。切符を切りますよ。」警官は少し脅すように言った。

「だから、ライトは持ってますって。」Sは再度大声で言う。近所の迷惑になることは分かっていたが、この事件をアピールしようという気もあった。

「こちらは協力をお願いしているんですよ。」別の警官が高圧的に言う。

「だから何もしてないし、協力しないって言ってるんです。」Sはまた同じ事を繰り返した。

「なんで協力しないんですか。」中年の警官が諭すように言う。

「嫌いだからです、警官が。」Sは反抗的な言葉を出した。

「なんでですか。」警察官たちは少し呆れながら言った。

「警官に何度も止められてますから。この間も止められました。この自転車を防犯登録してるか電話するんですよね。でもこの自転車はもらい物だから、登録とかしてないんですよ。」彼は自転車について説明した。

「うーん、誰からもらったんですか?」警官は尋ねる。

「地元の友だちです。それ、前も言ったんですよ、らちがあかないんですよ。」Sは首を振る。

「その人とは今も連絡が取れますか?」明らかに警官は疑うような目で見ていた。

「この時間に電話するアホはおらんでしょ。」Sは正論のように言った。しかし、Kがすでに亡くなっていることを彼は言わなかった。

「分かりますよ、ご主人のおっしゃってくること。でもこちらも盗難にあった自転車かどうか調べないことには。」そう警官は主張する。

「だから、それはそっちの勝手な憶測でしょ。こっちは何もしてないし、盗んでないです。以前も調べられて、結局分からないんだから。時間だけこうしてロスして。」時間を確かめると、もう深夜の二時だった。本来なら一時にはアパートに帰っているはずである。それが警官大勢に囲まれての押し問答とは。しかしSはここで一歩も引くつもりはなかった。それは、彼の見解によれば権力に負けるということを意味する。

「いや、分かりますよ。でもこっちも仕事だから。怪しい人は調べないと。」中年の警官はそう言った。

「自分が怪しいってことですか?」Sはジロリと警察官を見る。すると、警官たちは黙り込んだ。Sは堂々としていたが、相手が彼を怪しいと思っていることは明らかだ。しかしながら、こうして話している間に少しづつ雰囲気は和らいでいった。

「ほら、ライトもつけてないし。」警官が言った。

「だからライトは持ってますって。」Sは頑迷だった。

「それじゃダメなんですよ。とにかく、身分証明書を見せてください。」警官は言うが、Sは首を振る。さすがに警察官たちも、この押し問答の中で相手がただの一般市民だということに気づき始めた。

「協力しないって言ってるのに、それを無理やり協力させるんだったら、こちらの権利はどうなるんですか。」Sは法律を持ち出した。警官は犯罪には強いが、法律には弱いということも知っていた。

「そこをお願いしてるんですよ。こっちもやすやすと怪しい人を逃がすわけにいかないんだから。協力してくださいよ。」警官も引き下がらない。

「しないって言ってるんです。」Sが首を振ると、若い警官がまた出てくる。

「いつまで言ってるんだよ。早く身分証を出せよ。」荒々しく出る警察官に向かって、逆にSは冷笑を浴びせた。いよいよ本性が出たなと思ったのだ。

「あなたたちは協力するのが当たり前と思ってるでしょうが、こっちは迷惑してるんです。毎晩毎晩巡回で、呼び止められて。悪いこともしてないのに。」Sは冷静になってきた。

「協力するの当たり前でしょう、市民として。安全のためにやってるんです。」若い警官は言った。

「それはあなたの見解でしょう。全員が同じ意見だと思ってるんですか?自分は違う見解です。迷惑なんです。」Sはそう言い放った。

「ったく。」若い警官は引き下がる。

「まぁまぁ。とにかくライトは整備不良ですから。とにかく切符というか、警告証だけ渡すので。身分証を見せてサインだけしてくださいよ。」ようやく中年の警官が間をとりもつように言った。Sはそのライトに関してだけは、ちょっと確証を持てなかった。たしかに警官が言うようにダメなのかもしれない。しかも、警官たちはうんざりする様子は見せながら、サインするまでは引くことはないように見えた。彼らも仕事だし、Sのサインも何もなしに署に帰れないだろうなと彼も推測した。

「分かりました。サインだけはします、身分証はこれです。」とうとうSは運転免許を見せた。

「はい、じゃあ警告だけですから。あれ、大阪ですか。」免許を見た警官は、首をかしげる。

「そうです。何か?」苦虫を噛み潰す警官たちを見て、Sは少し勝ち誇った。もちろん彼らが期待したのは東京在住の免許だろう。そうすれば、身元をすぐに確認できるしリストに載せることもできる(そのようなリストがあれば)。何より大阪の免許ということは、やはり「怪しい」人ではないかという可能性が出てくるのだ。

「あのね、黒いシャツに黒いカバン。やっぱり警官も経験があるから、そういう格好の怪しい人じゃないと追いかけたり、止めたりしないんですよ。」警官はそう言った。そう言われてみれば、たしかにその日のSの格好は黒いシャツである。しかも映像の機材などを入れていた大きな黒バックを、自転車のカゴに積んでいた。

「でもそれは、結果的に間違っていたわけでしょ。」しかしSは負けじと言い返す。

「間違いではないです。」と警官が今度は反論する。

「間違いでしょ、認めてくださいよ。」Sは声を荒げた。

「間違いではないです。それを確認するのが、仕事ですから。」警官は警官の見解から物事を見ていて、引く様子を見せない。

「だから、怪しいかどうかもその人の見解でしょ。その警官個人の、経験と。もっとしっかりしてください。こっちは協力する義務はないんだから。」Sは自分の見解を説明した。警官たちは納得してないようだったが、身分証を見せてからはずっと柔和になっていた。最初の犯罪者扱いと大違いである。

「お手数かけました。でも、それが仕事ですから。」警官はあくまで言い張る。

「だからI知事のときに、警官を増やしすぎやねん。」Sはぶつくさと文句を言った。

「お時間とらせました。ライトはしっかり整備してください。お気をつけて、さようなら。」中年の警官がそう言って、ようやくSを解放してくれた。Sはトボトボと歩き、ようやく自転車に乗る。しかも警戒している彼は、すぐにアパートには帰らない。家を把握されないように、わざと迂回した。時間はもう深夜三時を過ぎていた。

「もうちょっとで埼玉県やったのに。」Sは部屋に戻ってからそう思った。東京都と埼玉県の境の出来事である。多分、埼玉に入っていれば警視庁と書いたパトカーや警官は追ってこないのではないか。Sはそう思ったが、実際にどうかは分からない。埼玉や他の地方の警官は、東京都の警官よりは緩やかである。東京都の警官はもっと人数が多く、しかも仕事熱心だった。いや警官だけでなく東京という町自体もそうだ。それだけ人口も多く、犯罪も多いということだろう。

 部屋に帰ったSは、ネットで道路交通法を調べてみた。そしてライトについて規定を見ると、たしかに夜間照らすものを常備してないといけないと書いてある。ただし、それが自転車に装着していないといけないかどうかまでは「書いてない」。つまり、手に持っていても問題はなかった。Sはため息をついた。たしかに警官はウソはつかなかったかもしれない、でも真実をすべて述べているかどうかまた別の見解というわけだ。

 

第二十六日 破壊

  


 東京に破壊神が舞い降りたのは、いつのことだったろう?そう、破壊神とは言うまでもなくゴジラのことである。東京が自らの手で破壊される。いや、ゴジラとは自然の代弁者であったはずだ。科学を信仰し、経済が上り坂だった時代。アメリカなどによる西洋的合理主義が社会を席巻していた。そこへ自然=地球の代弁者としてゴジラがやってきた。

 ただ本来、西洋の考えからすれば自然には立ち向かうものだ。自然を制圧し、科学により楽園を復活させる?それはキリスト教とも関連した価値観である。日本の場合、そこまで徹底していない。西洋合理主義を取り入れ、科学や経済の恩恵を受けてきたにも関わらず、いまだにサムライの国には封建主義さえ残る。

 それを社会的一体感と呼ぶこともできる。アメリカや欧州のように、雑多な民族や人種が入り混じってはいない島国だからこそ、キリスト教に頼らずとも、統一されている。必要なのは協調や調和であり、裏切りや破壊は奨励されない。

 その象徴となるのは、キリスト教ではなく天皇である。英語ではエンペラーと呼ばれる日本の象徴「天皇」。皇帝とは違う特別な存在?それは、二千年以上にわたる日本民族統合の象徴であり、今も続く歴史そのものというわけである。そして自然も天皇により制覇する、というより調和して生きていくという考えだ。

 たとえ日本が台風や地震など、天変地異が多い国だとしても、いやだからこそ自然を受け入れて生活していくしかないのである。そこにあるのは西洋的な科学主義というよりは、東洋的なあいまいさ。そのあいまいな境界、溝にやってきたのがゴジラだ。西洋的な考えではゴジラは生まれない。せいぜいゴーストバスターズのマシュマロマンや、スターウォーズのダースベイダーである。

 第二次世界大戦で敗れた日本は、アメリカによる物質主義の強烈な洗礼を受けた。そして経済的な発展を優先し、そこに追随・便乗した。だから科学や合理主義を表面的には取り入れたことになる。だが根本的な価値観や考え方は、そこまで急に変わらない。自然はあくまで調和すべきものである。そしてそのことを忘れた、または忘れかけた東京にやったきたのがゴジラという破壊神だ。

 科学を信奉している(はずの)自衛隊も、ゴジラをやっつけることはできない。おそらくハリウッド映画なら、ゴジラをやっつけるはずである。少なくともマシュマロマンは、ゴーストバスターズたちに退治されてしまった。またはダースベイダーも、ルーク・スカイウォーカーにやっつけられた。

 東京、日本はまだまだ甘さが残っている都会だ。その甘さは、原始的と言っていい自然崇拝の考えからきている。八百万の神は自然の中に存在する。自然を作ったのが神ではなく、自然の中に神がいるのだ。トトロもゴジラもそのうちの一つだと考えていいのかもしれない。かつて原子爆弾やB29により破壊された日本は、完全には科学を信頼しきっていないようだ。

 少なくとも一つの神を信仰するよりは、千差万別の中に神を見る。だからゴジラにさよならすることはできない。東京の街がほとんど無抵抗のままゴジラに破壊されるのも、当然のこととして見守るしかない。相手は破壊神なのだ。そして、それを収めることができるとすれば自衛隊ではなく天皇である。もちろん象徴的な意味だが。その時、はたしてゴジラは天皇にも対峙するのだろうか。

 


第二十七日 十戒

 

 東京は撮影の街である。少なくとも日本のほかの街よりは、断然撮影が行われている。テレビや映画は一般的な市民の楽しむメディアだ。しかし一方で、ほとんど撮影現場については知られていない。ごく一部のスタッフとタレント、俳優などによりひそかに?行われているのである。

 アメリカならショービジネスと呼ばれるような世界。日本では「芸能界」である。よくもわるくも賑やかで、花がある。また醜聞もお金になるような世界。食うか食われるか。またタレントといえども「商品」というのがこの世界での価値観。商品だから丁寧に扱わないといけない。

 そしてこの世界には、厳しい不文律の掟みたいなのがある。もちろんどの世界にもそのようなものはあるのだろうが、特に厳しいという意味では職人的な世界である。メディアといえば広く大きいイメージがある。だが実際にはごく少数の人がパイを食いあっている。芸能人といっても、相対的にはごく限られた人数である。

 ピンからキリまでお笑いの卵、作家の卵、俳優の卵、ミュージシャンの卵、漫画家の卵。東京には卵がゴロゴロしているが、ちゃんとかえるのはごく一部。さらに成長して大成するのは、ごくごく一部である。限られた人だから優遇されるのは当たり前。売れてる人のもとには、スポンサーがついてかなりの金が入る。

 庶民的なイメージとは裏腹に、芸能界は非情に怖い。怖いというのは、鉄の掟があるからだ。まるで十戒のように、それを知らなければモーゼにも導いてもらえない。その一、「縦の関係が大事」。横並びのように見えても、そこは職人的な縦社会。封建主義が色濃く残る世界。つまり敬語や礼儀を重んじる。ある意味でヤクザ的な世界であり、そういうことを重んじない人は弾かれる。

 その二、「事務所に所属しろ」。フリーで活動している人もマレにいるが、そういうのは少数派である。だいたいは所属事務所があって、そこを通して仕事を得る。フリーの人は間に人を介さないわけで、それがいいときも悪いときもあり、うまくいっているときはいいように思えるが、いったん関係が冷えると間に事務所を介しているほうがいい。またお金のやり取りや税務処理など、事務所がやってくれるのは助かるものだ。その際、給料制か歩合制かなどはきちんと決めておく必要がある。

 その三、「フリーになるのは気をつけろ」というのも、事務所の圧力があるからだ。タクシー業者と同じで、フリーで活動して全体の賃金を安くされてはたまったもんじゃない。その業界には業界一定の基準というものがある(大手が決めている)。普通の競争社会では、そこを競いあう。芸能界もそこは同じで、完全に談合しているわけではない。いくつか事務所はあり、お互いに競争している。

 その四、「マネージョーの言うことは聞いておけ」というのは、事務所に入っているからこそのことだ。特に新人時代はマネージャーの力が大きかったりする。売れてくると自分の力と勘違いしそうだが、売るほうの努力を忘れてはいけない。そう、あくまで芸能人は「商品」というのがこの世界の掟である。だからマネージャーや事務所の方針には沿ったほうがいい。問題があるなら話しあうべきだ。

 その五、「自分で決めるな」というのも、その四と通じるところがある。自分の才能はこれこれだ、または自分の長所はこれこれだと思っていても違う場合がある。周りのほうが客観的に見ている場合が多い。ある売れている俳優などは「自分では役は決めない。マネージャーが持ってきた役をやるだけだ。」と話している。実際その方が、役の幅も広がるそうだ。

 その六、「別れは簡潔に」というのは東京の流儀である。いやニューヨークなどはもっとさっぱりしているだろうが。そこにジメジメとした感傷が入る余地はない。いや、ジメジメとしていては仕事はできない。特に別れ際は大事だ。少々ツラくても一期一会と思って、さっぱり別れたほうがいい。これは仕事を断るときの掟と同じだ。ただきちんと挨拶はすること。

 その七、「ブッチはするな」というのは常識である。しかしこの常識が、意外に通用しないのが若手や新人などの甘ちゃん。いや甘いだけでなく、新人だからこそツラい仕事なのである。早朝ロケだったり、深夜ロケだったり、食事が出なかったり。ブラックな撮影現場というのはあるものだ。それでつい仮病や事故などを理由に、ブッチしてしまう。その気持ちも分からないこともないが、一言早めに電話するだけで防げることだ。逆に言うなら、大御所になればなるほどそういうところはキチンとしている。

 その八、「自分の特徴を知っておけ」というのも、芸能界で生き残るためには必要なことだ。マネージャーや事務所が戦略を立ててくれるならいいが、それでも自分が把握しておく必要がある。そして自分のやりたい方向との整合性を見るのだ。すべてが戦略通りに進むとは限らないが、客観的に競合する相手との違いや自分の特徴を知っておくことは、商品を売り出す場合(プロデュース)に役に立つ。

 その九、「技術を磨け」というのは、芸能人には必須である。芸能人といっても、役者もいればアイドルもいるし歌手や司会者もいるだろう。それぞれの技術を磨いていくことが、プロとして重宝される。自分の特徴や方向性を見極め、どこをのばすのかをよく考える。その上で、技術を磨いていけば長期的に決してすたれることはないのである。

 その十、「挨拶が大事」というのは、その一の「縦の関係が大事」と関連することだ。芸の力、技術の力、才能などは開花したりしぼんだりする。競争相手との兼ね合いで、自分が売れたり売れなかったりする。だが、挨拶だけはどの時代でも、どんな世界でも、どんな人に対しても通用する。された相手は悪い気はしない。少なくとも、相手との窓口を開いておく最低限の掟だ。

 面倒くさい世界である。一見華やかで、たしかに売れたらお金は手に入る。そんじょそこらの会社員の比ではない。人気者になりたいなら、たしかに魅力的な世界かもしれない。だが、現場は常に泥まみれということを忘れてはいけない。そして泥にまみれながら、それを養分として咲く蓮の花になれば、この掟の意味もよく分かるようになるだろう。もちろんこの十戒を破ったからといって、命がなくなるわけではない。ただ芸能界で生き残るのが少し難しくなり、サヨナラするだけの話しである。

 

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