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夏祭り放浪記 その1:激動の24時間・「夏まつり」中止編

はじめに

 この記事は、「夏祭り放浪記」その1である。ここでは、「夏まつり」中止までの流れと、「個人夏祭り」の提唱を取り扱う。続きもぜひ読んでいただきたい。


「#阪大個人夏祭り」

 今年、大阪大学箕面キャンパスの7月6日は「何も無い」土曜日のはずだった。開催が予定されていた学祭「夏まつり」が当局により中止に追い込まれたからだ。
 当然ながら箕面キャンパス敷地内はがらんどう。ただオープンキャンパスのみが予定通り行われた。

7月6日の朝の箕面キャンパス 本来はここに出店が並んでいるはずだった

しかし、キャンパス内の静寂とは打って変わり、キャンパス前の道路、そして最寄り駅の市民広場は賑やかな雰囲気に包まれた。前者は近隣の商業団地組合による歩行者天国、後者は自主学祭である「個人夏祭り」によるものだった。

大阪船場繊維卸商団地協同組合による【Summer Festival Hokoten】
市民広場「チカノバ」で行われた「個人夏祭り」

 「個人夏祭り」では、スーパーボールすくいやお面販売のような「夏祭り」っぽい企画から、「全国で拾った石の販売」や「本の書き出しカルタ」、「段ボールタテカン製作体験」が行われ、団体としては「再履バス同好会」や「阪大あそび部」が参加した。そして、夕方には夏祭りおなじみ盆踊りも行われた。

 本稿は、なぜ、どのように学祭「夏まつり」が中止に追い込まれたのか、そして、自主学祭「個人夏祭り」開催に至るまでの紆余曲折を追うものである。

なお、「個人夏祭り」についての大まかなあらましについては以下の記事を参照:

青天の霹靂――「夏まつり」中止と自主学祭案の浮上――

6月6日夜――「夏まつり実行委員会」SNS垢消しが判明――

 事の発端は、「個人夏まつり」の日のちょうど1ヶ月前に遡る。

6月6日木曜日夜、「夏まつり(通称:夏ま)実行委員会」の、Twitterを始めとしたSNSのアカウント、さらには委員会の公式HPが何の前触れもなく消去されていたことが判明したのである。
 初めは何かの手違いかと思われたが、筆者が情報を募ってみると、どうやらこの垢消しは意図的なものであることがわかった――つまり、何らかの不祥事があり、それを受けての垢消しであったのだ。

出展者用グループラインで私が投げたメッセージ
委員会からの返答

 この日の夜、筆者の元にひっきりなしにタレコミDMが届いた。情報を総合すると、「夏まつり実行委員会の新歓にて未成年飲酒が行われた」「未成年飲酒が発覚し、大学から何らかの処分があった」「『夏まつり』がどうなるかわからない」ということになった。「実行委員会はこのまま空中分解するのではないか」との見込みもあり、出展者は錯綜する情報の中宙ぶらりんの状態に置かれた(サークル等の問題を取り扱う「サークル葬送サークル」※1でも創立以来類を見ない規模の情報収集・議論が行われた)。そして、翌日夕方にようやく答え合わせがなされることになる。

 ちなみに、タレコミ元への配慮のため、情報公開するにできなかったところ、野暮用で豊中キャンパスにおり、時間を潰すために木登りしていたらたまたま通りがかった人間が大体全てを言ってくれたという珍事もあった。

※1 「サークル葬送サークル」について詳しくはこちら


6月7日昼――論点整理と「裏事情」の疑惑――

 木曜日夜から、「夏まつり」の出展者は五里霧中の状態に置かれていた。7日金曜日昼に「夏まつり出展者/参加者フォーラム」を急遽開き、情報共有や論点整理を行ったものの、今後は未だ不透明であった。ただ、参加者の中に「自主学祭をやるなら盆踊りをしたい」と言う者がおり、これは1ヶ月後に実現することとなる。

夏まつり出展者/参加者フォーラムの看板

なお、当時の論点は主に次の2点であった。まず1つは、「出展費が返ってくるのか」であった。今回の夏まつりでは、出展者は実行委員会に最低でも6000円、多い団体では数万円の出展費を払っていた。だが、出展費支払時の誓約書に、「いかなる場合においても返金対応が行われないことに同意する」という記載がされていたのだ。出展者は荒天等による中止時における免責のためだろうと思い同意したものであるが、事が事だけに「実行委員会都合の中止においても返金はされないのか」という予測も広がっていたのだ。
 もう一つは、やはり「夏まつりは行われるのか」というものだった。こちらも、「おそらく中止だろう」という見込みが大勢であったが、確定した情報はなかった。この時点では私は「もし中止となれば自主学祭をやりたい」というように言っていた。

 さらに、「阪大の教授会で『夏まつり実行委員会』存続派と廃止派が半々に分かれている」「そもそも阪大教授会の中にはなつま自体を廃止して、『夏まつり実行委員会』を、豊中キャンパスの学祭を強権的に統括する『大学祭中央実行委員会』に統合しようとする動きが以前からあったらしい」というタレコミも寄せられ、「未成年飲酒」以上の「ウラ」があるのではないかという疑惑も持ち上がってきた。

6月7日夕方――夏まつり中止連絡と「個人夏祭り」提唱――

 その霧が晴れたのは翌日の夕方、夏まつり中止の連絡が届いた時であった。

実行委員会からのメール 16:37に届いた

 かくして、木曜日夜の、実行委員会SNS・HP削除判明に始まる激動の24時間が終わった。一先ず、返金対応はされるようであった。
 しかし、これで「夏まつり」はナシになってしまうのか。いや、今こそ阪大の「学生自治」が試されている時ではないのか。そう思い、私は中止連絡の後すかさず自主学祭である「個人夏祭り」を提唱した。

 上記ツイートは、「夏まつり中止」の衝撃冷めやらぬうちに拡散されたこともあり、多くの人から「出展したい」「参加したい」という声が寄せられた。当日中には自主学祭のディスコードサーバーができた。

 なお、いつかどこかで「自主学祭」をやってみたいとは思っていたので(前々から11月の「まちかね祭」片付け日にやってみたいとは思っていた)、正直なところ「棚からぼた餅」感はあった。

 とりあえず、6月7日には「夏まつり」が正式に中止となり、自主学祭「個人夏祭り」を開催する動きが形成された。しかし、「公式学祭」という巣から、当局という親鳥に蹴り出された「夏祭り」の放浪記は始まったばかりだった。この雛鳥は、日々目まぐるしく変わる状況、そして徐々に明らかになる当局の「オトナ」の思惑の中をくぐり抜けていくことになる。

その2へ

 続くその2では、「個人夏祭り」当初のプラン、最終的な開催形態への紆余曲折、当局との衝突、明らかになる「裏事情」を扱う。ぜひ読んでいただきたい。



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