親にグッバイ
親に土下座をした。血液が全て逆流し、わたしの体の中を駆け巡る。これほどの屈辱が今まであっただろうか。本当のラスボスはやはり親だったのだ。
親をないがしろにしたという理由でわたしは土下座をしていた。手術後に退院した母から呼び出されたのはまだ寒い1月の中旬だった。やはり来た、というのが素直な感想だった。私は入院中の母を見舞ったこともないし、退院祝いも贈っていなかった。自分の生活を立て直すことに必死だったからだ。
離婚が成立するまで3年。離婚が成立してから3年。数か月働いては辞め、数か月休養しては働き、の繰り返しだった。
主治医からは、生活保護を受けるように何度も言われていたが、どうしてもその勇気はなかった。どうも仕事がないとさらに鬱が悪化するタイプの人間のようで、働いている時の方が「行く場所がある」安心感があったのだ。
それでも休日は布団にくるまりどこにも出ず、台所は洗えていない食器が重なり、洗濯機は見るも無残な状態だった。土日に寝ていないと月曜日から仕事ができない。友人からくるラインも放置して、お風呂にも入れず寝る日々だった。
母から呼び出された時、ちょうどこれから寝ようと思っていた時だった。コンビニで買ってきたカップラーメンが空いた容器をゴミ箱に投げ入れ、睡眠薬を飲み、お布団に入ろうとしていた。
電話がなる。実家の電話番号だ。無視することもできるが、無視した後が怖かった。怒鳴り散らしに家に来るかもしれない。そう思い、睡眠薬でぼんやりした頭に刺激を淹れるためにブラックの缶コーヒーを立て続けに二本飲む。
シャワーを浴びる。自分の臭いを洗い流す。これから起こりうることを考えてげんなりする。恐らく一時間では帰って来られないだろう。何を言われるのかは大体検討は付いていた。「この親不孝者」とかだろうな。
一緒に暮らしている猫をぼんやり見る。猫になれたら自由なのに。「ももこ」と呼んでいる私の猫は一鳴きしてからどこかに行ってしまった。
やはり缶コーヒーだけじゃ睡眠薬には勝てない。目をつぶりたくなる衝動を押さえつけてなんとか実家にたどり着く。昔ながらの木でできた表札を横目で見ながらチャイムを押す。
怒りの感情をあらわにした父親が出てくる。「ご無沙汰しています」と告げても返事はない。顎を斜めに曲げて入れの合図をする。私は頷き、お邪魔しますと奥の母親にも聞こえるように大声を出し、靴を揃える。
「やっと来たのね」
母親はベッドに横たわり、目を細める。「ご無沙汰してしまいごめんなさい」と母親に謝り、父親にも謝る。
それから罵声を浴びるまではすぐの事だった。何を言われていたかも覚えていない。ただ自分がこれからこの二人から離れなければならない事だけが分かっていた。
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