マリア崇敬② ー十字架の預言を受けた母ー
マリアは主イエス・キリストを神殿に奉献する際、神殿の司祭であるシメオンから預言を受けました。
シメオンの預言
祭司シメオンはイエス様がマリアとヨセフに連れられた時、聖霊に満たされて神を賛美しました。
その際に、マリアはシメオンから言われたことがありました。
これが、シメオンの賛美です。
重要なのはこの先のシメオンの言葉です。
ここに、シメオンの預言が書かれています。
シメオンは「父ヨセフ」にではなく、「母マリア」に向けて預言をしました。
そしてそれは、「あなた自身の心さえも、剣が刺し貫くことになります」という、とても厳しい預言でした。
これが、十字架の預言となるのです。
なぜヨセフには預言がなかったのか?
では、なぜシメオンはマリアにしか預言しなかったのか?という疑問を持つ人もいるでしょう。
それは、イエス様の公生涯を見れば予測することが出来ます。
イエス様の宣教にはマリアと兄弟たちがついていきました。
しかし、その中にヨセフの名前はありません。
しかし、ヨセフはイエス様が12歳の時には父子共にいる様子が描かれています。
ただ、イエス様の宣教と十字架のシーンには登場していません。
つまり、イエス様が宣教を始められた時には、既にヨセフは亡くなっていたと考えられるのです。
ヨハネの福音書から十字架の箇所を引用しましたが、他の福音書の十字架の箇所にも父ヨセフの名前は全く出ていません。
ということは、シメオンが母マリアだけに預言をしたのは、父ではなく母マリアのみが十字架を見上げたという事実に繋がるのです。
悲しみの聖母
今までの話から、キリストの十字架を見たのは、両親のうち母マリアだけでした。
その時に、キリストが十字架の磔刑を受けていた時に、自分のお腹から生まれたイエス様を見て、マリアは剣で胸を刺し貫かれる思いをしたのです。
カトリックにはたくさんの祈りがあります。
ロザリオの祈り、十字架の道行、お告げの祈り等…
その中で特にマリアの視点から十字架を想起する祈りがあります。
それが、「悲しみの聖母」です
※竪琴音色キリスト教会の栞様からは、どの記事も引用許可をいただいてます。
ロザリオの祈りはイエス様の公生涯を見つめたマリアと共にイエス様を思い起こし、悲しみの聖母はマリアと共に十字架を見上げる祈りなのです。
ですから、マリアによって祈ることは決してイエス・キリストから離れたものではなく、イエス・キリストの十字架に向き合う祈りなのです。
なぜなら、十字架につけられたキリストをマリアが見ていたように、私たちもマリアを通した信仰の目で見ているからです。
これが私の解釈なのですが、プロテスタント諸教派では、イエスではなく、マリアによって祈っていると誤解を産む解釈をして、信徒たちに教えているのです。
カトリシズムを知らない人、ロザリオの祈りを祈ったこともない人が批判することはおかしいのです。
しかし、ルター派の教会や聖公会では、マリア崇敬が伝えられてきているので、一概にプロテスタント全てが誤解しているわけではありません。
しかし、ロザリオの祈りも何でも、カトリックが聖母マリアに取りなされて祈ることは、プロテスタントで言う兄弟姉妹に取りなして祈ってもらうのと同じことなのです。
なぜ、地上の人間の取りなしの祈りは祈りとして数えられるのに、神の国に入ったキリスト者の祈りは祈りとして認められないのでしょうか。
主はご自身を死んだ者の神ではなく、生きている者の神だと仰られました。
天上の聖徒たちも、死んだ者ではなく、聖霊の衣を着せられて生きている者なのです。
だから、主は天上でも地上でも祈りを聞き届けられるお方です。
そうでなければ、なぜ、神の国にいる殉教者たちが神の裁きを求めて叫び続けることが出来るでしょうか。
死んだ者は何も語れません。
しかし、死んでも霊が生き続けている者、つまりキリスト者は永遠に生きていくことが出来るのです。
希望の母
マリアがキリストの十字架によって、心を刺し貫かれたところから、それだけではマリアは苦しい思いをするだけでした。
ですが、イエス様は死の直前に、愛する使徒ヨハネに言葉を授けました。
イエス様は弟子ヨハネにマリアと共にいることを求め、血の繋がりはないけれども、神にある家族として生きるように言いました。
ここに、神の家族の美しさがあります。
そして、復活の後、弟子たちにこう語られました。
弟子たちとマリアは太字のイエス様のご命令を守り通していました。
そして、祈っている最中に聖霊が来られたのです。
こうしてイエス様は、母マリアが絶望に落ちることなく、弟子たちと共に希望を持って信仰に立つことが出来るようにされました。
イエス様は、死ぬ直前に親孝行をなされたのです。
マリアは決して、イエス様と関係のないお方ではありません。
ずっとイエス様の宣教を見続け、最後に信仰を持ったのです。
長くなりましたが、次の記事では「十字架の証人」としてのマリアについて書いていこうと思います。
マリア崇敬について、もっと知りたい!興味がある!という方にはこちらの記事も読まれることをオススメします。
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