最近、消費者庁が呼びかけをしていて、Twitterでも時々話題になるので、この言葉を知ってる方もおられるかもしれません。今日は食品ロス問題を主題に食品の重要性とキリスト教の教えについてお話ししたいと思います
食品ロスとは
食品ロスとは何か、消費者庁ではこのように定義されています。
日本は食品のほとんどを輸入に頼っており、前年度の食料自給率は38%(カロリーベース)です。
カロリーベースとは、基礎的な栄養価であるエネルギー(カロリー)に着目して、国民に供給される熱量(総供給熱量)に対する国内生産の割合を示す指標です。(農林水産省HPより)
ですので、もしも、世界的に食料難に陥った時は日本国民は食べていくことが難しくなります。自分の国で食品を生産できていませんから。
それで、食品ロスの問題に注目していただきたいのです。
命からがら司祭しか食べてはいけないパンを食べたダビデ
ここから、キリスト教のお話をしたいと思います。ダビデは旧約聖書の登場人物でとても有名な人です。イエス様の系図にもその名が記されています。
このダビデさんは、イスラエルの民の王サウルに不条理にも命を狙われていました。それで、逃亡生活を送っていました。
逃亡生活の中でもちろん様々な場所を移動していたので、食べられなかったわけです。ダビデとその部下たちはお腹が空いて、命懸けでした。
そこで、ダビデはイスラエルの祭司アヒメレクの元へ行き、神に捧げられた臨在のパン(供えのパン)をアヒメレクからもらい、食べました。
本来してはいけないこと
ダビデが神に捧げられたパンを食べたのは、本当はしてはいけないことでした。イスラエルの民に与えられた律法(神の掟)にはこう書かれています。
ダビデに与えられたパンは本当はアロンの子孫である祭司の務めをしている人しか食べてはいけませんでした。
ですが、ダビデは神様にそのことを咎められることはありませんでした。
どうしてでしょうか?
新約聖書のイエス様がどう考えておられたかを次に書きたいと思います。
イエス様は命を守るお方
まずは、このイエス様の言葉をお読みください。
ここで言われている安息日とは、神様がイスラエルの民に与えられた律法で、要するに何も働かないで休む日のことです。これをイスラエルの民であるユダヤ人は厳守していました。
ですが、その安息日に弟子たちが麦畑の穂を積んだ時、それを見たユダヤ人はイエス様に注意しました。
しかし、イエス様は先程紹介したダビデがパンを食べた話をもってして、反論されました。
イエス様は、律法を守り行うこと、すなわち良いか悪いかで物事を考えるのではなく、命を守るかどうかで物事を考えておられました。
まとめ
神様は命を守るためには、ダビデが祭司しか食べてはいけないパンを食べることを許されました。
そして、神の子イエス・キリストも、命の基準で物事を判断しておられました。
これと、食品は何のためにあるか、それは命を養うためにあります。ですから、食品ロスのようなことは本来あってはならないことで、食品の無駄遣いとも言えます。
聖書には時代的に、直接食品ロスのことは書かれていませんが、命を守る食品は何よりも大切なものでしょう。
ですから、現代に生きる私たちも食べ物を粗末にしたりだとか、余らせたりだとか、そのようなことは控え、与えられた食品に感謝していただきたいものです。