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食品ロス問題とキリスト教

最近、消費者庁が呼びかけをしていて、Twitterでも時々話題になるので、この言葉を知ってる方もおられるかもしれません。今日は食品ロス問題を主題に食品の重要性とキリスト教の教えについてお話ししたいと思います

食品ロスとは

食品ロスとは何か、消費者庁ではこのように定義されています。

食品ロスとは、まだ食べられるのに廃棄される食品のことです。

日本では、まだ食べられるのに廃棄される食品、いわゆる「食品ロス」は522万トン(※)。

これは、世界中で飢餓に苦しむ人々に向けた世界の食料支援量(2020年で年間約420万トン)の1.2倍に相当します。

また、食品ロスを国民一人当たりに換算すると"お茶碗約1杯分(約113g)の食べもの"が毎日捨てられていることになるのです。「もったいない」と思いませんか?

大切な資源の有効活用や環境負荷への配慮から、食品ロスを減らすことが必要です。
※農林水産省及び環境省「令和2年度推計」
https://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_policy/information/food_loss/education/

日本は食品のほとんどを輸入に頼っており、前年度の食料自給率は38%(カロリーベース)です。
カロリーベースとは、基礎的な栄養価であるエネルギー(カロリー)に着目して、国民に供給される熱量(総供給熱量)に対する国内生産の割合を示す指標です。(農林水産省HPより)
ですので、もしも、世界的に食料難に陥った時は日本国民は食べていくことが難しくなります。自分の国で食品を生産できていませんから。

それで、食品ロスの問題に注目していただきたいのです。

命からがら司祭しか食べてはいけないパンを食べたダビデ

ここから、キリスト教のお話をしたいと思います。ダビデは旧約聖書の登場人物でとても有名な人です。イエス様の系図にもその名が記されています。
このダビデさんは、イスラエルの民の王サウルに不条理にも命を狙われていました。それで、逃亡生活を送っていました。
逃亡生活の中でもちろん様々な場所を移動していたので、食べられなかったわけです。ダビデとその部下たちはお腹が空いて、命懸けでした。
そこで、ダビデはイスラエルの祭司アヒメレクの元へ行き、神に捧げられた臨在のパン(供えのパン)をアヒメレクからもらい、食べました。

「ダビデは、ノブの祭司アヒメレクのところに行った。ダビデを不安げに迎えたアヒメレクは、彼に尋ねた。「なぜ、一人なのですか、供はいないのですか。」 ダビデは祭司アヒメレクに言った。「王はわたしに一つの事を命じて、『お前を遣わす目的、お前に命じる事を、だれにも気づかれるな』と言われたのです。従者たちには、ある場所で落ち合うよう言いつけてあります。 それよりも、何か、パン五個でも手もとにありませんか。ほかに何かあるなら、いただけますか。」 祭司はダビデに答えた。「手もとに普通のパンはありません。聖別されたパンならあります。従者が女を遠ざけているなら差し上げます。」 ダビデは祭司に答えて言った。「いつものことですが、わたしが出陣するときには女を遠ざけています。従者たちは身を清めています。常の遠征でもそうですから、まして今日は、身を清めています。」 普通のパンがなかったので、祭司は聖別されたパンをダビデに与えた。パンを供え替える日で、焼きたてのパンに替えて主の御前から取り下げた、供えのパンしかなかった。」
‭‭サムエル記上‬ ‭21:2-7‬ ‭新共同訳‬‬
https://bible.com/bible/1819/1sa.21.2-7.新共同訳
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本来してはいけないこと

ダビデが神に捧げられたパンを食べたのは、本当はしてはいけないことでした。イスラエルの民に与えられた律法(神の掟)にはこう書かれています。

「モーセはアロンと生き残ったエルアザルとイタマルに命じた。 主に燃やしてささげた穀物の献げ物の残りで酵母を入れないパンを作り、祭壇の傍らで食べよ。それは神聖なものだからである。 それを聖域で食べよ。これは主に燃やしてささげたものの残りで、あなたとあなたの子らに与えられた分である。わたしはそう命じられている。」
‭‭レビ記‬ ‭10:12-13‬ ‭新共同訳‬‬
https://bible.com/bible/1819/lev.10.12-13.新共同訳
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ダビデに与えられたパンは本当はアロンの子孫である祭司の務めをしている人しか食べてはいけませんでした。
ですが、ダビデは神様にそのことを咎められることはありませんでした。
どうしてでしょうか?
新約聖書のイエス様がどう考えておられたかを次に書きたいと思います。

イエス様は命を守るお方

まずは、このイエス様の言葉をお読みください。

「ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。 ファリサイ派の人々がイエスに、「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と言った。 イエスは言われた。「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。 アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。」 そして更に言われた。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。 だから、人の子は安息日の主でもある。」」
‭‭マルコによる福音書‬ ‭2:23-28‬ ‭新共同訳‬‬
https://bible.com/bible/1819/mrk.2.23-28.新共同訳
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ここで言われている安息日とは、神様がイスラエルの民に与えられた律法で、要するに何も働かないで休む日のことです。これをイスラエルの民であるユダヤ人は厳守していました。
ですが、その安息日に弟子たちが麦畑の穂を積んだ時、それを見たユダヤ人はイエス様に注意しました。
しかし、イエス様は先程紹介したダビデがパンを食べた話をもってして、反論されました。
イエス様は、律法を守り行うこと、すなわち良いか悪いかで物事を考えるのではなく、命を守るかどうかで物事を考えておられました。

「イエスはまた会堂にお入りになった。そこに片手の萎えた人がいた。 人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた。 イエスは手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われた。 そして人々にこう言われた。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」彼らは黙っていた。 そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。 ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。」
‭‭マルコによる福音書‬ ‭3:1-6‬ ‭新共同訳‬‬
https://bible.com/bible/1819/mrk.3.1-6.新共同訳
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まとめ

神様は命を守るためには、ダビデが祭司しか食べてはいけないパンを食べることを許されました。
そして、神の子イエス・キリストも、命の基準で物事を判断しておられました。
これと、食品は何のためにあるか、それは命を養うためにあります。ですから、食品ロスのようなことは本来あってはならないことで、食品の無駄遣いとも言えます。
聖書には時代的に、直接食品ロスのことは書かれていませんが、命を守る食品は何よりも大切なものでしょう。

ですから、現代に生きる私たちも食べ物を粗末にしたりだとか、余らせたりだとか、そのようなことは控え、与えられた食品に感謝していただきたいものです。

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