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私の中の罪

私が牧会を受けていく中で、自分が願っていたこと、そしてそれが大きな罪であったことを告白します。
まずは、体を張って、奉仕の後でもいつでも関係なく、毎日のように司牧をしてくださった竪琴音色キリスト教会・主任司祭のリラ(Twitterアドレス・@NoelRefrain)にごめんなさいと心からの感謝をお伝えします。

私が嫌いな人たち

はじめに、私が大嫌いだった人たちについて語ろうと思います。
それは、「承認欲求が強い人」です。
私はTwitter等でそのように誰かに認められようとするツイートを見ると、イライラしていました。
クリスチャンであるにも関わらず、人を裁いてはその報いを受けることを繰り返していました。

「「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。 あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。」
‭‭マタイによる福音書‬ ‭7:1-2‬ ‭新共同訳‬‬
https://bible.com/bible/1819/mat.7.1-2.新共同訳
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報いとはなにか。
率直に言うと、夫婦関係の悪化です。私が裁いた人たちの悪口を聞いて、夫はとても嫌な思いをしていました。関係回復には一日を費やすこともありました。
なぜ、それだけ時間がかかるかと言うと、私が夫に反抗し、黙り込むからです。その間の時間は私と夫の双方に大きなダメージを与えていました。

「キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。 妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい。 キリストが教会の頭であり、自らその体の救い主であるように、夫は妻の頭だからです。 また、教会がキリストに仕えるように、妻もすべての面で夫に仕えるべきです。」
‭‭エフェソの信徒への手紙‬ ‭5:21-24‬ ‭新共同訳‬‬
https://bible.com/bible/1819/eph.5.21-24.新共同訳
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そして、私が人を裁くことでイエス・キリストから離れる度に司牧が始まりました。私は司牧の中で言われたことを揚げ足取りし、自己嫌悪もしくは、司牧者を攻撃することに用いていました。
要するに、話を全く聞こうとしない問題児です。
ですから、司牧者であるリラにいつも嘆きを覚えさせていただろうと思います。
聖書は私に語りかけます。

「指導者たちの言うことを聞き入れ、服従しなさい。この人たちは、神に申し述べる者として、あなたがたの魂のために心を配っています。彼らを嘆かせず、喜んでそうするようにさせなさい。そうでないと、あなたがたに益となりません。」
‭‭ヘブライ人への手紙‬ ‭13:17‬ ‭新共同訳‬‬
https://bible.com/bible/1819/heb.13.17.新共同訳
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私の罪

では、どのように私は自分の罪に気付いたか。
夫との夫婦喧嘩の中で、私はふと、ある感情が思い浮かんできたのです。
それは、もっと私を褒めてほしい、もっと私を認めてほしい。さらに言うならば、「あなたは間違っていない、あなたは正しい、あなたは頑張っている」と言われたがっている私自身がそこにはいました。

私は承認欲求の強い人が嫌いでした。
ですが、実は私が一番承認欲求が強い人間だったのです。

読者の皆さんはどうでしょうか?
自分が批判していることが、実は自分もしていたということはありませんか?

「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。 兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。 偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。」
‭‭マタイによる福音書‬ ‭7:3-5‬ ‭新共同訳‬‬
https://bible.com/bible/1819/mat.7.3-5.新共同訳
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このように、自分が一番人から認められたいと思っていたから、私は自分が非難される時、自己正当化を図ろうとしますし、方々で怒りを感じていました。
それが、どれだけ人を傷つけてきたか計り知れません。
神から離れて自分に向かっていたこと、これが私の罪です。

悔い改めに至る

罪を犯している私をイエス様はどう見ていたでしょう。きっと悲しい目をして見つめておられたでしょう。
ですが、イエス様はそんな承認欲求が強すぎる私の罪のために十字架にかかられました。
イエス様は私に「頑張らなくていい、ここにいるだけでいい」と言われます。
その言葉を牧者から聞いた瞬間、私は泣き崩れてしまいました。

たとえ、誰かから褒められて一時は満足しても、また褒められたくなってしまうものです。一種の依存性みたいなものでしょう。
そうではなく、私が一番求めていた言葉は先ほどの「頑張らなくていい、ここにいるだけでいい」という言葉でした。

「一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。 彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。 マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」 主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。 しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」」
‭‭ルカによる福音書‬ ‭10:38-42‬ ‭新共同訳‬‬
https://bible.com/bible/1819/luk.10.38-42.新共同訳
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これからどうしたいか

これからは、そのような罪を犯すことのないように、私は少しずつでも意識していこうと思います。
私は以前は人ばかり見ていました。
時に聖霊に満たされた生活をし、時にとても世俗的な人間になる。
そのようなことを繰り返していたので、この悪循環を断ち切りたい。

そして、私に奉仕してくださる方に喜んで奉仕をしていただきたい。
今は強くそう思います。

罪を犯しても私を愛しているから十字架の苦しみを一身に受けてくださったイエス様。
罪を犯していたコリント教会の信徒たちを聖なる者と呼んだのと同じように、罪を犯したとしても、聖なる者と私を呼んでくださる、恵み深い愛する天の父なる神様を信じていきたいです。

「コリントにある神の教会へ、すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。イエス・キリストは、この人たちとわたしたちの主であります。 わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。」
‭‭コリントの信徒への手紙一‬ ‭1:2-3‬ ‭新共同訳‬‬
https://bible.com/bible/1819/1co.1.2-3.新共同訳
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