見出し画像

ただのぼやき

これはただのクリスチャンのぼやきです。

「信仰が一番試されるのは、神の愛が何の役にも立たない現実に直面した時だ」と言っている方がおられました。

クリスチャンになった当時から希死念慮を抱いていた私は、神様が私を愛してくださっていたことを知りました。
それから、家族さえも、統合失調症を患って精神不安定の私の世話をすることに限界が来て、外出先で1人で行動することが出来ない私を道端に置いていくこともありました。

でも、天の父なる神様は私を決して見捨てられませんでした。

今に至るまで、私に希望を与えてくださり、私を生かしてくださいました。

神の愛は何の役にも立たない?
逆です。神の愛がなければ、私は死んでいました。

神の愛は少なくとも、一人の人間の命を救っているわけです。

これは、私が本当に人に迷惑をかけるしか能がなく、役に立たない人間だったから、救われた当時は自分自身に絶望していたからそう思えるのかなとも思います。

これは自己卑下ではなく、経験上の事実です。

だから、私はボロ雑巾のように捨てられても、神様が拾ってくださると信じています。

実際、この間、私が仲良くして福音を伝えていた相手から、「もう関与しないでください」と一方的に手紙を送られて、縁を切られました。

私は相手に悪いことは何もしていません。ただ、イエス様の愛を伝えたら、その人がとても喜んで聞いてくれたので、福音を伝えていただけです。

ですが、それにショックを受けて怒っていた私を神様は「それは良くない」とお思いになり、牧師を通して叱責してくださり、私を信仰の道へと戻してくださいました。

「神の愛が役に立たない現実」とは何ですか?
私は神様の愛がないと、生きていけない人間です。これが私の現実です。

ですから、神様の愛を踏み躙る人とは私は相容れないなと思います。

ちょっとしたぼやきです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?