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偶像礼拝について
この記事は偶像崇拝をする方々を批判する記事ではありません。
むしろ、そういった方々を頭から否定する人たちに対して書いたものです。
まず、偶像礼拝とは何か?
神様が最も忌み嫌ったものです。
出エジプト記の20章、十戒の記事を読んでみましょう。
「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。 あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。 あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、 わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。」
出エジプト記 20:3-6 新共同訳
https://bible.com/bible/1819/exo.20.3-6.新共同訳
聖書の神、すなわちキリスト教の神以外を神にしてはならないということです。
これは旧約聖書の記事ですが、新約聖書時代の今でも、キリスト教の信徒たちはこれを堅く守っています。
それで、私はとても気になった一言を目にしました。
「仏教や仏像を拝むことはダメ」と偶像礼拝を一刀両断した一言です。
私自身は仏教は偶像礼拝の宗教だと考えておりますし、色んな理由から仏教が大嫌いです。
ですが、先述の一言がどうしても心に引っかかりました。
そして、探究して思い浮かんだことがあります。
これから実話からお話しようと思います。
例えば、自分が伝道している未信者の女性がいたとします。
その女性は過去に子供を流産していました。赤ちゃんを産むことが出来なかった女性は20年以上経っても流産してしまったと負い目を感じています。
そして、毎年お寺に親族の墓参りをした時に、いつも水子の像にお菓子を捧げるのです。
それを目撃したクリスチャンの方々、あなたはその人に、
「水子にお菓子を捧げるのは偶像礼拝だからやめなよ」
といったような言葉をかけられますか?
私ならば出来ません。この人が偶像に頼らないと心が持たないほど傷付いているからです。
このことから、私は心の傷から偶像礼拝している人を頭から否定することは出来ないなと思ったと同時に、偶像に頼るしかないこの人にどうやってキリストの愛を伝えられるだろうかと考えさせられました。
イエス様は子供が大好きです。
キリストを知らずに亡くなってしまった赤ちゃんは、パラダイスにイエス様と共にいるということを所属教会の牧師から教えられた私は、この心から傷付いた女性に天国で、亡くなった赤ちゃんと再会してほしいのです。
そして私は思いました。クリスチャンが目に見える偶像を否定するのはとても簡単なことです。
ですが、相手が本当に必要としているものをクリスチャンたちは見失っているのではないかと。
偶像にしがみつく未信者の姿を見て軽蔑していないかと。
私はこのことを思い出した時、悔い改めさせられ、水子の像にお菓子を捧げていたあの人が、どうにかしてイエス様を信じてほしいとより一層願うようになりました。
神様は私たちが願うものをなんでも与えてくださいます。
「「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」
マタイによる福音書 7:7 新共同訳
https://bible.com/bible/1819/mat.7.7.新共同訳
ならば、私たちはキリストを知らない未信者の方々の望みを知り、キリストの愛を与えていくべきだと思いませんか?
私にそれが出来るか、不安はありますが、ますます傷付いた未信者の方々に寄り添いたいと思わされました。
「あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」」
使徒言行録 20:35 新共同訳
https://bible.com/bible/1819/act.20.35.新共同訳
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