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2023年7月29日 主日礼拝説教の感想

私はこの日の礼拝が始まる前に、一番大切にすべき人に、その人が一番傷付く言葉を言ってしまいました。
理由は、ただ私が不安になったからです。

私たちは、何か自分の思い通りにいかなかった時に何をしようとするかと言うと、「相手を変えよう」とします。
「相手にレッテルを貼り付けて、自分は被害者面をして、相手を責め立てます」。

私がその傷付く言葉を大切な人に言った時、その人は私に何も言い返しませんでした。
ただ、目をつぶって、俯いて、横になっただけでした。
いつもなら、私の発言に対して論理的に言葉を返されるのです。

でも、その時は、何も言い返されませんでした。
それほどまでに、私は一番大切にすべき人を傷付けてしまう言葉を言ってしまいました。

ですが、私が不安になる必要がないことは、私自身が知っていたのに、傷付けたのは完全に私の罪でした。


説教の中で、私たちキリスト者は、内部争いをしている暇はないと教えられました。
それに嫌気がさして、改宗や転入会をして環境を変えようとしても、根本的なものは変わらないと。

一番は自分が変わらなければいけない。
自分が砕かれて、その砕かれた心に聖霊が注がれて、徹底的に変えられるのです。
聖霊によって自我が砕かれることが、聖霊の満たしだと教えられました。

私は聖霊の満たしとか、聖霊のバプテスマとか、そういったものがよく分かりませんでした。
やっと納得のいく教えが、「砕かれた心が聖霊に満たされること」。
これが聖霊の満たしだというものです。
何度も砕かれてその度に聖霊の満たしを受けるのだと知りました。
ですが、あまりこういう考え方はないと言われています。
次の引用聖句は説教で出てきたものではありませんが、私が思い出したものです。

[イザヤ書 57:15]

  いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、
  その名が聖である方が、こう仰せられる。
  「わたしは、高く聖なる所に住み、
  砕かれた人、へりくだった人とともに住む。
  へりくだった人たちの霊を生かし、
  砕かれた人たちの心を生かすためである。

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 許諾番号4-2-3号

話は戻りますが、一番変えられるべきは私自身です。

私は、人に縋って頼ってしまうほど、神に対して無知な人間でした。

キリストの十字架の死も!復活も!神の愛も!
何も分からない無知な人間のくせに、分かったようなことを言って、そのくせ、人に求めていました。

ですが、私は神に全てを求めて、神に従うべきでした。

だから、何も分からない人間だから、人を傷付けてしまったのです。
そう、互いに味方同士であらねばならない人を傷付けてしまいました。

神様、人の心を折ってしまうような、愛の欠片も、赦しの欠片もない、この私をお赦しください。


ですから、私は礼拝が終わった後、とても後悔して、何を言われて怒られようともいい、私は何に対しても「はい」と答えようと決心しました。

そして、誰かに強いられたわけでもなく、私は傷付けたその人に土下座しました。
床に頭を擦り付けました。
でも、当然だと思います。
私は相手を怒りすら覚えさせないほどまで傷付けた人間なのです。
愛を試すようなことをした人間なのです。
涙ながらに謝ることすら申し訳ないほど、私は後悔していました。

そして、「私は何も分かっていない愚か者でした。あなたを試してしまいました」と言いました。
でも、その人は、「まず人じゃなく、神に求めるべきでしょ?」と、私自身を責め立てるわけでもなく、私を神に向かわせる言葉を言ってくださいました。

問題の根本的な原因は、私が神様から離れていたことなのです。

その人に非は一つもありません。
ですが、私に感情的な(優しさや怒りといったもの)言葉ではなく、淡々と「神に頼るべきだよね」と言ったのです。

そういうことを言われた時に、私はその人の信仰が大好きなことを思い出しました。

私は宣言とか決意はするつもりはありません。
それらは必ず裏切りの言葉になるからです。
私は約束を守れません。

でも、変えられたいです。
砕かれることは嫌だと思うことがほとんどです。
しかし、この日ほど、砕かれたいと思ったことはありませんでした。
罪が私を蝕んで仕方ありませんでした。

今、その人は私がひどいことを言ったことを忘れたかのように私に優しい言葉をかけてくれます。
今日は私が匿名の人にひどい言葉を言われて傷付き、持病の症状にまで出た時に、介抱してくださいました。

私たちは後ろを振り返れば、ロトの妻になります。
だから、前進するしかないのです。

「昔のことを思い出すな、引きずるな」と、私はよく言われます。
私の心は過去を見ていました。不安になったのはそれが原因です。
だから、前を向いて過去を後にして走っていきたいです。

[創世記 19:15,16,17,18,25,26]

 夜が明けるころ、御使いたちはロトをせき立てて言った。「さあ立って、あなたの妻と、ここにいる二人の娘を連れて行きなさい。そうでないと、あなたはこの町の咎のために滅ぼし尽くされてしまいます。」
彼はためらっていた。するとその人たちは、彼の手と彼の妻の手と、二人の娘の手をつかんだ。これは、彼に対する主のあわれみによることである。その人たちは彼を連れ出し、町の外で一息つかせた。
彼らを外に連れ出したとき、その一人が言った。「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない。この低地のどこにも立ち止まってはならない。山に逃げなさい。そうでないと滅ぼされてしまうから。」
ロトは彼らに言った。「主よ、どうか、そんなことになりませんように。

こうして主は、これらの町々と低地全体と、その町々の全住民と、その地の植物を滅ぼされた。
ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった。

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 許諾番号4-2-3号

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