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【短編小説】~感謝~女子高生と親父

父親が死んだ。


死んだと言っても、悲しみもなにもない。


もう、会わなくなって、何年たつのかのもわからない。
計算するのも億劫だ。


どうしようもない人だったのだろうなと思う。


お父さんと呼んだ記憶もないし、父親とも認めていない。


小さい頃に、母親と別れてそれっきりだ。


この人の人生はなんだったのだろうかとも思う。
が、興味はない。


きっと、だらしない生活をしたのは簡単に予想がつく。


酒とギャンブルが原因で別れたと何度も聞かされた。
だから、私は酒もギャンブルもまったくしない。


荒れた部屋は業者に頼み、今は何もない部屋に、骨壺と段ボールが二つだけ、置かれている。


狭いアパートを引き払うためだけに、今日はやってきた。


荷物は全部処分していいと言っていたのに、きっと、判断に迷ったのだろう。
確認してほしいと、連絡があった。


正直困った。


引き取らないといけないのだろうか?
段ボールは開けずに業者に渡すとして、骨壺の方はどうすればいい?
寺に預けられないだろうか?


そんなことを思っていたら、


〈ピンポーン〉


部屋の呼び鈴がなった。


「はーい。大家さん?」


参ったな。
まだ、どうすればいいのかわからないのに。


このままだと、とりあえずは自分で引き取らないといけなくなる。


「すみません。もうちょっとだけ……」


てっきり大家さんだと思っていた私は固まってしまった。


目の前にいたのは、女子高生だった。


それも、かなりの美少女。


あまりの不釣り合いに、私の思考回路は停止した。


「あの……」


女子高生の言葉でようやく我にかえる。


「あ、ど、どうも」


「あの、ここ……」


「ああ、間違えてますよ。隣じゃないかな」


女子高生が、表札をチラリと見る。


「いえ、間違えていません」


「え」


あの人と、美少女の女子高生にいったい、なんの接点があるのだろう。
あるわけない。
私の脳は断定して、当然のように部屋を間違えてますと即座に返答したはずなのに。


美少女の彼女は間違えてないと言う。


「あ、もしかして……」


すると、私の脳はすぐさま、別の答えを導きだす。


「もしかして、ここの人に何か被害を受けたんですね。困ったな。もう、ここの人、亡くなってるんですよ」


「え……」


彼女は驚いた表情を見せる。


あの人が、きっと、何か彼女に犯罪をしたのでは思った。
それは自分の中ではあまりにも自然なことだった。
それぐらいに目の前の彼女は美少女だったのだ。


でも、彼女の反応は私の予想とは少し違うような感じだ。


「お亡くなりになられたのは知ってます。お線香をあげてもいいですか?」


「え?」


「駄目、ですか?」


美少女に真っ正面に見られて照れて、焦る。


「あ、あぁ、どうぞどうぞ」


慌てて、招き入れてしまったけど、すぐに後悔をする。


片付けたとはいえ、汚ない部屋だ。
しかも、線香も何も出してない。


葬儀屋の箱を無理やり出して、なんとか仏壇らしくを作る。


線香をあげる彼女の後ろ姿を見て、改めて、この環境の違和感をひどく感じる。


何か被害を受けたとして、その加害者に線香をあげるだろうか?


まったく想像がつかない。


線香をあげる、この間が非常に怖いと感じた。
と、同時に、この人にも線香をあげる人がいるんだと、なんだか思った。


しかし、この部屋には座布団もなければ、テーブルもない。
お茶だってない。


「あ、ちょっと、待っててね」


私は慌てて、アパートの前にあった自販機で缶コーヒーを買ってきて、彼女に出す。


「はい、こんなもんで悪いけど」


「どうもすみません」


なんとか、この場をとりつくろうとしたけど、彼女と、汚ない畳の上で、改めて向かいあったこの状況に、まずったかなと自分の行動を反芻する。


なんで、彼女がこんな場所に来たのかは皆目検討つかない。


あの人と、いったいどんな接点が?
しかし、今の自分だって、彼女からすれば、かなりのおじさんにはちがいない。


子供相手に緊張するわけないが、その美少女っぷりに、何故だか、緊張なのか動転している自分が恥ずかしい。


缶コーヒーなんかで大丈夫だったろうか?


そんなことを考えていたら、彼女が、


「あの、宇都宮さんには、助けられたんです」


「助け、られた? 被害をうけたのではなく?」


予想外すぎて言葉を認識するまで、かなりの時間を要してしまう。


「え、それは、つまり、どういう? 助けた? この人が?」


「はい。自己紹介が遅れてすみません。私、林原麻友子といいます」


「あ、竹花はじめといいます」


「宇都宮さんの息子さんですか?」


「え? あ、はい」


「突然押し掛けてすみませんでした」


「あ、いえいえ。親父に線香をあげてくれる人がいたなんて、それだけでも……」


親父?
私は、つい、なんて言葉を。


「あの、よかったら、詳しく話してもらえませんか?」


「あ、はい」


彼女は、言葉を選びながら説明をしてくれた。


 ◇ ◇ ◇


彼女は今から何年か前、自殺をしようと考えていた。


駅のホームに彼女はいた。


ホームの端までふらふらと歩き、その時を、待っていた。


いつ飛び込んでもおかしくはなかった。


ふらふらと前まで、ゆっくりとゆっくりと進んでいく。


しかし、そこまで行ったのに、電車はこなかった。


さっきまでは、怖くなるほど走っていたのに。


なんだろうと、我にかえるとホームの向こう側から駅員が何人も走ってくる。


気づくと、非常ベルも鳴っている。


「あ……」


彼女は思った。


自分を止めに来たのだと。


怒られる。


どう説明すればいいのだろう。


「あの、違うんです。そうじゃくて……」


困惑し、慌てふためいていた彼女だったが、そんな彼女を駅員たちは無視をする。


「おいっ、なにやってんだ、だめだよ早く上がって」


「え?」


駅員が何人も線路に降りていき、誰かに話しかけている。


「うるせぇ、なんだお前ら、ふゃめろってぇ」


「おとなしくしなさい」


どうやら、彼女より先に線路に飛び込んだ人物がいるらしかった。


駅員が、数人がかりで男性を取り押さえるが、男性は暴れているらしくなかなか思いどおりにいかない。


男性は酔っぱらっているのか、駅員との会話すらままならない。


「足は大丈夫か? 折ってないか?」


「うるせぇよ、かまうなよっ」


まわりには騒ぎを聞きつけて、少しずつ人が集まってくる。


駅員はさらに何人も集まり出して、ようやくホームへと男性を押し上げる。


集まりだした野次馬と駅員たちが状況を確認しあう。


どうやら、酔っぱらった男性が線路に落ちたわけではなく、ゆっくりと降りてしまったらしい。
それを見た乗客の一人が非常ベルを押した。


それが運よく、彼女を助けた形となった。


〈ま、まさか、それだけ? そんなのたまたまでしょ? 別に、うちの親父が命の恩人というわけではないのでは?〉


彼女の説明を聞いていた男は一蹴し、あきれる。


しかし、その言葉を彼女はさらに強く否定した。


なぜならば、男性は、わざと電車を止めたのだから。


彼女は、そう確信している。


〈いやいや、それは買いかぶりしすぎだよ。ただの酔っぱらいだから。そんなの気にしなくていいよ〉


しかし、彼女の説明には、続きがあった。


電車を止めただけではないのだという。


酔っぱらいの男性は駅員に連れられていくが、なおも抵抗していた。


「ほらっ、みんな見てるよ。大人しくして」


「あんっ?」


そこで彼女は酔っぱらいの男性と目が合う。


「なーに、見てんだよ、おらっ」


酔っぱらい男性が彼女に息巻く。
びっくりした彼女は声が出ない。
正直いって怖かった。


「ほらっ。大人しくしてっ。恥ずかしくないの? あんな子供に対して威嚇して。変な大人だって思われてるよ」


「はっ? 恥ずかしい? なんでや。どうでもいいよ、んなの」


「どうでもって……」


「どうでもいいやつにどう思われたって、どうでもいいやろ」


彼女は怖がりながらも、その場を離れられなかった。


「なぁ、ねぇちゃん」


酔っぱらい男性は彼女の目をまっすぐ見て、そういった。


何故か、屈託のない笑顔で。


「え……」


どうでもいい人に、どう思われたって、どうでもいい……


何故か、それだけ言った男性は大人しく駅員と一緒に去っていった。


そして、その言葉が彼女の中でこだまする。


何故だか、その言葉が、彼女の中にストンと落ちて、何かが変わった。


彼女が今まで、死にたいとまで悩んでいたことを、不思議に、その一言で変えてくれたのだ。


その笑顔は、今でも、忘れない。


歯は抜けて、鼻からは白くなった鼻毛が見えて、お世辞にもキレイな笑顔ではなかった。


彼女は
ずっと、人間関係で悩んでいた。


何故だか、まわりに嫌われていた。


仲良くしていたはずなのに、一方的に暴言をはかれる。


無視される。


男子をたぶらしてるとか、誰々の彼氏をとったとか、なんとか。


親友だと思っていた子にまで、裏切られていた。


(どうでもいいいやつに、どう思われたって、どうでもいいじゃん)


確かに。


うん。
その通り。


なんで、そんな人のせいで私は自殺しようとしていたのだろう。


そこから、彼女は明らかに変わった。


たった一言で、変われた。
それは、冗談なんかではなく、本当に人生が救われたのだ。


まさに命の恩人だった。


その時はホームで、しばらくはただ呆然としてしまい、もう一度会いたいと駅員のもとへと行った時には、すでに男性の姿はなかった。


どうやら警察署に連れていかれたらしい。


駅員に話をしても、逆に、大丈夫でしたかと、心配をされた。


〈へぇー、それはそれは。まぁ、自殺を思いとどまったのはよかったらけど、やっぱりたまたまだと思うよ。そんな、命の恩人だなんて〉


男は謙遜でもなく、本気で思った。


ただの迷惑な酔っぱらいじゃないか。
命の恩人って、いうから、どんなことだと期待した自分がバカだったと。


〈いえ、それだけじゃないんです〉


彼女の話はまだまだ続きがあるらしい。


彼女は自殺を思いとどまり、人生が、変わった。
夢もできた。


同じような人を、自分も助けたい。
先生になりたい。


先生に相談しても、全然助けてはくれなかった。


自分は、そうはなりたくなかった。


だから、大学に行こうと猛勉強をはじめた。
今までのロスを取り戻そうと、必死で。


でも、今度も頑張りすぎていたのだろう。
気がまいってしまった。
模試の成績もよくなくて、だんだんと追い詰められていた。


そんななか、共通テストの結果もさんざんだった。


もう、あきらめようかな。


そんなことを思っていた時だった。


また、あの男性に会ったのだった。


お礼を言おうと、探してもみつからなかったのに。


「おう、姉ちゃん、いいところに。金貸してくれんか?」


「え?」


いきなりの問いかけで、びっくりしていたが、よく見ると、あの時の男性だと気づいた。


「あ、あの、あの時……私」


彼女はお礼を言おうとしたが、慌ててて、うまく言えないでいた。
すると、


「5000円でいいんだ。それで、巻き返せる」


「あ、5000円ですね。はい。待ってください」


5000円を払おうと思った。
それぐらい安い。


むしろ、払いたいとも思った。だけど、


「あ、あぁ、駄目だよ、借りちゃ」


「え」


男性の後ろから、別の男性が話かけてきて彼女の動きを止める。


「ありがとうね。冗談だから、冗談。駄目だよ、お金なんて借りちゃ。もう、終わり、終わりだから」


「なに止めんだよ。もしかしたら借りられそうだったんだから」


止めに入った人は、どうやら男性の連れらしかった。


「あきらめようよ。もう帰ろう」


「いや、俺はあきらめんよ」


「なにいってんの。もう、お金ないじゃん」


「だから、借りようとしたのに、おまぁ、が止めるから」


「いや、駄目でしょ、子供にお金借りちゃ。寸借詐欺だよ」


ずっと二人で言い合いをしている。


「いや、俺は返すつもりだよ。何倍にもして」


どうやら、そこはたまたま競馬場の近くらしかった。


「ごめんね」


言い合いしている二人を呆然と見ていた彼女に連れの男性が謝る。


「邪魔するなって、俺は諦めない。諦めたら、そこで試合終了だぞ」


〈……ちょ、ちょっと待って〉


彼女の説明を男はさえぎった。


〈それは……マンガのパクりでは?〉


どんな名言が今度は出てくるかと思ったら。


〈もしかして、マンガは読まない? いや、そもそも古くて世代ではないか……〉


〈マンガのセリフなんですか? 数学のマンガなんですか?〉


〈いや、バスケのマンガなんだけど。え、数学?〉


〈あ、はい。数学の話で、私を励ましてくれました〉


〈え、それはどういう?〉


男性は唐突に言ったという。


「姉ちゃん、わかるか? 3かける0.333?」


「何いってんの、いきなり、ごめんね」


「0.999です」


彼女は真面目に答えた。


「じゃあ、3かける0.33しゃんしゃんしゃんと無限につづけばぁ?」


「言えてないじゃん、かめちゃん。いいからね、酔っぱらってるんだから」


「0.999と永遠に続きます」


「それがちがうんだゃひょ。答えは〈1〉だ。いち」


「え、違うだろ、1にはならないよ。彼女の言うとおり0.999と永遠に続くんじゃない?」


連れの男性が否定する。


すると酔っぱらい男性は、ニヤリと笑う。
その反応は想定済みだったらしい。


「じゃあ、問題を変えるぞ。1を3で割ったりゃ?」


「え、いくつだろ?」


「ほれ、これ使え」


酔っぱらい男性は競馬新聞に包まれた電卓を渡した。


連れの男性が電卓で計算する。


「あ、0.333333333だな」


「じゃあ、3で割ったんだから、今度は逆に3をかけて戻せば……」


「あ、1だ……いやいや」


連れの男性は電卓で3をかける。


「いや、やっぱり、電卓じゃ0.999999999だよ。どういうことだ? 1を3で割って、そのまま3をかけて戻したのに1になら、ない?」


「電卓が間違ってんだよ」


「なにいってんの。いつも電卓使って競馬予想してんのに」


「だから、ダメなんだ、俺はもう、電卓は使わない。電卓には限界があるって今わかった」


「は? 限界?」


「その電卓は10桁しかひょうじしてないひゃろ」


「あぁ」


「だから、ダメなんだ。0.333しゃんしゃんと、ずっと計算していけば、いずれは1になるんだ」


「本当に? なにか違うような」


「しょうだって。らって。はじめは1だっただろ? だから、ずっと計算し続ければ、必ずに1なる」


「まぁ、たしかに、いわれてみれば。かめちゃん、おれは大学の先生だぞって、言ってたのってもしかして本当?」


「本当だって。だからな、あきめないかぎり、夢は破れないんだ。あきらめないかぎり。あきらめた瞬間に1にはなれなくなる」


酔っぱらい男性は手を大きき振って力説する。


そんな二人のやり取りを彼女はずっと聞いていた。


「わかったか、姉ちゃん」


それは、ずっと前の、あの汚い笑顔だった。


「だから、掛け続けなきゃいけないんだ。賭け続けないと。だから……ほれっ」


酔っぱらい男性は、手をちょうだいのように出す。


「なにうまいこといって。だから、ダメだって、知らない女の子にお金をたかっちゃ。わかったよ。1000円やるから。ほらっ」


「よし、これで、今度こそ」


諦めないかぎり夢は叶う。


それは月並みな言葉だった。


学校の先生や、親に言われても、心のどこかで反抗していたかもしれない。


でも
男性の言い方は少し違った。
諦めない限り、夢は、破れない。


彼女は、心の中で、ずっと計算していた。


1を3で割ると、
0.333……
それに3で掛けると、
0.99999999999……


不思議だ。


本当に。


彼女は数学が苦手だった。


塾の先生に受験問題を解説されると頭が痛くなった。


きっと、進路指導なんかで、同じ話をされても、聞く耳を持たなかっただろう。


なのに


ふふふっ。
彼女は面白いと思った。


何故だか、気が軽くなり、また、やる気が出てきた。


それは自分でもうまく説明はできない。


きっと、自分に直接向けられた言葉ではなかったためなのかと思う。


それは酔っぱらいの男性が、自分自身に向けた言葉。


気づくと、二人はいなくなっていた。


競馬場へと続く道の雑踏の中に消えていった。


また、お礼をいえずに。


 ◇ ◇ ◇


彼女の話をずっと聞いていて、思った。


やっぱり、ろくでもない親父じゃないか、と。


期待して損した。


彼女のなかではかなり美化されているが、やってることは、酔っぱらって、電車をとめて、まわりに暴言を吐き、そして、ギャンブル中毒になって高校生にお金をたかった、だけなのでは?


ありえない。


だけど、彼女にとって、それは本当に意味ある言葉だったのかもしれない。


マンガのパクりかどうかなんて関係ない。


彼女の説明を受けて、そう思った。


悪いことを言っちゃったかな。


彼女の顔はまっすぐだった。


「それで、大学は?」


「はい、無事、第一志望に受かりました」


「それはよかった」


理由はどうあれ、一人の少女を救った。


まぁ、それで、よしとするか。


彼女が真面目でイイ子だっただけなんだろうけど。


でも、一つ疑問が。


「どうして、ここが?」


「あ、はい、これを」


彼女が、畳の上に、古びた手帳を置いた。


「これは……」


「その時、拾ったものです。宇都宮さんが落としたものです。それで、ここを……」


「なるほど」


彼女が手帳を開いてみせる。


そこには、汚い文字で


なんて書いてある?


「あきらめない、借金かえして、いちに会う」


彼女が暗記したかのように、手帳を見ずにそらで言う。


彼女の声で、聞くと


汚いミミズのような文字でも、なんだか、立派に見えてしまう。


「うん? なにこれ」


「ようやく、探したんですけど、その時には亡くなっていまして。で、大家さんに聞いて、今日、どうしても、これを渡さなくちゃって」


「そんな、別にいいのに。わざわざ……?」


「はい、どうぞ……」


彼女は何故か、ハンカチを私に勧めてくれた。


たくっ、やっぱり、ろくでもない親父だな。




(おわり)

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