好かれるのが怖い

タイトル通り。

お悩みに対する本をパラパラ読んでいて、「こうすると好かれる」「好かれるには」と、好かれるが大前提で進んでいて、好かれたく、、ないのだが?となり、進まなくなったの。

期待はずれで見捨てられる、っていう不安が強いの。安直にネット検索したけどそんな感じ。どうせ大切にされない、利用される、嫉妬される、つらいものと認識している。
愛着、育った環境によるものだからすぐには変わらないけど、、
意識して少しずつ、人とニコニコする自分を許してください。

これと似たようなので、わたしがやっていいのかな?が抜けないね。これをしたら迷惑だ、私がやってさらにかき回すぐらいなら、輪に入らんくてもいい、と思っている。この、いないほうが理論、自動的に思考が進んでいくシステム出来上がってて全く気付かないのよね。どうしたものかね。

やったら怒られた・迷惑な態度をとられた、話をしたら嫌な顔をされた、好きなように生きていたらなんとなく否定された、暮らしの中で言葉にしちゃいけないんだな、みたいなタブーな部分がどこかにあった

・両親、祖父母になんか突っかかりがあるなあ(後々父に聞いたらあるにはあった)
・祖母が家に来て家のきれいさをどうのこうの言ってる時期があった
・家族でいると父VS母、子供2名はそれぞれの味方に自動的になっているような構図
・友達との飲みの席、友達親を挟んで遠回しに父が言いたいことを言い、母我慢
もう一番最初の記憶から父の気を使っているしなにか大きな出来事は思い出せないけど、
・小学生授業参観のときにぼーっとしてる瞬間に後ろから椅子を軽くけられ「ちゃんとやれ」と父から
・お友達の家に遊びにいったら妹も入れろと母が友達の家にピンポン
とかは、幼い心ではとても恥ずかしいし、思っていること伝わらないんだな、ってあきらめて、いい子ちゃんの道を選ぶ原因よね。
吹っ切れて恥さらして生きる、嫌われることには慣れたけど(そのおかげで親の言うこと聞くことになっていたのでそれは否定されなかったのでしょう)、私が楽しくやることには違和感がすごくて、嫌われることに逃げていて、これなあ、ほんまに。と似非関西弁を披露してしまうほど

とっくに気づいているのだから、過去は過去として。
今どうしたらいいか考えましょう。
タイミングと組織の構造は見つつ、できることをやり、相談をしてみる。勇気出してお話しする。
行動あるのみですな。慣れないから多くの刺激を受けるけど、それは自分で癒す。

戻っても仕方がないものに戻ってどうしようもなくなっていたので、もうここに書いてしまえ!という魂胆です。戻ってきたらこれをみて、もうやったよ!!と前を向かせる。

にこやかに前向きなコミュニケーションを目指して。
自分を許す。変えられるものに前向きに取り組んでいきましょう。
なんくるないさ~

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