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躾という名の虐待

私の『生い立ち』⑦

躾とは何だろうか?基準があって無いような曖昧なもの。
家庭によっても違うし、地方によっても違うし、時代によっても変わる。
でも確実に子供の人生を左右する大きな問題だ。
ニュースに出る虐待をして捕まる親はよく、躾のつもりだったと言う。
つもり…そんな言葉で許されるはずも無い。そもそも本気で躾だと思ってやったのか?
そう、世の中には本気で子供の為で、躾だと思い込んでいる親がいるのだ。
今日は一見して分からない、躾の過ちの話になる。

虐待で分かりやすいのは、体罰やネグレクトだ。その内容なら誰が聞いても
虐待だと分かる。
しかし世の中には、隠れた虐待もある。よくある、頭の良い親が子供にもそれを求めるような事だ。親は自分が頭が良くて得をしたか、そう言う環境で育った為にそれが標準だと思っている。だから本気で子供の為だと思っているのかもしれない。
でも、その答えは子供の顔を見れば分かるのではないだろうか?良い顔をしているか?イキイキした表情をしているか?子供が自分の成長に喜びを感じているだろうか…
躾や生活に夢中になるあまり、子供の表情や心の声を見逃してはいないだろうか?見て見ぬふりをしていないだろうか?そんな親がきっと、子供が自殺した時に、全く問題に気付かなかった…と言うのではなかろうか。

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