山伏の加持祈祷と医療・製薬の関係

修験寺院と地域住民との交流について本山派修験寺院大徳院の例を挙げて以前、投稿した。私は、修験寺院の運営の調査をするにあたり医療・製薬分野を重点に置いてる。医療関連の知識・技能は秘伝と位置づけられたため、生業にしていた寺院としていなかった寺院で分かれる。また、史料の制約・伝承の有無も関係してくる。

先日、根井浄氏の論文である『修験者の医療について』を読んだ。内容は、修験者の医療を咒法療法と薬物療法に分類して、広く一般に浸透していたこと、実践の中に迷信的要素も含まれており、その複雑さが民衆に受容されたことを指摘している。今回は、論文を元に、現在まで調査して得られた結果も含めながら加持祈祷と医療・製薬の実践を検討してみたい。

(1)山伏の医療行為

修験寺院と医療・製薬の関係は、加持祈祷札・医学書・製薬道具・処方箋・寺院の伝承によって知ることができる。
山伏は依頼者から加持祈祷依頼を受けて護摩を修すのが一般的で、護摩札を渡すともに即応的な治療を行った。山伏の修行によって得られた「験力」をベースとして治療・投薬をワンストップで実践していたのが護摩札の記述と寺院が所蔵した現物の医学書構成と記述を見るとわかる。この点、咒法療法と薬物療法はセットだけれども、分類するのは明確さという部分では肯定できよう。

ただし、広く一般的に浸透していたかというと史料の制約から慎重に判断するべきである。特に山伏が医療分野に携わったことが明確であるかの是非が分かれること、秘術として位置づけられていたからである。依頼者にとって、山伏は医療技術を取得しているかは、実際に依頼をしてみてからの話だと調査をして想定したことである。大徳院の事例を挙げると、大徳院周応・周乗父子の日記には医師の梶田岱龍が頻繁に登場する。近隣に在住していた岱龍と密な関係を維持することで、医療行為を代理して貰っていたのだ。
さらに、依頼を受けて加持祈祷を執行する際に、近隣の同僚寺院の住職にも参加してもらい合同で護摩を修した記述が何度も確認できる。加持祈祷は住職達で執行して験力により厄災を除くのと合わせて岱龍には治療・投薬を依頼して医学行為を完成させていたと見られる。

一方、加持祈祷と医療行為をワンストップで執行していた寺院が本山派先達修験寺院笹井観音堂配下の薬王寺と東林寺である。両寺院とも製薬道具を所持したほか、東林寺は医学書も所蔵していた。

そして,護摩札を所蔵していたのが根井氏が紹介している福岡県の求菩提山である。求菩提山は本山派の中でも第3席の「座主」の地位にあった。また、私が所有する史料集からは本山派修験寺院般若院も所蔵している。般若院は、前回の「神仏分離令に伴う修験寺院の財産保護活動」で紹介した。

(2)史料から見る加持祈祷の実例

まず、求菩提山所蔵の祈祷札は疫病治療に関するものである。祈祷札には「人家で疫病が発生したときに死人の衣服を煮沸消毒すれば他の家人には伝染しない」と記述される。疫病退散の呪文とともに対処療法も書かれているものである。さらに、熱病を煩ったときは、「呪文を唱えて果物の梨に吹きかけ、殺鬼の文字も梨に書き食べることで治められる」という修法も存在する。
論文では、「迷信的要素が多く、民衆側には、意味不明な符や札が一層効果的であり、修験者の験力に期待して医療を任せていた」と結論づけている。

この見解を妥当かを検証する。求菩提山所蔵の祈祷札2枚の内容は迷信的な内容も確かに含まれるが、具体的対処法を示しており、「意味不明さが民衆に受容された」というのは疑問符が付く。むしろ、依頼者である民衆側は山伏に呪文の意味の説明を求め、即効性のある加持祈祷・治療・投薬を願ったのではないか。加持祈祷・具体的処置の意味不明より「わかりやすさ」による不安解消・対処が大前提にあった。それが、加持祈祷札や投薬の説明書に現れているのである。ここで具体例の追加情報として般若院の祈祷札を挙げる。

史料① 祈祷護摩供札「般若院所蔵」
 武州入間郡水子村
   祭主 摩訶山般若院了諦
   船主 伊藤徳右衛門
        巳之助
   大工師箕輪安次郎
御祈祷護摩供札 摩訶山
          般若院
愛染明王に祈念奉り家内安全意の如くの処
日天尊に拝念奉家門長久意の如く満足の処
神力の威も加わりの処
  不動明王尊秘法(よって)当病平癒(を)祈る処
大峰採灯護摩供の牌」

この祈祷札は家内安全、家門長久、病気平癒の祈祷を般若院了諦へ伊藤徳右衛門・巳之助、箕輪安次郎が依頼したものである。同札にも具体的な祈祷内容と祈願対象の神仏が記されており、修法が依頼者にも「わかりやすい」を明示したものと言える。

ここまで、加持祈祷・医療行為を例にしてまとめると山伏は、「地域のカウンセラー」であったので修行と教養・技能実践は高度な具体性・実効性が求められる。その効力が山伏と民衆を結び付けることに繋がったのである。

(3)山伏と地域社会との密接な関係がもたらしたもの

また、修験寺院と民衆の繋がりが確認できる史料は山伏による教養・技能の実践だけではない。民衆との文芸交流や学問教授、祭祀における導師として関わりのほか、住職達が総本山からの命令によって出仕する法会、毎年の奥駈修行時には資金として使えるように御祝儀が旦那衆(在地の人々)から渡された。加えて寺院を造営・修復工事の際には旦那衆が中心になって資金調達・管理・職人の手配がなされた。いずれの例も山伏が日常的に依頼を受けて効力のある対応を執行、交流したことで立場が地域において浸透・確立した結果である。

ここで、修験寺院の持続的な発展要件は、次の4点を挙げておきたい。
①住職の出自が明確かつ所領を有している実力者の家柄である権威性

②上位権力と密接であり地位保証を得られる関係性

③旦那、上位権力からの支援を確保、維持して運用できる経済力

④依頼者に対する応答力

本投稿で関係があるのは④の依頼者に対する応答性である。山伏が修行と研鑽によって得られた験力・教養・技能の高度な実践は即、依頼に直結するものである。山伏の応答性は修験寺院の日常運営において特に求められるものであろう。③の寺院の経済力も旦那衆、地域領主との宗教行事を通じた密接関係と結びつけられ、旦那衆獲得、地位ある人物との交流は、前述した資金調達とイコールになる。①と②は修験寺院の地域支配との関わりで今回の内容とは離れてしまうので割愛する。

今回は、先日読んだ、論文に元に山伏の加持祈祷と医療・製薬行為の実効性ともたらす結果を検討した。
山伏の加持祈祷と医療行為の連動は「意味不明さ」でなく「わかりやすさ」が求められると指摘したい。咒法療法と薬物療法に分類されるに関しては肯定できる見解である。山伏の「地域のカウンセラー」としての立場は実効性・具体性を柱に不安軽減・解消も含まれており、高度な教養・実践は明快さをより求められ、それが祈祷札に表現されたというのを確認しておきたい。

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