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【テート美術館展感想】光、あったわ

 国立新美術館では2023年7月12日から10月2日まで、イギリスの美術館・テートより作品を拝借し、「光」をテーマにした展覧会を行なっている。
 私は「光のオタク」なのでこの展覧会を逃すわけにはいかないとは思っていたが、光陰矢の如し。滑り込みでの入場になってしまった。

▼乃木坂駅より直結

 国立新美術館へ行くにあたって開館時間には現地にいることを決めていた。最近美術館へ行くようになって気づいたが、休日に芸術を嗜む人は思いの外多い。
 嘘でしょ、と口から出るくらい人がいる。開館と同時に入館しないと、作品を堪能する以上に人間とのみちみち空間を嗜むことになる。

 恥ずかしながら私には美術の知識がほとんどない。目の前に絵があるというライブ感を楽しむために足を運ぶ。
 自分の「好き」を探そうとネットサーフィンをしても、うまくヒットしないのが令和の世の常だ。R18広告を表示してるサイトが多すぎて、もはや裸体の記憶しか残らない。
 いっそ1ミリも知らない展示会に行って、その場で作品にフォーリンラブした方が楽しいと気づいた。

 そんなこんなで初めて国立新美術館へ行ったのだが、Webサイトのアクセスページを開いてびっくりした。

 乃木坂駅より直結……!?

 いくら国立だからって、我が物顔でひとつの駅と繋げていいのか!? そんなに便利なことがあっていいのか!? 方向音痴なので半分疑い、半分喜んだ。私が道に迷わなければ直結で間違いない。

 さて現地に到着した。「国立新美術館」の標識を頼りに歩みを進め……

ほんとうだ! 直結だ!

 道の角を曲がればそこは国立新美術館だった。見るからに新しい壁に変わり、「国立新美術館」と慎まやかな表記がある。
 だが、そこからが長かった。混雑で駅を侵食しないようにするためか、本館までの道がやたら長い。エスカレーターでひたすら上がり、階段を上り、やっと地上に出る。

 私は開館15分前に到着したのだが、人の数に驚いた。ディズニーランドを訪れるときくらい人がおり、みんな口元に笑みを浮かべていた。ここは美術のテーマパークってこと? 

 なにより驚いたのは老若男女が勢揃いしていたところだ。学生らしき人が多い。推しのライブに参加しにきたような様相で、美術館を目指してまっすぐに歩いていた。かっこいい。
 今の学生さんって勤勉だよなあと感心してしまった。上野の美術館を訪れたときも学生の多さに驚いた。学生時代の私が外に出なさすぎただけかもしれないが、芸術品や歴史の軌跡などを娯楽として楽しめる子どもがたくさんいる事実に出くわすと嬉しくなってしまう。
 作品を見るより先に見物客を見て満足した。

▼絵筆で光を描こう!

ポンペイとヘルクラネウムの崩壊
ジョン・マーティン
大洪水の翌朝ー創世記を書くモーセ
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー

 絵画はもともと、字が読めない人に宗教を広めるための手段だったと聞いたことがある。展覧会にも、宗教の高尚さが一目で分かる絵画がずらりと並んでいた。
 現実はつらくとも、神がいずれ救ってくれます。祈りましょう。信じましょう。そんな風に絵画は訴えかけてきた。

 その昔、神は光だったのだなと感じられた。
 光をテーマに選ばれた作品ばかり並んでいるはずなのに、神話と結びついた絵はだいたい仄暗い。暗いキャンバスの中で唯一明るくあれる存在が神だった。神とは希望で、希望は光だ。

 確かにな〜。私もメンタルが沈んでるときに推しを見ると、推しが光って見えるしな〜。絵画はファンアートみたいなものだったんだろうな〜、と妙に納得した。現実の救いはフィクションにしかない。ワッハッハ。
 現代でもなにかをおすすめする際に絵を用いる人は多い。人間いつの時代もやることは変わってないのだと、変なところで感心した。

ドーセットシャーの崖から見るイギリス海峡
ジョン・ブレット
ハムステッド・ヒースのブランチ・ヒル・ポンド、
土手に腰掛ける少年
ジョン・コンスタブル
ハリッジ灯台
ジョン・コンスタブル
水先案内人がいる桟橋、ル・アーヴル、朝、霞がかった曇天
カミーユ・ピサロ

 やがて人は、絵画に空気を閉じ込められることを悟り、風景を描いた。景色はそこにあり続けるが、一瞬の光や風などはまたたく間に消えてしまう。絵画なら一瞬を捕まえられると筆を取った。
 か、どうかは知らないが展示は宗教画から風景画に移っていく。

 中でも私が気に入ったのはジョン・コンスタブルだった。脚色された物事ではなく、目に映った自然をありのまま描いた彼は、当時の風景画に革命を起こしたという。

 剥き出しの土に座り込んで遠くを見つめる少年。広大な自然を前にちっぽけな彼なのに、その背が逞しく見えるのは天からの光を一身に受けているような構図のためだろう。
 思えばゼルダの伝説も広大な自然とちっぽけながら逞しい青年とのコントラストが魅力だ。カッコよさの"鉄板"は脈々と現代に引き継がれている。

 また、コンスタブルのハリッジ灯台には一目で惹かれた。淡く、ともすれば暗めの色づかいなのに、飾らない穏やかな日常が絵画を越えて伝わってきて、無心でふらふらと近づいた。
 光を描いた絵は存外暗く、目線誘導したい1点だけが高い明度で描かれている傾向にあると思う。ハリッジ灯台に関していえば、どのあたりが"光"なのか失礼ながらまるで分からない。雲が多く、さらに言えばいくつかは垂れ込めており、あと1時間もすればぽつぽつと雨が降りそうな気配さえする。

 この絵は、描き手の意図がまるで伝わらないところがいい。誰かを主人公に据えるのではなく、風景そのものを描き、他人の生活をただ画面に圧縮している。
 シルバニアファミリーみたいな感じだ。小さくなった人間を絵画の外から愛でられる。

 遠くの方でぽつぽつと会話をしていそうな2人が、右下に描かれている。働くのにうってつけの時間であろうに、顔を向かい合わせて話すのに夢中だ。あと1時間もすれば雨が降り始め、やがて彼らは屋根のある場所に避難するだろう。そういう想像をかき立てられる。

どこかルーズで、でもそれを責め立てる人はいなくて、日常とはかくあるべきと言いたげな絵だ。
 絵そのものが光ってこと? 好き。
 絵に見惚れすぎて、撮った写真は散々だった。なのでnoteにはポストカードの写真を上げた。

 また、数年前に見惚れたがすっかり名前を失念して以降、思い出せなかった画家の絵も飾られていた。

 カミーユ・ピサロだ。
 あの、カミーユ・ピサロじゃん!

 芸術的知識がまるでなかった当時の私は「パピコみたいな名前の人」と覚えていた。そのせいで「パピコ 画家 印象派」のように検索をかけ、とうとう辿り着けず断念していた。
 名前を思い出せただけでも、この展示会を訪れた価値がある。

▼肩書きは裏切らない

 「アカデミー出身」と目にするとなんとなくお高くとまっている古典派というイメージがよぎる。おおかた絵画の醸す雰囲気のせいだろう。

 ロイヤル・アカデミー会員のジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーは、どのように平面へ光と影を描くかを図解し、自らの手法を後世に残した。
 驚くべきはその質だ。言葉ひとつ書いてない紙面に赤い線と立方体だけが描かれている。
 赤い線は光と光源を表しており、どこに光源があるとどのようにものの影が伸びるかを明瞭にしている。

 か、勝てない……!

 思わず声を上げかけた。学を前に私はあまりにも無力だ。なにごともそうだが、学びを極めた者こそ勝者だ。
 「講義のための図解」と名づけられた展示品たち。1枚の完成された絵をターナーは自ら分解し、目を引く絵には光と影が強く関わっていることを示した。その知識を知っただけで若手の筆力はぐんと上がっただろう。教育、バンザイ!

 自分が学びを蔑ろにしてきた分、教育が全てだと心の底から思う。さまざまなものが研究され尽くされている昨今、のっけからのオリジナリティなどない。法則、理論、技術などを極めて、ようやく初めて新しさを追求できる。

 まずは理論から、という厳しい現実をターナー先生に叩きつけられてヘニョヘニョになった。ロイヤル・アカデミー……やってくれたわね。

 ちなみに私が心を奪われた画家・ジョン・コンスタブルもロイヤル・アカデミーの学生だった。
 ちくしょう、憎いぜロイヤル・アカデミー!

▼イギリスはおつよい

ブリック・レーンのスペクトル2
デイヴィッド・バチェラー

 しかし、まあこれらの作品を提供してくれたイギリスという国は、なんというか「おつよい……」と感嘆した。

 テートとは近現代の作品を管理している組織のことで、ある1つの美術館を指しているわけではない。7万点以上もの作品を保有しており、今回はうち約100点を貸し出してくれたというわけだ。
 さらに、今回の展覧会は日本だけで行われたわけではない。世界巡回展だという。

 自国のコレクションの一部を世界中に貸し出すイギリスの余力に圧倒される。ヘンリー・テート卿がナショナル・ギャラリーに作品を寄贈しようとしたが、あまりの数に「保管しきれない!」と国に断られた話まで含めて余力がすごい。

 下世話な話だが、作品の貸借料は発生したのだろうかと考えてしまった。国の保有品で収入を得られるなら最高じゃないか? と、管理費を度外視した素人感想が出てしまう。

 鈴木董の著作に「文化が繁栄した国は長続きする。この国の民でありたいという求心力が国を保たせる」といったような記述があった。(だいぶ端的に解釈してるかもしれないです)

 イギリスを思うとものすごく納得がいく。私は美術品の価値をよく理解していなかったが、国という漠然とした境界にブランド力や箔をつけてくれるのが作品というわけだ。
 テートの所蔵品はイギリス芸術品が多いとのことで、他国へ貸し出すだけで「イギリスという国はやはり素晴らしい」と思わせられる。

 思い浮かべたときに「憧れ」を抱かせる国、イギリス。設立当時は隣国のフランスに追いつけ追い越せでせっせこ美術館を造ったらしい。
 伝統を重んじながらも、時代によって社会を少しずつ変容させる彼らは適応力の塊に見える。泥くさい努力や醜いほどの執念が、結果的に落ちないブランド力を形成しているのを節々で感じる。

 なんの話?

▼光あれ

星屑の素粒子
オラファー・エリアソン

神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
神はその光を見て、良しとされた。

創世記

 「創世記全然意味分からん」と思っていたが、たしかにそこには光があった。

 宗教画から風景画、写真の台頭に蛍光灯。時代によって変容する「光」と、希望に満ちた色彩。

 神が光を「いいもの」と見なした経緯を追えるような展覧会でとてもおもしろかった。

 アーティゾン美術館を訪れたときにも思ったが、展示品のみならず展示方法が工夫されていて「プロの方ありがとうー!」と拝んでしまう。
 アートを体験できる「美術館」という場所は、なくても生きていけるが、ないとつまらないものだと改めて感じた。

 東京での公開は終わってしまうが、大阪中之島美術館で10月26日から来年の1月14日まで開催されるらしいので、関西住まいの方には是非おすすめしたい。
 展示方法も変わるだろうから、その差異を感じるために私も行きたかった。富豪だったら行ってた。

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