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妄想6・穂積陳重『法窓夜話』(岩波文庫、1980年、初出1916年)

むかし、アイスランドのあるところに、トロッドという男がいた。ある日、海難事故にあって、部下の者たちとともに溺死してしまった。その後、船は浜辺に打上げられたが、溺死者の遺体はついに発見することができなかった。
トロッドの妻と息子は、この地方の慣習にしたがって、近隣の人々を招いて葬式を行った。
葬式の日のことである、日が暮れて暖炉に火を点ずると、トロッドとその部下たちが、全身ずぶぬれで忽然と現れ、暖炉のまわりに座りはじめたのである。葬式に集っていた客人たちは、この幽霊を歓待した。やがて火が消えると忽然として立ち去ってしまった。
翌晩にも、また彼らは同じ時刻にあらわれて、暖炉のまわりに集まるようになり、これが毎夜続くようになった。ついには召使の者たちが恐怖を抱き、だれ一人暖炉のある部屋に入ろうとしなくなってしまった。
しかしそれでは炊事に差支えてしまう。そこでトロッドの息子は、別室に火を焚くことにして、幽霊専用の部屋をつくったのである。
おかげで炊事には差しつかえないようになったが、しかしそれからというものは、家に不幸が次々と訪れるようになった。しまいには死者も出る始末である。息子はすっかり困ってしまい、法律家である伯父に相談したところ、「幽霊を相手取って訴訟を起こそう」ということになった。
なんと、息子を含めた7人が原告、幽霊が被告になり、裁判が開始された。罪名は、家宅侵入及び傷害致死。
ここに、幽霊が法廷に立つ、という前代未聞の珍事がはじまったのである。
裁判所は、通常の裁判と少しも異なることなく、証拠調べ、弁論などの手続きを経て、幽霊ひとりひとりに判決を言い渡してゆく。すると判決を受けた幽霊は、ひとりひとり起立して立ち去り、その後、再びあらわれることはなかったという。

…この話は、穂積陳重の『法窓夜話』(岩波文庫)の中で紹介されているエピソードで、もとはジェームス・ブライスの「歴史および法律学の研究」の中に書かれている話であるという。
むかしの北欧の人たちは、幽霊に対しても現実の法律を適用するくらい法的秩序を重んじていたのに対し、今の「文明法治国」の人たちの方が、むしろ法律を蔑ろにしたりするのは不可思議だ、と穂積は最後にまとめていて、なんだ、いまのこの国の現状とも通じるじゃないか、と痛感するのだが、それはともかく、この話、なかなか面白い。
これで思い出したのが、三谷幸喜監督の映画『ステキな金縛り』(2011年公開)である。
ただしこの映画は未見である。学生のころは、三谷幸喜主宰の劇団の芝居を毎回見に行くくらい、三谷作品をチェックしていたものだが、映画「ザ・マジックアワー」以降、三谷映画に対して距離を置いてしまったので、この映画も観る機会を逸してしまった。
ただ映画の内容はおぼろげながら知っていて、落ち武者の霊が法廷に立って証言するという内容だったと思う。幽霊が法廷に立つという映画なのである。ひょっとして三谷監督は、この穂積陳重の『法窓夜話』を読んでこの映画の着想を得たのだろうか?と妄想をたくましくした。

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