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いつか観た映画・大林宣彦『告別』(2001年)

大林映画のファンならば、峰岸徹(1943~2008)が常連俳優であることはよく知られている。
峰岸徹は、名バイプレイヤーである。大林映画には、彼の遺作となった「その日の前に」(2008年)まで含めて、じつに28作品に出演している。
その峰岸徹が、大林映画で唯一主演をつとめたのが、この『告別』である。峰岸徹といえば、私の中でまず思い浮かぶのは「ダンディ」という言葉なのだが、この映画では「ダンディな青年」ではなく、「くたびれた中年」を演じている。

舞台は長野県にある小さな町。小坂勇一(峰岸徹)は、転勤でこの町に来て、小さな会社でセールスマンをしていた。
ある日、セールスに疲れて、山を1つ越えたところにある村に車を走らす。自分が高校時代の一時期に過ごしたことのある村である。
ふと迷い込んだ山道で、古びた公衆電話を見つける。そこに置かれていた30年前の電話帳。見覚えのある名前。思わず電話をかけると、電話に出たのは、30年前の高校時代の親友、若井医院の御曹司、若井太だった。驚いたことにその電話は、30年前の高校生当時の親友につながっていたのだ。
この電話をきっかけに小坂勇一は、高校時代に思いを寄せていた同級生の女性、幸(さち)のことを思い出す。勇一と太と幸は、仲のよい友達だったが、勇一の誕生日に一度だけ、勇一は幸と二人っきりでデートをしたことがある。だがその日の夜、幸は死んでしまった。なぜ、幸は死んでしまったのか?

ここから小坂勇一は、30年前の記憶をたどっていくことになる。
脇を固める清水美紗(勇一の妻)、裕木奈江(勇一の会社の同僚)、津島恵子(若井太の母)、小林桂樹(幸の父)らの演技も、じつに素晴らしい。
原作は、赤川次郎の小説「長距離電話」だが、映画をあらためて見てみると、大林監督がかつて福永武彦原作の小説を映像化した「廃市」(1984年)と、とてもよく似ていることがわかる。

小坂勇一が、30年前の記憶をたどる旅の中で、親友の若井太の母親(津島恵子)から聞いた話は、小坂にとって衝撃的なものだった。
病院の御曹司である太は、その後大人になって医者の家業を継ぎ、子どもの頃からの許嫁と結婚するが、5年ほど前、不倫相手と心中してしまう。それにショックを受けた太の父も、それからほどなくして死んでしまう。かくして村の旧家である医院には、太の母親(津島恵子)だけが残される。

「結婚して、ほかの女の人を好きになって、あんな死に方をしましたけど、私はね、あの子は、本当は別の人を好きだったんじゃないかと、そう思われて仕方がないんです」

と、母は小坂に語った。太もまた高校時代の友人の幸(さち)のことが好きだったのではないか、と母は思っていたのだ。

これとそっくりの設定が、「廃市」の中にある。
貝原直之が妻・郁代のもとを去り、不倫相手の秀(ひで)と心中する。だが、本当に直之が好きだったのは、自分でも秀でもなく、妹の安子だったのではないか、と郁代が疑うのである。この構図が、そっくりなのである。ちなみにこの映画で直之の役を演じたのは、峰岸徹であった。

さて、営業成績が不振の小坂は、会社から一方的にクビを宣告され、解雇される。
荷物をまとめ、会社を去る時、「戦友」ともいうべき会社の同僚、八代景子(裕木奈江)が、
「はい、これ」
と、自分の愛読書を荷物の中に放り込む。
「『稚なくて愛を知らず』…」石川達三の小説である。
「あなたもすぐに、私のことなんか忘れておしまいになるわ。…だから」
「…君は、これから…」
「居られるだけここに居ます。…でもね、ときどき考えるわ。どうして私、いまここに居るんだろうって。ここにいない私だって、どこかにいるはずなんじゃないかって」
「さよなら。元気で」
「あなたも」
このときの裕木奈江が、とてもすばらしい。ま、それはともかく。
これは、「廃市」の最後で、卒業論文を仕上げるために貝原家に滞在していた江口が、貝原家と別れを告げ、東京に戻る汽車を待っている間に、安子と交わす会話を彷彿とさせる。

「これでお別れね」
「僕また来ますよ」
「いいえ、あなたはもういらっしゃらないわ。来年の春は大学を卒業して、お勤めにいらして、結婚をなさって、ね、そしてこんな町のことなんかすっかりお忘れになるわ」
「そんなことはありません」
「そうよ。それがあなたの未来なのよ」
「じゃああなたの未来は?」
「こんな死んだ町には未来なんかないのよ」(福永武彦「廃市」より)

小坂もまた、この「死んだような会社」を去り、八代景子は残るのである。

そして最後に江口は、貝原安子に対する自分自身のほのかな愛情に気づくのであるが、この微妙な関係は、小坂勇一と八代景子との関係に擬せられるのだ。
「廃市」との奇妙な符合は、原作によるものなのか?監督の脚色によるものなのか?あるいは単に私の妄想に過ぎないのか?
さて、こうなると、赤川次郎の原作を読まねばらならないのだが、残念ながら、まだ読んでいない。
だが、大林監督によってかなり脚色されていることは、間違いないだろうと思う。『告別』という映画のタイトルも、福永武彦の同名小説を意識したのかもしれない。
何より、この映画の全編で効果的に使われている、リストの「ため息」は、大林監督の趣味によるところが大きいのである。映画全体を包みこむこの音楽こそが、この作品を大林映画たらしめているのだ。

大林映画の中でも、さらにマイナーとされる映画同士の比較なので、この仮説がどれだけの人に伝わっているかは、わからない。

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