あとで読む・第50回・岸本佐知子『わからない』白水社、2024年)
「心地よい底意地の悪さ」。
これが私の岸本佐知子さんに対する印象である。以前にも書いたが、『ねにもつタイプ』(ちくま文庫)というエッセイ集が大好きで、読んでいると自分がどこに連れていかれるかわからないような感覚に陥ってしまうところが楽しい。
つい最近、最新刊『わからない』を記念したトークイベントが行われたと聞いて、慌ててアーカイブ配信を聴いた。武田砂鉄さんと岸本佐知子さんの対談だったが、以前ラジオでもこの二人の対談を聴いて、なかなか相性のよい二人だなと思ってよく考えたら、二人とも「心地よい底意地の悪さ」の持ち主であるという共通点があることに気づいた。
「書評が嫌い」と公言する岸本さんは、それでも書評の依頼を引き受けてしまう。しかし岸本さんのことだから、通り一遍の書評というわけにはいかない。どうにかして依頼者の期待を裏切る内容のものを書こうとする。あるいは、エッセイそれ自体も書くのに気が進まない場合がある。たとえばシャレオツな雑誌から、自分のお気に入りのものについての巻頭エッセイを依頼されると、ふつうはシャレオツの雑誌なのだからシャレオツな品物を紹介するものだが、岸本さんはシャレオツとは真逆の、なんとなく気味の悪いモノについて書く。それを読んだ編集者は、思わず「うっ!」と声を上げる。どうしてもそのお気に入りのモノの写真を載せなければいけないのだが、心なしか遠くから撮られた写真が掲載される。岸本さんにしてみれば「してやったり」である。というか、「苦手」を逆手にとり、楽しんでいる。その底意地の悪さは、実に心地がよいのだ。
「なるほどですね」という言葉にイラッとする、という話題が出て、武田砂鉄さんも同意していたが、ひょっとしたら多くの人がこの言葉にイラッとしているのではないかという気がしてきた。かくいう私もそうである。
私のまわりで「なるほどですね」を口癖にする人がこれまでに二人確認されている。うっかり職業を書いてしまうと人物が特定される恐れがあるので書かないが、こっちが何か言うたびに「なるほどですね」と返す。そこにイラッとするのだが、そのうち、「なるほどですね」を引き出すような話題をあえて出すことに熱心になっている自分に気づく。なあんだ、俺も底意地が悪いじゃないか。
ここ四半世紀にさまざまな媒体で書いたエッセイ、書評、人物評、日記などがてんこ盛り。一つ一つは短いので、「つまみ読み」をしたら最高である。各文章の末尾には、初出の新聞名や雑誌名を載せているので、読むときに、どの媒体に載せた文章なのかを一つ一つ確認すると、文章がさらに味わい深くなる。…という読み方も、かなり底意地が悪い。
ちなみに岸本さんが翻訳したルシア・ベルリンの2冊の本は、手元にあるがまだ読んでいない。
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