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わたしの30年

長いです。
あ、30年がじゃなくて、今回の記事がね。

バブルがはじけて以降、所得の水準が上がらず、日本経済が他国並みに成長しなかったことに『失われた』という表現を使うようですが
今日わたし、自分の失われた30年にあんぐりしております。

私はSNSの類にあまり馴染みがなく、ラインをするくらいで、昔の友達や知り合いをFacebookで探すなんてことはしたことがない。なんか、身元調査みたいに思うのは私だけ?されたらイヤだからしてこなかった。

でも今回note始めたし、ふと(なぜかさほど親しくもなかった)友達をネットで検索したら、なんと私が若かりし頃興味を持っていた国際ボランティア的方向に進んでいて、その子もそういうことに興味があるって話をしたことがあるのを思い出した。
もう一人検索したら、講演とかするような人になってた。
もう一人検索したら、ものづくり作家になってた。
感動。からの苦笑。

私は『わかりやすくきらびやかな交友関係』なるものに縁が無い。医者 弁護士 霞が関 大企業 社長 研究者 有名人 芸術家 国際的な活躍をする人なんかね。これを進学校じゃなかったからと思い込んでた。
おそらくFacebook等で検索しなかった理由の一つも「そんなすごい知り合いおらんやろ。友達なら個人的に続いてるし」という友達過小評価からだったのかもしれない。

でも上記3人はみな高校のクラスメイトで、ふつーの(偏差値もふつーの)女子校生だった。ただこの結果が示すように、彼女たちには内に秘めたる情熱があり、大事にその火を灯し続ける力があったということ。その活躍はこの年齢だから受け入れられるのか、とても嬉しかった。

苦笑してるのは自分の、、、

不甲斐なさっていうのとも違う。私はわたしなりに頑張ってきたから。ただ、一本筋が通ってないっていうか、何も築き上げてないっていうか、どれもこれも続いてないのよねぇ。

彼女たちには彼女たちの
努力はもちろん、ツライこと、諦めたこともあると思うから、簡単にああなりたいとは思わないで済んでるけど、これをいいきっかけに私も頑張らないといかんばい!


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