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自己実現のための育休

子どもを迎えることは私の夢

死ぬまでにやりたいことリストのなかで、子どもを迎えることは、マストで叶えたいことだった。
もちろん、迎えた子どもはうんと喜ばせて、ついでに私や夫の両親も喜ばせて、みんなで幸せな記憶をたんと積み上げるのだ。

それが出来ている私だ、と思えることが、私の自己実現欲求を満たすために必要なのである。
この私的な一大プロジェクトに育休が果たした役割について振り返る。

母の心の余裕が家庭の生命線

育休をとってよかったこと といえば、
心に余裕がある状態で子どもに向き合えたことだ。

私の心の余裕さえあれば、子どもを待てる。
それが、我が家において、家族みんなが和やかに暮らす必要条件だと、分かってきたところである。

心に余裕がなかった里帰り育児

私の心の余裕は、私だけでは維持できなかった。
時には不本意ながらも、清濁呑み込んで人に頼れることも実力だ。

産後3ヶ月くらいまでは、全く余裕がなかった。

私は里帰り出産をし、産後数ヶ月は実家で過ごした。
両親は共働きのため、日中のワンオペは当然として、想定外なのは夜だった。夜間なら人がいるにはいるが、寝ている。翌日仕事の者を起こすわけにも行かず、そうなると結局24時間営業になるのだ。

これには疲弊した。
退院前面談で助産師さんが心配していたのは、こういうことだったのかと、遅まきながら理解した。痛い目をみて初めて忠告の真意を悟る。そういうこと、人生にままある。

私の疲弊がバレているのか、息子はとにかく泣く子だった。負のループ完成である。

もちろん実家では三食提供してもらい洗濯や沐浴も手伝ってもらって、サポートしてもらった。楽しかったし、里帰りしたことには全く後悔はない。
ただ、大変だったのだ。正直、子の世話を能動的に手伝ってくれる大人が一人いてほしかった。
両親に頭を下げきれない私の未熟さが、自分と息子を追い込んでいたと、振り返って思う。今もだけど。

願わくは、ばあば(じいじ)育休がほしいところである。

夫婦育休で余裕のある育児ペースを掴む

子どもが3ヶ月になる頃に自宅に戻った。
当時は双方の実家から離れた土地に住んでいたので、自宅に戻るタイミングに合わせて夫に育休をとってもらった。

育休夫婦ふたり、赤子を中心にした生活ができるので、覚悟していたよりは負担が少なかった。夫は授乳以外のすべてのお世話を積極的にしてくれたので、私は授乳だけして仮眠を取ることもできたし、料理をして気分転換もできた。子どもから目と手が離せるまとまった時間が取れて、心に余裕がうまれた。

そのような目先の利益も大きかったが、加えて、将来にわたり私たちの生活を支えるベースができたことも、大きなメリットであった。
夫の育休期間では、子どもと暮らすにあたって、日常のシーンでどんな動きをするべきか、どういうことが大変なのか、子どもに日々どんな姿勢で向き合うか、など、何となく共通するベースを作れたことが一番の成果だったと思う。短い期間ではあったが、これから先の長いわたしたちの生活に確実に役立つ学びだった。

その後、夫の実家の近くに引っ越すことを決め、現在は義両親にそれはそれはお世話になりながら暮らしている。
人に頼れることも実力のうちなのだ。

育休のおかげで得られた自己肯定感

心の余裕というのは、時間タスク的な話だけではない。

私の場合は、「自分で満足できるくらい、自分の手をかけた」という自信も、心の余裕に必要だった。

アレルギーを起こす人もいるかもしれないが、私がやりたかった育児はこんなふうだ。
完母で育てる、離乳食はできるだけ手作りする、毎晩絵本を読む、童謡をたくさん歌う、手作りおもちゃで遊ぶ、手作りの服、手編みの帽子やマフラーを着せる…。

生後半年も過ぎると、子どもはだいぶ落ち着いてきて、義実家の協力も得ながら、私がやりたかったことをたくさんさせてもらえた。

仕事復帰した今はなかなかそこまでの時間的余裕がないため、育休中だったからこそ出来たことがたくさんあったと感じる。
育休を利用して『自尊心ポイント』を貯金しておけたのも、育休の効用だった。

まとめ

母の心に余裕があれば、いつも子どもに穏やかに接し、子どもを待ち、子どもを信じることができるように思う。
そんなふうな生活のベースを作るのに、育休が果たす役割は大きい。
色々と難しい世の中で、子どもにゆったり向き合わせてもらえて、本当にありがたかったなと思う次第である。

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