見出し画像

ひだまりの唄 16

八月十日

 

そして、いよいよ金刀比羅神社祭りの当日、初日。

俺達は公園でその満ちた情熱を振り注がんと、意識を集中させる事にした。

太陽が真上に昇った時、金刀比羅神社からの狼煙が上がった。

その音を聞き付けて、自宅待機をしている人々が続々と家屋から出てくるのを見て、今年もこの時が来たのかと、実感させられる。

そんな光景を窓から覗いていた俺は、明日の準備の余念を許さなかった。

『麻利央ー先行くわよー』と、母さんが玄関で呼んでいる。

俺は自室で去年買った法被に袖を通して、姿見とにらめっこをしていた。

『あれ?小さくなってる?』と、後や前を見てチェックを欠かさない。

『『おにいちゃーん。何してるの?』』

双子の姉弟が姿見を見ている俺の姿を見て、問いかけた。

『ん?チェックだよ。明日使う大事なユニフォームなんだよ』

『『お母さん、下で待ってるよ?』』

『先、行ってていいよ』

『『わかった!』』

二人は下に行って『『おかあさーん!おにいちゃんが先に行ってていいって言ったよー!』』

二人がそう言うと、下から母さんの声が聞こえた。

『えー。お父さん、先行っちゃったよ?…もう、お兄ちゃんに早くしてって、伝えて来て?』

正直、自室からでも聞こえていたからか、胸中では『…もう、分かってるよ』と、漏らしたかったが、口の中に押し込んだ。

すると、階段を上ってくる音が聞こえてきた。

『『お母さんが早くしてって!』』

俺が溜息混じりに『もう…。わざわざ来なくても聞こえてたよ。母さんに、先に行ってって…』と二人に伝えると、二人は脹れっ面を見せて『『もう、自分で言ってきてよ!』』と、拗ねながら階段を下りていった。

『そんな怒らなくても…』と、二人に少しばかり忌憚した。

またもトントンと二階に上がってくる音が聞こえた。

今度は何事かと姿見から目を逸らし、上ってくる音を見る様に振り向いた。

『麻利央何やって…』

やはり母さんだと見て取れた矢先に、俺は『もう、分かってるよ。後で行くから母さんは父さんと行ってきてよ』

『もう…。それじゃあ、鍵お願いね!』

母さんが部屋から出ていくと、『ふぅー』と、息を一つ吐いた。

再び法被を羽織りながら後ろと前を交互に見合わせた。

『…まぁ、いっか。これしかないし』

そう言った矢先だった。

ベットに乱暴に置いていたスマートフォンが、ブーブーッと振動を震わせていた。

法被を取りハンガーに掛けて、そのスマートフォンを取ると、着信画面には『Y』と一文字だけ、浮かび上がっていた。

スマートフォンを耳にあてて、『Y?どうしたの?』と声を掛けるやいなや、Yが揚々とした声を耳もとに出して来るように、『マリー!』と言った。

『今日の予定は?』

『今から露店を家族で回ろうと思ってたけど…』

『あー…マジかぁ。山木、今年も奉納相撲大会に出るから、応援してやろうと思って』

『あいつ、また出るんだ』

『一昨年と去年、あいつ優勝してるから、三連覇狙ってるんだと思ったんだけど…。さっき電話したら、なんだかあいつ、弱気なんだよなぁ』

『…なんで?』

『…分かんない。だからさ、その優勝を願って、あいつに屋台と言う屋台全部回って、沢山食わせて精を付けさせてやりたいんだ。マリーも協力してくれよ』

『…え?なにそれ。…うん、分かった。それじゃあ、駅で待ち合わせよう』

そう言って電話を切った。

その間も無く、俺は母さんに電話をして、やはり今日は友達と祭りを共に堪能する旨を伝え、その電話をしながら着替えを早々に終わらせて、外へと出た。

外へと出ると、爛々と差す日光の隙間から、潮風が優しく俺に当たる。その気持ちよさに身を注がれた気分になった。

そのまま風を縫うように歩いて五分程、駅に着いた。

『よう!』と、Yは手を振った。

隣には山木も腕を組ながら『よう。なんか久しぶりに感じる』と言って出迎えた。

『よう。二人とも早いなぁ』

俺がそう言うと、『あったり前だよ!な?山木!』と、Yが山木に肩を組んだ。

しかし、山木はらしくなく『…おう』と、そのたった一言だけ。Yが先に口にしていたように、今の山木には覇気が無かった。

『どうしたの?』

『…いや。ちょっと面倒に巻き込まれて…だな。お前達に協力して欲しいんだよ』

『…協力?』

『…ちょっと、着いてきて欲しい』

そんな不穏な空気を醸し出しながら、山木は先を歩く。

俺とYはそれに一つ首を傾げて、山木の後ろをつくことにした。 

―――暫く歩くと活気漂う市街とは裏腹に、だんだんと閑散とした空気が、ここには漂っている。

山木と共にいて、希有なその状況に俺もYも少し戸惑って、『おい、山木。どうしたんだよ』 と、声を掛けた。

しかし、黙々と、ひたすら歩く山木に、俺とYは少し嫌気がさした。

『おい、そろそろ教えてくれてもいいんじゃないか?』

『そうだよ、山木。ここまで連れてこさせといて、何も言わないのは正直、気持ち悪い』

しかし、山木は『もうそろそろだ』と、一つ俺達の方を見て頷いた。

それに俺達も固唾を飲んだ。

『…着いた』

そう山木に言われ、よく辺りを凝らして見ると、そこは沼地に覆われていて錆びた廃船が陸の上にぐったりと横たわっている。

その横たわっている廃船の上に、何処かで見たことのある三人が、堂々たる威風をかましながら座っていた。

『よう。覚えてるか?俺達の事』

それを、見て山木を見た。

『おい…。山木、どうして…』

『済まない…。本当に…』

俺とYはそんな山木に唖然として見る他、考えられなかった。

その廃船の上に座っている三人は駒場、松ヶ枝、常盤だった。この学校では悪評が名高い三人衆だ。

そんな三人が、廃船から飛び降りてこちらに向かってくる。

思わず立ち退いてしまう程、それにはすごい圧力があった。

俺とYはじりじりと追い詰められる。

Yは小声ながら俺に話しかけてきた。

『おい、どうするよ。マリー、ヤバイって…』

『…どうするって、どうしようもないって…!』

三人がどんどんと此方に圧して来るように、にじり寄って来る。

もう終わった…。大人しく殴られて終わりにしようとそう思った。その時だ。

俺達二人の真ん前に立ちはだかった三人の前に、山木が仁王立ちした。

『…あん?なんだよ。どけ』

『話が違うだろ』

常盤と山木がにらみ合っている最中、駒場が常盤の肩にトンと手を置いた。

『常盤、俺達はお願いする立場だ。そんな挑発的になるな』

するとYがへっぴり腰になりながらも、『…お願いって…なんだよ!』と大きく声を絞った。

『…実はな…』と、駒場が太陽をじっと見つめながら背中を向けた。

『…す…好きな…人が…出来て…だな』

『『す…好きな人ぉ?!』』と俺とYは思わずも、堪えた笑いを吹き出してしまった。

そんな俺達に『何が可笑しいんだよ!テメーら!』と、凄みを効かせて来た常盤に、俺とYは『『お…可笑しくないです!素敵な事です!ハイ…!』』と数歩、引き下がった。

しかし、そんな常盤に駒場が『常盤!』と、一喝すると、常盤は納得いかない様子で凄みを慎ませた。

『…で、誰が…好きなんですか?』と、直接聞いた。

すると今度は松ヶ枝が『そんなのテメーらに関係ないだろ!』と怒鳴り散らすと、『いや、協力するからには内容を把握しないと僕たちも動けないので…そこをなんとか…』と、俺も負けじと聞いた。

すると駒場が潔くも『…そうだよな。それが筋だよな…』と俯き様話すその姿に、俺とYはゴクリと固唾を飲んだ。そして、駒場の口が、徐に開いた。

『…陽田 マリア…』

駒場がそう言った途端、『『えーーーーーーーー!』』と、俺とYは驚愕を隠しきれず、口に出してしまった。

まさかだった。まさかマリア先輩の事が好きだったとは。

ねむちゃんがこの三人に絡まれた時、マリア先輩が一喝をし、立ち退かせたのを今でも覚えている。

それを見ていた俺は、この二人は犬猿の仲だと、そう思っていた。

それなのに、まさかマリア先輩の名前が出てくるとは、まるで夢にも出てこない程だと、俺は思っていた。

突飛したその名前に対して、Yが冷静を装うように、『え、マリア先輩の何処が好きなんですか…?』と聞いた。

すると、駒場が話した。

『この三年間、俺の事を真面目に怒ってくれる…所。それは、先生にもない何かを持って、俺を叱ってくれるんだ…』

するとY がボソッと『…そう感じるなら、悪さなんてやめりゃいいのに…』と言うと、常盤がYを脅すように、右足をバンと思いきり鳴らした。

それにも気を留めず、駒場が話続けた。

『…それが、出来なかった…。それをしてしまったら、縁が切れちゃうかもしれないだろ?だからこの三年間、彼女に叱られたくてやっていたようなものだ』

その言葉に、常盤も松ヶ枝も『え?そうだったの?』と、聞き返した。

そんな駒場を見て、Yは『ダメだよ。絶対ダメ。上手くいかないって。なぁ!マリー!』と、それを止めようと言わんばかりに俺に問いだした。

すると、常盤が『やってみなきゃわかんねぇだろ!』と、またしても圧をかけてきた。

『それで、俺達に何をして欲しいんですか?』

駒場が頭を掻きながら近付いた。

『陽田マリアを…奉納相撲大会の客席に呼んで欲しい』

『それだけでいいんですか?』

『あぁ、後は決勝戦で山木と当たる。そこでこいつには、わざと、負けてもらう。優勝して、俺が告白をするのさ』

何を言ってるんだこの人は。と、正直思った。

『わざとって…。山木はそれでいいのかよ』

山木はその質問にただただ黙ったままだった。

『わざと、負けてくれるんだもんな!二連覇君』と、嘲笑しながら松ヶ枝が言った。

『…どういう事だよ』

『わざと負けないと、日野と横室をどうにかするって…』

『あぁ?なんだよそれ』

『仕方がないんだ…』

すると、Yがムッとした表情で相手の所まで近づこうとした。

俺はそれを止める様にYの肩を掴んで、『止めろって…!Y!』と言うも、それを振り解き、Yは言った。

『我慢ならねぇよ…!マジで…卑怯すぎる…!』

だが、俺は必死でYを押さえた。

『いや、Y!落ち着けって!』

すると飄々とした表情でYに肩を組んで、駒場が言った。

『もうここまで俺の気持ちは話した。この話を聞いた以上は協力してくれるよな?…もし裏切ったり、他の奴に話したら、どうなるか、分かるよな…?俺達はこれで親友だ。親友の言うこと、聞いてくれよ。頼んだぜ?負け犬くん』

そう言って一つ、背中をバンと叩いて駒場は去っていった。

グーの音も出ず、俺達はただただ立ち尽くす事しか、この時は出来なかった。

 

『くそっ!』と、Yが廃船に一つ拳をぶつけると、『済まない』と山木は俺達に頭を下げた。

『山木は悪くねぇよ。悪いのは性根が腐ったあいつらだろ』

俺は正直、こんな事にマリア先輩を呼びたくはない。それはYも同じだろう。

俺は山木に静かに話した。

『本当にわざと負けるの…?』

『…』

『本当は嫌、なんだよな』

山木は黙って頷いて、続け様話した。

『こんなの勝負じゃない。一人だけなら俺もなんとかなるが、三人掛りだと、正直一人ではきつい』

するとYが『一人じゃない!三人だろ!俺達だって喧嘩上等だ!…クソ!』と、頭に血が上っていた。

『やめろよ!それはあいつらとやり口が変わらないだろ?こんな事で停学になんてなってたら馬鹿馬鹿しいだろ』

『それじゃあ、どうするんだよ!』

『そうだな…』

三人がうんと頭を捻らせている間、沈黙が続いた。

その暫く経った後、俺は恐る恐ると口を開いた。

『…今は、言う通りにしよう』

『それが、今は最善だな…』

俺と山木が口を揃えてそう言うと、Yは納得していない様子で口を開いた。

『おい!いいのか?マリア先輩、こんな茶番に付き合わされるんだぞ?俺は絶対嫌だね!』

『でも、他に方法がない。俺が負けて、フラれれば逆に見ものじゃないか?』

『あ、それ面白そう』

俺と山木が笑いながらそう言うと、『ふざけんじゃねーぞ!?』と、Yは山木の胸倉を掴んだ。

『止めろって、Y。冗談だろ?』と、俺はその胸倉に掴んだ手を抑えると、Yは恐ろしい剣幕で言い放った。

『冗談でも、こんな茶番は御免だからな!俺は降りるぞ。マジで。やるならお前らで勝手にやってろ。…でも、マリア先輩は絶対行かせないからな。絶対』

そう言って山木の胸倉を振り解くと、Yは颯爽とその場から去っていった。

『…あんなY、初めて見た』

『あいつの方が陽田先輩に惚れてんじゃねーか?』

俺は驚き様、山木を見て『…え?』と言った。

『いや、冗談だよ。冗談。あんな本気で怒った所見たの初めてだから、そう言っただけだよ』

確かに初めて見た。あんな剣幕で怒る様な事、今までのYには無かったから。

その山木の言葉は俺の胸に引っ掛かって、なかなか取れずにまとわりついていた。

疲れきってしまった山木と俺は、いつの間にかよれてしまった服に身を包んで、栄えている街並へと赴いた。

提灯が並べられてる街路樹を見ながら、そう言えば今日は祭りだったと、改めて感じさせられた。

街中は賑わいを見せてあちらこちらと露店がすでに幾つも並べられてる。

その中を、俺と山木の足取りはズリズリと先の事を引摺りながら歩いていた。

素朴な足取りで歩いていると、そんな疑問も自然と沸いてくるもので、『なんで、こんな面倒に巻き込まれたんだ?』と、俺が訊いた。

すると山木は渋りながらも『…最初の発端は、俺だ。スマン』と、反省の色を浮かべていた。

『…いや、そうじゃなく、なんであいつらに絡まれたのかって事だよ』

『あれは…相撲大会に申請しに行こうとしていた日…道中で奴らに会ったんだ』

『それで?』

『人通りのない木陰に誘われて、わざと負けないと、お前達をどうにかすると、そう言ってきた。最初は断ったんだが、お前達の部室まで目茶苦茶にするって、そう言い放つんだ』

『何も本気でやらないかもしれないじゃないか。真に受けなくても…』

『いや、本気だった。陽田先輩の繋りがあるのはお前達だと、そう踏んだんだろう。だからお前達に接触させろと、脅されて…。申し訳ない。已む無く、分かったと、そう言ってしまった』

山木は申し訳無さそうな顔を此方に向けていた。

『大丈夫だよ、山木。なんとかなるって。でも、わざと負けなくてもいいよ。マリア先輩の前で大恥かかせてやれって。その後は俺達が対処するから』

『でも…』

『いいんだよ。大体、マリア先輩だってあいつらの事、どうせ好きじゃないんだし。いい迷惑になるだけだよ』

山木は『俺も鍛練が足りんな。もっと精進するよ』と、自分自身を鼻で笑うかのようにフッと息を吐いた。

そんな山木を見て、『山木のせいじゃないって、Yもそう言ってただろ?そうだ。取りあえず、Yに連絡取ってみよう。あいつも頭を冷やした頃だろう?』

そう思って、スマートフォンを手に取った。

履歴からYを探しだし、すぐにかけてはみてみたが…。  

幾つかコールをして繋げては見ても、なかなか電話に出ない。

まだ頭に血が上っていると、俺はそう判断して電話を切った。

『出ない?』

『うん、まだ出ない。仕様がないな…』

その位、マリア先輩を出汁に取るような事は嫌なのだろう。いや、Yは昔からそう言う奴だ。

中学の頃、俺を出汁に取って笑いを取ろうとした奴がいたのだが、そいつにも血眼になって叱りつけてくれた事をこの時やっと思い出した。

そう思って静かにスマートフォンを閉じた。

すると山木が、『んー…。そうしたら、俺探して来るよ』と気をきかせる。

流石に山木だけに探させる訳にはいかない。『それじゃあ、俺も探して見るよ』と、俺も言った。

『それじゃあ、見つかったら互いに電話な』

『おう。じゃあ俺は海辺を探すよ。山木は神社の方、お願い』

『了解』

俺達は二手に分かれてYを探そうと、散ったのだった。

 

 ここの港には防波堤があり、その末端に展望台がある。

かんかんと照りつける太陽があるせいか、波は穏やかで、船は五隻程、その波に揺られながら太いロープで縛られている。

そんなに穏やかで、誰もいない閑散としたこの場所に、本当にYがいるのかと、多少なり疑問を抱いて、俺は辺りを見渡した。

『Yー!』と大きい声を出しても、返ってくるのは俺の発した声ばかりで、肝心なYの返事が聞こえない。

そんな状況に、俺は徐々に根気が屈曲しだした。

『Y…。マジで何処に居るんだ…』

そこで、俺は息を整え、少し頭を冷やして考えてみた。

あいつがいつも悩んだ時、砂浜に体育座りをしながらじっと海を眺めている。

穏やかな波の音を聞いていると、自然と心も落ち着いていくと、そう言っていた。

そうだ。それならこんな防波堤のある場所にYが来るはずも無い。

馬鹿だな、俺は。そう言い聞かせた俺は回れ右をして、防波堤ではない海辺を目指した。

暫く走ると、だんだんと足元が緩み出した。

そうだ。この辺だと確信をついてまたも『Yー!』と叫んでみた。

だが、まだ返ってくるのは俺の声だけが木霊する。

見渡しのいいこの環境下で、見つける事がそもそも難しい訳ではない。もう少し、曲がった根気を元に戻して、探してみた。

すると、粒みたいに小さいながらも、人影が見えた。

まだYと確信をつけられず、徐に出した一歩一歩を段々と早めた。

少しずつ近付いてくるその人影を、俺はよくよく目を凝らした。

だんだんと早めて行くその足取りが、どんどんと大きくなっていく。

『Yか…?』

俺はそれを早く確かめたくて交互する足を益々と加速させる。

その時、ハッと分かった。Yだ。間違いなくそれはYだった。

やはりここにいたんだと、俺は嬉しくなって、尚更足を早める。

『Yー!』と叫ぶもあいつは振り向こうともしない。

焦らしてくれる。と、そう思ってもう一度大きく声を出そうと、手を思いきり振った。

『ワイ…!』

そう言い欠けた。その時だった。

もう一人、髪の長い、あれは女の子?

しかも、その髪の色は淡い青色。少し遠目からでも、何か髪飾りをしているのが、遠くからでも分かった。

その人がYと楽しそうに話しているのが、ここからでもよく伺えた。

『あれ…?もしかして…』

ねむちゃんが、Yと一緒にいた。


エオンの裏口から表口まで回り、並樹街道へと出る。Yと山木の背中を追うように歩くも、一向に二人との距離は縮まる事が無い。

辺りを見渡すと晴々しい催しに身を纏わせ、笑顔で歩く人々に少しだけ嫌悪感を抱いていた。

屋台の賑わいを見せている中で、ビニールの屋根が潮風に任せて落着きがなく靡いている。

四方八方から、白いタオルを額に巻いているおじさん達の呼び声が、俺の耳に罷り通ってくる。

いつも眺めがいい穏やかなこの坂道も、上を見上げると犇めいて、ごった返しにあっている。

その並びに比例して、あちらこちらから焼き物の香ばしいものが鼻をさす。

七輪で焼かれている氷下魚や秋刀魚、違う屋台ではビンに詰められてる鮭フレークや干物、的屋ではいま流行りのニムオロ戦隊シマレンジャーの各色のお面まで吊るされていた。

『そう言えば、妹も弟も、これ好きだったな』と、それを見て思い出した。

辺りを見回しながら歩いている俺が余りにも静かだったのか『日野ー。着いてきてるかぁ』と、山木が此方を振り向いた。

無言ながらに手を上げると、山木とYが足を止めて、山木が此方へと歩いて来た。

『離れると迷子になるぞ』

そう言って山木が肩を組んだ。

それがありがたくも、少しだけ鬱陶しかった。

『横室…。なんか男らしくなった気がしないか?』

『…なんで?』

『滅多に怒らない横室が半ギレで怒ったり、さっきなんてあいつ、『あいつらなんかにマリア先輩を指一本触れさせない』って、頑として言ってるんだよ。スゲーよな』

『…へぇー』

『なんだよ。さっきからパッとしないな』

俺はしかめた顔を山木に見せて、『別に…何でもないよ』と一言告げると、『何でもないってなんだよ』と、突っ返してきた。

するとYが振り返って叫んだ。

『おい!マリー!山木!何してんだよ!早く来いよ!』

『おー!今行く!』と、山木は大きく手を振った。

『なぁ、日野。俺もやっぱりわざと負けるとか、そんなダサい事考えないで全力で当たって見るよ。横室がああ言ってるんだ。なんか、俺、吹っ切れた』

『行くぞ!』と、山木は俺の手を握ってYの所まで連れていくと、Yは俺を笑顔で迎えてくれたが、素直にそれを受け止める事が出来ないでいた。

『マリー!山木から聞いたか?』

Yは生き生きとした表情で俺に言った。

『何となく、ね』

『そう言う事だ。マリア先輩に何かあったら、俺達で守ろう。もう、あいつらの好きにはさせられねぇからな』

『…おう』

すると、山木が指をさして声を上げた。

『あれ!?あれ、ねむちゃん…と、誰だ?』

そう言って山木が指した方向に目を移した。

『え?ねむちゃん?』とYが言った。

『ほら!あそこ!金魚すくいしてるよ!…知らない人と。行ってみようぜ!』

そう言って山木は人を掻き分けながらねむちゃんの方へと足を早めた。

『俺達も行こうぜ!』とYが言うと、俺もそれに従った。

『おーい!ねむちゃん!』と山木が誰よりも大きい声で言うものだから恥ずかしい。

『あ、山木くん!あ、破れちゃった』

『何してるの?』

『金魚すくいだよ?』と、ねむちゃんは破れた網を山木の目の前まで持ってきて言った。

それに遅れてYと俺も二人の前まで辿り着いた。

すると、ねむちゃんの隣には葵ちゃんが立っていた。

『あれ?葵ちゃん!どうしてここに?』と、俺の素朴な疑問を投げ掛けた。

『私の家、ここから近いから散歩がてらに露店を見学してたの。そうしたら、ねむちゃんとバッタリ会っちゃってさぁ』

『へへ、私も葵ちゃんに会えると思わなくて、ビックリしちゃった』

そう言ったねむちゃんがどこか無邪気に見えて、思わず笑った。

『あ…。横室くん』

『あ…。よぉ』

二人がぎこちなく挨拶を交わしているのを、俺は見逃さなかった。

『え?何この感じ』と、山木が少し不思議そうに二人を見た。

すると、ねむちゃんが口を開いて『ううん。さっきね?浜辺で…』と言いかけた時、『あぁー!何でもない!その話は…勘弁だよ。ねむちゃん』と、慌てながらねむちゃんの口をつぐませた。

『え?え?ねむちゃんと横室ってそう言う関係?!おいおいおい!』と、囃し立てる山木に俺は賛同できないでいた。

『…違う!違うよ!少し相談にのってもら…』

そうYが言いかけた時、俺も何故か山木の腕を掴みながら、止めにかかってしまった。

『違うって言ってるんだから、もういいだろ』

四人が唖然として俺を見てくる。

『日野…?』と、山木も何が起こったのか分からない様子でいた。

『マリー…?』と、葵ちゃんも俺の顔を覗いた。

俺は四人の顔を一人一人見渡すと、我に返って、頭の後ろに手を回した。

『…なんちゃって、冗談だよ』

暫く沈黙は続くも、『ビックリしたー!』と、山木が言うと、皆もそれに合わせて笑っていた。

だが、近頃、Yも俺も、いや、それだけじゃない。駒場だって様子がおかしくなっている。

何かが渦巻いているこの例大祭、その渦中にいる事を知るのは、例大祭の最終日だと言うことに、この時はまだ気がついてもいなかった。

 

あまりにも笑えない冗談を放った俺は、咄嗟に話を逸らそうとしたのかもしれない。

『…そうだ!皆、ちょっと神社行ってみない?』

『え?なんでだよ』と、Yが突っ込んできた。

確かに大して用は無い。俺は『明日、ライヴだろ?だから…』と、言うと『前、参ったじゃん』と、俺の強引な理由をYが一蹴させた。

だが、ねむちゃんと葵ちゃんは『あ、お祭りの時の神社の催し、少し気になる』と、賛同をしてくれた。

『よし、行ってみよう!』

その賛同に山木も乗ってくれた。

『そうか、二人とも今年が初めてだもんね。しゃーねー、行くか』と、Yも渋々ながら腰を上げた。

そして俺達は金刀比羅神社へと、足を赴かせた。

五人で揃いに揃って神社の鳥居まで足を運ぶと、大きな気迫がそこまで響いていた。

『何の掛声だろう』とねむちゃんは首を傾げた。

『あぁ、多分、奉納剣道だろう』

『奉納剣道?』

『ちょっと覗いてみる?』と、山木が指をさしながらも行きたそうに疼いているのが見てとれた。

俺達は社殿前へと足を運んだ。

社殿には白い御帳がかけられている麓で、剣道が執り行われている。

『キエー!』と言う掛声を神社の中、全域に響かせて、選手達は相対をしていた。

『凄い…。大人も本格的にやってるんだ…』と、葵ちゃんは目を丸くさせていた。

『やってるやってる』

『そう言えば山木、暫く剣道出てないけど、こっちはいいの?』

『来年は、こっちに出場してもいいかな。なにせ、奉納相撲でも三連覇してる奴はいないんだから。三連覇したら、暫くは誰も記録を更進することはないだろう。でも…』

『でも…?』

『こうやって真剣に取り組んでいる人達がいるんだ。八百長なんてやっぱり卑怯だ。俺はやはり好かん』

そう言った山木は、何処か勇ましく、猛々しいなにかも伝わってきた。

暫く奉納剣道の気迫を体に伝えていると、『…そろそろ行こうぜ』と、山木が外を指して言った。

神社を後にしようと境内を歩いていると、マリア先輩が大量のチラシを持って社務所から出てきた。

『おっとっと』

『あ、マリア先輩!』

俺がそう言うと、通り過ぎた俺達の所まで後ろ歩きで戻ってきた。

『あら、あんた達。こんな所で何してるのよ』

『マリア先輩こそ何してるんですか?』とYが訊くと、含み笑いを浮かべて此方を見た。

『あんた達、これ、見てみて』

一枚取れと言わんばかりに、チラシを俺の体に近づけた。

それに従って一枚捲り取ると、金刀比羅神社例大祭の大見出しでスケジュールがビシリと書かれてあった。

『これ、大分前に朝刊に挟まってませんでした?』

そう言うと、マリア先輩は首を振って『これね、今日から来る人もいるかもしれないから、その人達に向けて配ってるのよ。それより、一番下見てみて』

チラシの下部に目を凝らすと、俺達のバンドの事が小さいながらも載っていた。

『え?チラシにも…?』

『そうなのよ!明日の夕方五時からって、ここにちゃんと明記されてるのよ!凄くない?去年のチラシには載ってなかったのに』

 Yも俺の持っているチラシを横取りしながら、『え?凄いッスよ!社務所の方々にお礼を言わなきゃいけないッスね!これ!』と、それを凝視しながら言った。

確かにチラシには小さく表記してあるが、それがどれだけ嬉しいことか、それはYと俺とマリア先輩。その三人しか共感する事が出来ないだろう。

だが、ねむちゃんも葵ちゃんも、俺達のそんな姿を見て、笑顔で見守ってくれていた。

この喜びが伝わった気がして、それが少し嬉しかった。

『マリア先輩、手伝いましょうか?』

ねむちゃんがチラシを指しながら言うと、マリア先輩は首を振った。

『大丈夫よ。私のお母さん、例大祭の実行委員だから手伝ってるだけ。それより…その腕…』

ねむちゃんの右腕が包帯で巻かれているのに気がついたマリア先輩に『あ…コレ、大した事無いんですけど…』と、言うと『大丈夫?無理しすぎちゃったのよ。きっと。でもその腕じゃ叩けないんじゃない?』とマリア先輩が言った隣に葵ちゃんがズイッと前に出た。

『その為に、私がいます』

『あれ…?』

『紹介が遅れました。歌名 葵と言います。ドラム、急遽私がこの例大祭だけ担当させて頂きます』

『え!?歌名って…。マリーのバイトしてるって言う…』

俺は一度頷いた。

『そう、じいさんのお孫さん。ほら、前行った時に孫が来るって言ってた…』

『それが葵ちゃんか!よろしくね!こんな人も少ない部だけど…』

『いえいえ!マリア先輩のお話、伺ってます!私、責任持ってやりますから!どうかお任せ下さい!』

『フフフ。頼もしい』

そう言ったマリア先輩が『あ、ちょっと喋りすぎちゃった!また後でね!』と、言いながら大量のチラシを持って坂道をくだって行った。

『…凄い。もしかしたら、沢山の人に聞いて貰えるかもな』と、俺が呟くとYも『あぁ…。こんな事してる暇あったら練習しようかな』と、溢した。

『…っつうか、相撲大会の事』

山木が空気を読まずにそう言うと、『あんな忙しそうにしてたら切りせねぇだろ。ちゃんと伝えるから、心配すんな』と、Yが山木の肩を叩きながら言った。

『それじゃあ、練習しに学校行きますか』

『あぁ、ねむちゃんも葵ちゃんも、いいよな?』

『うん。勿論だよ』

『当たり前!』

『俺も一人で祭り回っても楽しくないから、練習付き合うよ』

そう言った山木にYが、『しょうがないなぁ。あまり見せたく無いんだけど…。特別だぞ?』と、部室に招待をした。

神社は明日の巡礼の準備で忙しない。

祭りは人々の心を花めかせている。

マリア先輩が沢山のチラシを配って来聴者を増やそうとしてくれている。

それぞれに応えるべく、俺達は練習に励んだ。

それは並樹街道に吊るされた提灯の灯火が消えるまで。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?