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ひだまりの唄 23

九月十九日

そんな心の準備もままならないまま、朝が来て、体育祭当日を迎えた。

俺が教室でジャージに着替えていると、Yはあっけらかんとした表情で俺に声を掛けた。

『よう。眠れた?』

ムスッとしながらYを見た。

『なんだよ』

『あれ?なんか…怒ってる?昨日急に部活中断したからか?』

『そんなんじゃないけどさ…。そう言えば、ねむちゃんは?』

するとYは笑いながら指を指した。

俺が振り向くと、そこにはジャージに着替えたねむちゃんが立っていた。

『あの…。昨日はごめんなさい…』

『あ…』

俺は少し戸惑った。

すると山木の声が聞こえた。

『おーい、Y!そろそろ行くぞ!』

『おう!…そんじゃ俺、行くわ!』

Yが、おでこから左手の人さし指となか指を離して合図をし、山木の方へと足を運ばせていった。

それがなんとも気まずくなって、思わず『おい!Y!』なんて、呼び止めようとしても時は遅い。

俺は、ねむちゃんと向かい合った。

その時、鞄の貝殻が、少し揺れ始めた。

ねむちゃんが正面に立つと、今まで募っていた思いが頭から飛んでいく。

何を話そうか少しまごついていたら、ねむちゃんが唇を震わせながら、話始めた。

『…あの、昨日は、ごめんなさい』

ねむちゃんが下に目を配って、そう言った。

『いや、こちらこそゴメン…。そう言えば、体調は、大丈夫だった…?』

『うん…。別に、なんともなかったから…』

『…そっか』

どうしてだろう。録に目も合わせられない。

いつもは会話を弾ませていたのに、何処かしげの違和感が俺を襲う。

それに少しおどついて、ねむちゃんと少し距離をおいた。

すると、ねむちゃんが上目遣いでこっちを見ながら、

『…今日の二人三脚、よろしくお願いします…』

軽く、ほんのコンマ一秒位だろう。頭をコクッと下げながら俺に言ったのを見て、俺もそれに同調してしまい、『こちらこそ、よろしく…』と、頭を下げ返した。

そして、俺も上目遣いでねむちゃんを見た。

頭を下げながら上目調子で見上げてるそれを、ねむちゃんはただただ、まじまじと見つめて、フフっとほくそ笑んだ。

『…え?』と、俺が聞き返すが、『ううん。何でもない』と言って、またもフフっと笑った。

『何だよ。気になるよ』と俺が不可思議にも笑いながら言うと、ねむちゃんは何度も首を振って答えた。

『…ううん、日野くんとこうやってお話が出きるのが久しぶりな気がして…』

そう言われて俺は一気にカーッと顔一体が赤くなるのを感じた。

赤く染め上がった顔を思いきり手で扇いだが、強火で沸点まで到達したやかんに、手で思いきり扇ぐのと同じで、暖簾に腕押し状態だ。

『…?日野くん、何してるの?』

そんな俺を今度はねむちゃんが不可思議に見つめて、俺は思わずもハッとした。

『あ…!ううん!何でもない…!』

俺は慌てて両手を後ろに回したが、よく考えれば隠したい物など持っていない。

強いて言えば、赤面になった顔を隠したかった。

だが、それをするにはどうする事も出来ない。

俺は少しでも隠そうと顔を下に向けた。

すると、ねむちゃんの手が俺の目の前にひょこりと現れた。

俺は面を上げてその手を取った。

ねむちゃんはそれにはにかみながらも、ひとつ、頷くと、俺は羞恥しながらも、頷き返した。

それもどこか、ぎこちない仕草で。

すると、校内のベルが無情にも鳴り響き、俺はねむちゃんを見ながら、ハッと目を見開いた。

『…もうこんな時間か…。一緒に校庭、行こう?』

俺がそう言うとねむちゃんは、笑顔を解してまたも頷いた。

そして握った手を強く引っ張っていたのかもしれない。俺は校庭までの廊下を一目散と突っ走った。

ねむちゃんと手を繋ぎながら校庭に着くと、太陽はかんかんと照りつけているが、肌寒い風が俺を靡かせていた。

それに身震いを起こすとYと山木が笑いながら此方へと歩み寄った。

『ハハハ、なんだよ、マリー。子供は風の子、だろ?』

『まぁ、そんな事言っていられる歳でもないんだがな…』

『Y、山木、いたのか』

『…て言うか、それ』

Yは俺とねむちゃんが繋いでいる手に指を向けて、そう言うと、あ、と、俺もねむちゃんも声を揃えて慌てて手を離した。

『もう二人三脚始めてんの?気が早いよ。お前ら』

『ふん。どうせ優勝するのは俺たちだがな』

山木は腕を組み直してそっぽを向くと、Yが山木の顔を覗きながら、『あれあれ?妬いてんの?』と、からかった。

『ば…!お前は黙ってろ!』

山木はYの顔がふんぞり返る位の力で、Yの首を締め上げると、Yは次第に顔を赤らめて、『やめて…!…死ぬ!シヌゥ~…!』と、山木の腕を何度もバンバンと叩いた。

それに俺もねむちゃんも、笑ってしまった。

『取り敢えず、仲が良さそうで安心したよ』

俺のその言葉にむきになったYが、山木の腕を力付くで振りほどいて、『っふー…!これの何処が仲良しなんだ…!?』と、声を霞めて怒鳴ったが、それが何処か可愛らしい。

そのYの表情が、俺にはどうも微笑ましくもあった。

『それでは、もうすぐ開会宣言に参りたいと思います。各々、クラスごとに分かれて整列してください』

新しい生徒会長がそう号令をかけると、『それじゃあ、行こうぜ』と、俺とねむちゃんを誘導させるそれに、俺達は着いていった。

整列をすると、校長先生が話し出す。

寒い中でのそれは結構堪えるものがあった。

それなのか、ねむちゃんは身体を少し震わせていた。

『…どうしたの?』

俺がそう訊くと、ねむちゃんは俺にしか届かない細々とした声で答えた。

『なんだか、緊張する…』

ねむちゃんは胸に手を押しあてていたのが目に見えた。

『緊張…する?そしたら、緊張しないいい方法があるよ』

『緊張しない…いい方法…?』

『そう、目を瞑ってこうやって』

俺は息を思いきり吸い込んで、息を止めた。

息を思いきり吸い込んだお陰でパンパンに張った胸に、拳を何度もドンドンと叩いた。

まるで、ゴリラみたいに。

『うしっ!』

バンドのライブ前に編み出した緊張を解す方法をねむちゃんに披露するも、ねむちゃんはそれを見てキョトンと目を見開いた。

『こうやれば、緊張は解せる…あれ?どうしたの?』

目を見開いたねむちゃんに俺がそう訊くと、ねむちゃんは目をパチクリと瞬きをして、ふっと、堪えた笑いを溢した。

『やだよ~。日野くん、可笑しいね』

『…え?本当に緊張しなくなるのに…』

『それ、日野くんだけだよ。でも、それ見て緊張、ちょっと解れたな』

顔を真っ赤にして、笑っているねむちゃんに、俺もつられて笑ってしまった。

そんな話をしていたら、いつの間にか開会式は終わって、運動会が始まる狼煙が上がった。

よし、これから運動会だ。

俺はしてもいないねじり鉢巻をおでこにきつく縛る思いで、運動会に挑む。

失敗したくない、ただ、それだけなんだけど。

運動会の種目が淡々と終わっていく。

午前の部の末尾で借り物競争があったが、俺はカラーコーンだったと言うことを、思い出として留めておこう。

昼休憩、俺はいつものメンバーで囲いながら弁当を広げていた。

『昼が終わったら待ちに待った二人三脚だぜ!楽しみだなぁ~』と、Yが握り飯を片手に貪りながら言った。

『そうか?俺は別に…』と、山木は大きい重箱を片手に箸でつついている。

『なんでよ?』

『優勝するの、俺らだから』

『だよなぁ~』なんて、Yも山木も力をまだもて余していそうだった。

だが、俺ときたら日頃の運動不足が祟っているのか、足がすでにガクガクと震えて、お弁当どころではない。

ねむちゃんは隣でハムとレタスのサンドイッチを丁寧に噛み締めていた。

『…あれ?マリー。お弁当食べないのか?』と、Yは俺の弁当に入っている唐揚げを箸で指しながら言った。

『ん?うん…。なんか食欲が…。良かったら、やろうか?』

『お、ラッキー!』なんて、Yは唐揚げをブスッと刺して口に運んだ。

『おいおい、日野。食べないと昼からの種目バテちゃうぞ?いいのか?』

『うーん…』と、箸を遊ばせる余裕もなく、足をしきりと揉んでいたら、ねむちゃんが震わせた目を向けて、『大丈夫…?』と、伺いを立てて、気にかけてくれた。

それに俺は静かに頷いて、『大丈夫。ハハ、普段運動しないからかなぁ』と、俺は足を揉み解しながら、緊張も解すように努めた。

『なんだよ、日野。俺たちまだ高校生だぜ?そんな事言ってたらすぐ腰曲げる事になるぞ?』

山木の説教はいつも的を得ていて言い返せないからか、『…腰じゃなくて、足だし。…って言うか、お前、それ食いすぎなんだよ』なんて、子供染みた言い訳を返す。

『なんだよ、重箱の隅をつつくような事を言うなよ』

それに俺は山木の片手に持っている物を執拗に見つめ続けた。

『…でさ、俺たちは一走目、マリーとねむちゃんは二走目らしいぞ?』と、Yはまたも俺の弁当の唐揚げを刺して口に運んだ。

『一走から四走まであって、一走辺り、五組に分けられてる。そして、それぞれの一等が決勝レーンに立てる。…って事は、ねむちゃんと日野が一等で終われば決勝のレーンに立って、俺たちと当たるんだな』と、運動会のしおりを広げながら山木が言った。

『山木逹はもう決勝レーンに立つ気満々だな…』

『あたり前じゃん!勝つ気が無かったら、そもそもやる気なんて起きねぇっつうの』と、またも俺の弁当箱からたまご焼きをひょいとつついてそれを食べた。

『あ!ねぇ、岸弥くん!どれだけ日野くんのお弁当食べるのさ!ダメだよ』

ねむちゃんが脹れっ面で怒るも、Yは反省の色も見せずに『いや、マリー、全然食べないからさぁー』なんて、今度は俺のデザートである小さいスイカにまで手を伸ばして、それを頬ばった。

『あ!それ、俺の好物だぞ!返せ!』

『…あれ?そうだったっけ?』

『あー!それ、日野くんの…!ダメだよ!岸弥!』

『アハハ』と、俺も山木も笑った。…が、ちょっと待て。

…今、なんて言った?

俺は一度その刹那前に戻り、もう一度聞き返したくなる程だった。

ねむちゃんが人を呼び捨てで呼ぶ所なんて、聞いた事があるか…?いや、無い。

そして、俺も最近、気にかかる所がいくつかある。

確かにこの頃のYとねむちゃんは近しい。最近になってYの口からマリア先輩の名前も出てこない。

でも、ヤツの言葉を鵜呑みには出来ないが、確かに言っていた。

俺の親友が、力になると。

それがYの事なのかは分からない。だが、Yにしか親友と言う言葉があてはまらない。

俺は途方を見て、頭の中がグルグルと忙しなくしている所に、『日野くん、サンドイッチ、一つあげるよ?』と、サンドイッチを差し出しながらねむちゃんが言った。

それに、俺はハッとした。

『そうだよ、マリー!なんか食っとかなきゃ、午後の種目で倒れちまうぜ?』

『お前が言うな』

山木がYに激しく突っ込まれて、Yは大きく笑った。

すると、校庭内に午後の合図が響き渡った。

『よし、これからはマリーもねむちゃんもライバルだな!マリー、ねむちゃん、お互い頑張ろうぜ!』と、Yは親指を立てながら俺に言った。

『それじゃあ、決勝のレーンで会おう』

そう言って二人は俺たちの前を横切った。

すると、ねむちゃんはサンドイッチをラップに丁寧に包んでバスケットに仕舞った。

『日野くん、立てる?』

俺に気を遣いながら、頭を横に倒して様子を伺うねむちゃんに、俺は不意にも目を逸らしながら、『も…もちろん!さぁ、行こう?』と、先に立って、手を差しのべた。

するとねむちゃんは黙って頷いて、優しく頬笑むと、俺の手にそっと、手を置いた。

俺はそれに優しく引っ張って、ねむちゃんを立たせると、真っ直ぐに校庭のレーンへと駆けていった。

もう間もなくだ。

Yと山木が位置について、ロープを両足にきつく結びつけ、スタートを切る事に念頭を置いて、軽く準備運動を始めた。

その姿が優勝者たる風格をも表す様な、威風堂々とした姿に、圧巻すらも感じる。

回りは横室のコールをする女子逹で騒がしい。いや、寧ろ五月蠅い。

そんな中、隣でねむちゃんも『岸弥君、頑張れー!』と、声を張らせていた。

すると、Yと山木がこちらを向き、手を振った。

それに回りの女子も『キャー…!』なんて、大袈裟に騒ぎ立てている。

それより何より、Yと山木の余裕たるや、その様に感服する程だ。

『それでは位置について』

そう言われて、Yと山木はラインに足を揃えた。

『ヨーイ…!』パン!

空砲が空に鳴り響いたと同時に、Yと山木が同時に足を上げた。

一、二と掛声を合わせながら、足並みをピッタリと揃えている。

速い。まるで一人で走っているかの様にも見える位にあうんの呼吸がピタリと合っている。

二人は最早、カラーコーンをいの一番にターンをした。

圧勝とはこの事だろう。Yと山木がロープをぶっちぎってゴールをした。

他の人はまだカラーコーンをターンしていない。

黄色い声がYと山木に浴びせられている中、俺とねむちゃんは目を合わせて一つ頷いた。

『…もうそろそろだね』と、ねむちゃんが足につける白い紐をグッと握って俺に見せた。

それに、俺は一度頷いた。

『それでは第二走者は位置について下さい』

俺とねむちゃんはスタートラインの真ん前に足を揃えた。

そして、白い紐を二人の足を揃えて、きつく縛り付ける。

そこで、今度は山木とYが俺達に手を振りながら叫んでいる。

『頑張れー!マリー!』

『負けんなよ』

俺はそれに頷いた。

『それでは用意はいいでしょうか…』

審判が空砲を高くあげた。

ねむちゃんと俺は位置についた。

『それでは、位置について、ヨーイ…』

パン!

その時、俺とねむちゃんは一斉に足を上げた。

『一、二…一、二』とゆっくりながら足を交互に出す。

ねむちゃんも不自由な足を懸命に、息を揃えて交互に出す。

俺の肩にグッと力を込めて、ねむちゃんは必死に足を踏み出している。

俺はそれを踏ん張って支える。

隣でYと山木が大きく声を出しているが、耳にも入らない位、俺はねむちゃんに息を合わせる事に必死だ。

何度も何度も、ねむちゃんとの呼吸を整えた。

一瞬、辺りを見渡した時、俺逹は二位だと直ぐに感じ取れた。

目の前には、一組しかいなかったから。

だが、前へ前へと足を繰り出すも、中々一つ頭を抜きん出る事が出来ない。

くそ、前の奴の方が大股で歩数を稼いでる。

だが、急に歩幅を変えてしまっては、ねむちゃんが転倒してしまい、危険だ。

俺はこのまま突っ切ろうと闇雲ながら、慎重に足を一歩一歩、前に出す。

その時、強く風が吹いた。

それに背中が押されるかの様に、ドンドンと前に足を踏み出していける。

よし、このいきだ。

するとカラーコーンも目前。ターンを上手く出来ればなんてことは無い。

まだ、二位。だが、まだまだ勝負の行く方は分からない。

そう思ったその時だ。

前を走っている一組が、あろうことかターンをしなければいけない場で、ターンをせず、そのまま前へと走っていった。

係員も慌ててその二人に駆け寄る。

『…スイマセーン!ここでターンをしてくださぁい!』

『…あれ?可笑しいな、しっかりと用意した筈なのに』と、小声で係員がぶつくさと文句を溢しながらカラーコーンを取りに言ったのを横目に、俺はチャンスと言わんばかりに、そこをターンした。

その隙に一個、頭を抜きん出した。

このままスピードを落とさず行けばなんとか一位を取れる。

ねむちゃんと呼吸を合わせる。

すると、目前には白いロープがピンと張っている。

もう少しだ。そう思って一、二、一、二と何度も声を合わせる。

そして、ロープが俺の体一つ分と迫った時、俺はそこに胸を張らせて、ロープを切った。

『ハァハァ…』

ねむちゃんも息遣いを静かにつきながら、『一位…だね…』と、俺を見ながら肩を揺らせた。

『…』

『…』

『『やったー!』』

ねむちゃんと俺は足の紐をきつく縛ったまま、二人で手を取り合い、大きく跳ねて喜んでいると、山木とYが俺達に歩み寄った。

『いやー!ヒヤヒヤしたぞ、お前らぁ~!』

『まぁ、ラッキーだったな』

山木らしい。俺を認めようとはしない。俺はそれを少し突き離す様に、『運も実力のうちだよ。一位には変わらない』と、言葉を捨てた。

『日野もいっちょまえな言葉を吐くな』

山木は靴紐を念入りに結び直しているせいか、俺に目も合わせずそう言った。

『あー…。でもさ!二人もじわりじわりと一位との差に躙り寄った時、スゲー上がった!追い越せー!ってさ!』

Yが興奮気味にそう話すと、山木は顔を顰めながら言った。

『ふん、まぐれ当りで近付かれても、俺達には近付けさせんぞ。何があっても、だ』

『はぁー…。何で山木はそんなに敵対心煽る事言うんだよ…。気楽にやろうぜ。気楽に』

『それは横室が勝負となった俺を知らんからだ。行くぞ』

『…もぉー。山木は本当に困った奴だ…。じゃあ、また決勝のレーンで会おうぜ!マリー!ねむちゃん!』

それになんとも言い返す事ができず、俺はただただ二人の背中を見つめ続けた。

だが、それを和ませる様にねむちゃんが言葉で寄り添ってくれた。

『…日野くん、頑張ろうね!山木くんに負けない様に、頑張ろう!』

その一言に救われて、俺は肩の力がゆっくりと抜けていくのが分かった。

その時、またも静かに風が俺を靡かせてくれた。

四走までの全ての走者が終わって、それぞれが決勝レーンに立った。

俺はただただ固唾を呑んだ。

だって隣には山木とYが足首に白い紐を厳重に巻いているから。

ただ、ちょっと仲間割れをしている。

『いや、山木、そんくらい。締めすぎ…ッテテテテテテ!』

『何を痛がってるんだ、横室。この位縛らないと途中で解けるだろ』

『…いや、最初位の強さで良かったって!これは締めすぎて、血管止まっちまって、足が痺れてきそうだ…!』

『…横室は弱いな。大丈夫。死にはせん』

山木はかなり強きな姿勢を見せている。

それに俺も乗じる様に心懸けようにも、度合いが行き過ぎて、ここまでしたくないと、率直に思った。

『この位で大丈夫?』なんて、ねむちゃんは優しく紐を縛りながら訊いてきた。

『…うん、ありがとう』と、ねむちゃんが優しく縛った所から、背筋すら整えさせられる風が吹いている中、足首から、微かな温もりすらも感じる。

それに俺はただただ鼓動を早めた。

それに胸を抑えて深呼吸をしていると、ねむちゃんが唐突に顔を覗き込んできた。

『緊張…してるの?』

『あ…。うん』なんて、何で緊張しているか分からない俺にそう聞かれて、俺もどう返答しようか、悩みに悩んだ末のこの言葉だ。

こんな時に一番優良な返答はどのような言葉だろう。と、卓越した頭脳すら求めてしまう程、返答した後にも響いて、正直、レース所では無かった。

『それでは準備はいいですか?』と、審判が聞く。

それに、決勝レーンに立たされた四人は、ゆっくりと頷いた。

すると、審判もゆっくりと頷いて、『それでは位置について…』と、声を張った。

いよいよだ。これが鳴ったら運命の走りだし。

『ヨーイ…』

じりじりと足をラインに揃えて、ねむちゃんの肩を、無意識にグッと支えた。

パン!

『せーの…!』

その狼煙で、足を上げた。

『一、二、一、二』と、掛声が木霊する校庭で、勝負を決する時が来た。

息は合っている。が、やはり遅いのか。決勝レーンとなると流石に早い人が揃い踏み。俺達は出だしからケツについている。つまり、四位だ。

そんな事を考えていたら、少し風が強まった。

丁度その時、三位の組が少し急いてしまったのか、転倒してしまった。

俺達はそれを見て、しめたと言わんばかりに、でも焦らないで、息を揃えながらその三位の組を抜き去った。

これで転けなければ三位は確定だ。絶対抜かさせない。

だが、俺とねむちゃんの前にもう二組。その目の前の組は実に安定感のある一組だ。

その組の寸分違わぬ呼吸に、俺達は全く近づく事が出来ない。

だが、差が広がっている訳では無い。このまま歩調を合わせていけば、まだなんとかなる。

そう考えた、その時だった。

またも風が強まって、俺達の背中を押したのだ。

みるみると差が縮まっていく。ねむちゃんもそれに乗じたのか、歩幅を大きく変えたのが感覚で分かった。

なんとか歩調を早めて、二位に躍り出る事が出来た。

よし、着実に順位を上げていけると、そう思って面を上げた。

しかし、やはり山木とYペアは一味違う。

もう既にカラーコーンをターンして、此方に体を向けていたのだ。

二人は大股で、しかも、足を早めても難なく息を揃えて此方へと向かってくる。

そして俺達がカラーコーンに差し掛かる手前、二人は通りすがる時、Yが笑顔で俺に向かって『お先に』と口パクを見せびらかした。

クソ、お腹が煮えくり返る思いだったが、そこはやはり我慢だ。ここで腹をたてては奴らの思うツボ。

だが、この学校で二人三脚を駿足で駆ける事が出来るのは、この二人しかいないと、それは認めざるを得ない。

それとはうってかわって、着実性を見せているのは俺達二人だと、そう自負した。

その自信が俺達の足に乗じて、更に加速をした。

…と、そんな事を考えていたら、カラーコーンをあっと言う間にターンをしていた。

だが、二人は数メートル先にいる。そのたった数メートル先が、遥か向こうに感じる程、その差が歴然としていて、劣等感すら襲ってくる。

そんな時、ふと、ねむちゃんを見た。

ねむちゃんはそんな事を気にも留めず、俺と息を合わせる事に一念を注いでいた。

そうだ。余計な事が頭に過っているのが、この差を生んでいると、そう気付かされた。

ねむちゃん、一緒に行こう。

そう思った時、またも、この体育祭で一番強い風が俺達の追い風となって、吹き荒れた。

フワッと足が軽く感じる。

俺とねむちゃんは大きく足を上げる。

この意気なら追い越す事は容易いと、そう思ったが、それでも中々Yと山木の背中を捉える事が出来ない。

段々と山木とYがゴールテープを目前に差し掛かっていく。

もう終わったと、そう思った。その時だ。

Yと山木が足の自由さを失って、大きく転倒をした。それもゴールを目前にしてだ。

しかも、足に結びつけている紐がしまりあげ過ぎて、二人で上手く立つことが出来ない。

今だ。と、ねむちゃんもそう思ったのか、まだまだ足を大きく前へ前へと繰り出して行くのに、俺もそれに合わせて、大きく前へ前へと出していける。

尚も風が強くなる。

俺は段々と歩数を稼いで、何歩も何歩も、前に前にと、二人の差を縮めた。

二人が漸く立ちあがり、また歩調を合わせる様に『せーの…!』と、掛声を上げる時には、既に横に並んでいた。

しかもゴールテープまで後数歩。

もしかしたら、二人に勝てるかもと、そう思って、俺が大きく歩幅を稼ごうとした。その時だ。

俺達も突っかかってしまい、ねむちゃんが転けそうになってしまった。

『あ…!』と、隣で聞こえた。

俺はそれが視界に入って、焦って手を差し伸ばしたが、支える力も、足に結びつけている紐に引っ張られてしまい、ねむちゃんを支えられ切れず、倒れてしまいそうだ。

せめて、ねむちゃんが地面に叩きつけられる前に抑えないと。そう思ってねむちゃんの身体を抱きながら身体を反転させる。

俺の身体が地面に叩きつけられたが、不思議と痛みは感じなかったが、辺りの騒がしい声援が、一瞬にして静まり返っていたのを感じた。

どうした事だろう。俺は目をつむっていたのを、ゆっくりと広げた。

目の前にはねむちゃんが俺の体の上で目をつむっている。

『ねむ…ちゃん…?』と、声を掛けると、『…ん?』と返事をした。

良かった。どうにか意識はあるみたいだ。

多分これで試合は負けたと、そう思った時だ。

静まった辺りから大きな歓声が校庭を包ませているのが聞こえた。

Yと山木が目前の空を覆うように立ちはだかったと、そう思いきや、手を差し伸ばしてきた。

『完敗だよ。全く…』

俺はそう言ったYの手を握ると、強く引っ張られた。

それに立ち上がると、山木が俺の足に結んでいた紐を目の前に持ってきて、『こんな事、あるもんなんだな…。綽然としないが、負けは負けだ』と、少し悔しそうな顔を浮かべながらも、苦笑いでそう言った。

『…え?…負け…?』

『そうだよ。お前の勝ち。つまり、優勝だ』

一瞬、何を言われているのか、全くもって把握出来なかったが、ねむちゃんに『やったね、日野くん…!よくわかんないけど…。やったぁ!』と、歓喜を露にする姿を見て、俺もやっと実感する事が出来た。

『…やったぁ…。やったぁ…!やったー!』

俺は思わずもねむちゃんの手を握った。

するとねむちゃんもそれに応える様に握り返してくれる。

『あーあー。山木がきつく結ぶから、バランスくずしたんだぞぉ?でも、ねむちゃんとマリーは同じ転けたにしても、ロープをちぎって転けるんだもん。そんな事されたら手も足も出ないって』

『…まぁ、これが日野の言う、運も実力のうちって奴だ。負けを認めざるを得んだろう』

山木とYは悔しそうにぼやいている。

それを横目に、ねむちゃんは嬉しそうに話始めた。

『うん!でもね?風も味方につけられたのかも!だって、風が吹いたから、それに背中を押される様に早く走れた気がするの』

それに俺は笑って答えた。

『あぁ、本当だ。やっぱり普段の行いが良いからだなぁ!』なんて、調子づいた口調でそう言うと、ねむちゃんが言った。

『でも、風に押された時に差を縮められたって事は…私たちにしか吹いて無かったのかな…』

『…え?』

『だって、そうでしょ?皆だって差を広げる事が出来た筈なのに、私たちは差を縮められたって事は、私たちにしか吹いてなかったのかなって、ちょっと疑問だった。でも、そんなの関係無いよね!優勝したんだもん!私たち』

俺はハッとした。

俺は思わず天を見上げた。

そう言われれば、アイツが来るときはいつも風が思いきり吹く。それに通ずる物を確かに感じる。

『もしかして、力になるって…』

だが、アイツが来る気配は感じない。

『…まさかな…』

そう思ったその時、Yが大きく手を振りながらこちらを見ながらこう言った。

『おーい!マリー!表彰式もうじきだぞー!』

『おう!今行くぅー!』

その時、風が少しだけ強く、俺の背中を押したのだった。

体育祭最後の大きな種目である二人三脚も終わって、後は表彰式。Yが壇上に登った。

結果は俺達のクラスが、無事に一位で終わった。

この長い表彰式が終われば、三秋の秋も、もうじきに終わりが来るのを犇々と肌身で感じるのだ。

『二年E組代表、横室 岸弥殿、学年一位、おめでとうございました』

Yが喝采を浴びる中、校長先生から表彰状を受けとると、それをE組に見える様に、掲げながら誇らしく胸を張っていた。

『皆ぁ~!取ったゾー!!』

そう叫んだYが、燦爛と見えた。

それに少しだけ笑みを溢すと、ねむちゃんもYのそんな姿を見て嬉しそうに喜んでいる。

俺はねむちゃんを見ていると、嬉しくも、どことなく、寂しくもあった。

だが、Yが一番最初にその表彰状を持ってきたのは誰でもなく、俺だった。

『おい、見ろよ!コレ!表彰状だぜ?!…やっぱ、最後の二人三脚、一位と二位がE組ってのがでかかったよな~』

『まぁ、二位ってのが気に食わんが…』

急に後ろに立った山木は、まだも不服そうだ。

『…まだ言ってんのかよー。終わった事なんてもういいじゃんかー』

『でも、私逹もラッキーだったな』

『でも、運も実力のうち、だろ?マリー』

Yは俺の肩を強く叩いてそう言った。

『…あぁ、そうだな』

『なんだよー。もっと喜ぼうぜ!優勝だぜ?優勝!』

そんな事を大きな声で喋っていると、体育祭の司会を務めてる新生徒会長が大きく声を上げた。

『えー!まだ表彰式は終わっていません!静粛にお願いします!』

Yは肩を竦めながら『やべ、もしかして俺達…注意された…?』と、舌を出した。

『あー、声でかかったからな。それよりも横室、可愛くないぞ』

『てへ』

『可愛くないぞ』

こうして二年である俺達の体育祭が、静かに幕を閉じたのだった。







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