ひだまりの唄 3
五月二日
待ちに待ったゴールデンウィーク。遮光カーテンから日射しが差しこみ、俺の顔を直接照らした。その眩しさに、俺は目を覚ました。
学校が休みであるほど、ガバッと勢いよく身体を起こせる。早く起きれた。
しかし、そう思っていたのだが、目覚まし時計を手に取ると、既に九時を回っていた。
『…寝すぎた…』
そう思い、くしゃくしゃに乱れた髪を整えに階段を下りた。
『麻利央?ご飯出来てるわよ?食べる?』と、母さんが台所から俺に聞いた。
『あぁ…。後で食べる』と、素っ気ない返事をかましながら、俺は洗面台の鏡の前で仁王立ち。
『よし…』と、両の手で一つ顔を叩くと、霧吹きを手に取った。
俺には髪型に凄く拘りを持っている。
先ず、全体に水が掛かるように出来るだけ高くから霧吹きを噴射させる。全体に水が吹きかかった所で、俺は先ず櫛を全体的に真っ直ぐ、とかしていく。
すると、俺の髪はベッタリと坊っちゃん頭になるのだ。
そして、次はコイツの出番。そう、ドライヤーだ。
俺はドライヤーの「強」を絶対に使わない。「弱」で全体を上から下へ、風を送りながら、櫛で丁寧にとかしていく。
すると、ふわりとボリュームが出たマッシュルームヘアーが完成する。
右に左に顔を傾かせ、納得がいった俺は、鏡の前で二度頷いた。
そして徐に食卓テーブルの前に腰を掛け、手を合わせた。
『いただきます』
今日の朝食は、パンの耳なし、コーンスープに目玉焼き、プチトマトとレタス、その上にウィンナーが三本、並んでいた。
黄色いコーンスープに、軽くパンの耳が顔を出していた。
パンを一かじりし、スプーンにコーンスープを掬い上げる。これがまた美味しい。
パンの耳は苦手だけど、スープに入っている分には問題なく食べられる。むしろ、それが大好きになってきた。
人の思考と言うのは日に日に変わっていく事を実感するように、パンの耳を噛み締め、目玉焼きの白身を先に食べて、黄身をパンの上に乗せて食べると、尚更美味しい。
これぞ朝食だと、自分でも納得出来るのだ。
『『お兄ちゃんの食べ方おっかしいねー』』
小学五年の双子の弟と妹が声を揃えてそう言った。
『ん?可笑しくない。拘りだよ』と、俺は二人に教えた。
『『可笑しいよ。ねー』』と二人は顔を見合わせた。
『うるさい。外、遊びに行っといで』と、二人に言うと、『『はーい』』と、陽気に外へと出ていった。
パンを食べ終え、締めにコーンスープを飲み干すと、『ふー。ごちそうさま』と、再び手を合わせた。
『はい。洗うわね』と、母さんはいそいそと俺のお皿を一通り持っていった。
そして、俺はもう一度洗面台へ行き、歯を磨いた。自室へと戻ると、急に手持ち無沙汰になる。それが大の苦手だ。
『今日は休みだ…。何をしよう…』
すると、インターホンが鳴った。
俺は窓から顔を覗かせると、自転車が一台、停まっていた。
すると、下から母さんの声が階段を伝って、俺の部屋まで響かせた。
『麻利央ー。横室君、来てるわよー』
そう言われて、慌てて財布と携帯、そして上着を羽織り、急いで階段を下りて行った。
『お待たせ』と、言うと、Yが外に親指を指しながら、『外、晴れてるぜ!』と、嫌な位に爽やかに言った。
自転車に跨がり、二人で傾斜を下って行くと、そこから青々しく、壮大な海が目の前に広がる。
その海の上を、渡鳥が鳴き声を上げ、飛び回っている。
『やっぱ最高!』
『あぁ!最高!』
声を上げながら二人で叫びあった。
すると、Yが急に俺に大きな声で訊いてきた。
『マリーはさぁ!音楽と離れるとしたら、何がしたい?!』
『えぇ?!考えた事、ない!』
『言い切るじゃん!』
スピードを緩める事無く傾斜を下って行くと、その青々とした広大な海がだんだんと、大きく壮大になっていく。
『なぁ!Y!こんな見慣れた海でもさぁ!やっぱ間近で見ると、迫力あるよな!』
『マリーはいつもそんな事言うな!』
そんな話をしていると、いつの間にか海岸まで辿り着いた。
自転車から降りると、まだ四月だからか、港風が二人を包み込むように吹き荒らした。
『うわー。風、強いな!』
『うん、すごい。でもさ!気持ちいいね!』
俺はそう言って、両の手を思いきり伸ばした。
『あーあ、昨日は面白かったなぁ~!』
『昨日?何かあったっけ?』
『えー…。部局紹介だよ』
『あー。演奏は楽しかったけど、一番最後は嫌だよなぁ』
『はは。…あんなに黄色い声援をかっさらっといて良く言うよぉ』
俺は笑いながらYを見たが、今日の天気と打って変わって、Yは少し曇った顔を見せた。
『…いいよ。そんなの…。正直、声援はうれしいけどさ、本質を見て欲しいよな』
しかし、俺はそれに首を振った。
『だけど、それも一つのパフォーマンス…大事な事だと思うけどな』
すると、Yは足元の石を一つ拾って、それを投げた。
平たいその石は、海の上を飛びはね、まるで飛び魚のように、元気良く跳ねて行った。
『おっっし!次はマリーの番』
『俺も?!…こう言うの、苦手なんだよなぁ』
すると、足元を確認して、平たい石を一所懸命に探した。
少しもたついていると、そのすぐ隣からピシャピシャと、何度も跳び跳ねる石が、俺達二人を振り向かせた。
それを見て、『…ス…ゲー…』と声を合わせた。
俺達はふと、その石が飛び出した方向をまたも、振り向いた。
するとそこには、髪がふわりと長い女の子が、それをかき分けながら立っていた。
『やったー!いっぱい跳ねた!』
その髪の長い女の子は、友達なのか、他の女の子と、キャッキャと楽しそうな声を海岸いっぱいまで響かせた。
『…風がまだ少し冷たい…』と、Yはそれからわざと気を逸らすように一人言を呟いた。
それに応えようと、俺は近くにある平たい石を拾って、それを横手投げした。
その石はホップ、ステップまではしてくれたが、ジャンプまではしない。
二回跳ねて、沈んでいった。
『あ…』
風は俺に味方はしてくれず、沈んだ石の波紋が空しく広がった。
意識しないように努めていても、やはり意識的に髪の長いその子を見てしまう。
すると、こちらを見て確かにニコッと笑って、またキャッキャと友達の輪の中へと、姿を眩ましていった。
俺は海を見ながら腰に手をかけ、『ま、こんなもんか…』と、言葉を捨てた。
すると、Yが俺の肩に手を置いた。
『…なぁ、マリー。次、次の事考えようぜ』
『次って?女の子?』
『あ?何でだよ。バンドだよバンド』
『…あー。学祭で披露する音楽?でも、決まってるじゃん。校歌独唱だろ?』
Yは首を振った。
『エピローグとプロローグ任されたって事は、二曲目も決めないといけないじゃん』
『あ、そっか…。それじゃあ、マリア先輩がいないと話進まない…』
そう言った矢先、遠くから『おーい!』と言う声が響いた。
『あ、きたきた』
むこう側から、細長い腕を左右に振って、此方まで走って来た。
『あれ…?マリア先輩…?』
『そう。話進めたいからさ、俺が呼んだんだ』
『…事前に言ってくれよ。俺、ただ遊ぶだけだと思ったよ』
俺は自分の服装を改めて見直した。
『ゴメーン!二人とも、待った?』
『いえ!ぜーんぜん!』と、Yは二回首を振った。
『Yから誘ってくれるなんて、珍しいね!』
『…いやぁー…。部局紹介の時、凄く楽しかったから、俄然ヤル気に満ち満ちています!まるで、雪解けのこの海のように…!』
俺はそれに『…調子いいなぁ…』と思っていたのか、口にしない変わりに、口元を軽く緩ませた。
『…て事は、部活の関係で私達を召集させたの?』
『そうッスよー!』
マリア先輩は嬉しそうにニコリと微笑んだ。その姿に、白いカーディガンと、その中から顔を出しているクリーム色のインナーが、より眩しく俺の目に映り、後ろの広大な海に溶け込んで見えた。
…いけないいけない。自分の世界に入り込もうとした自我を、そう言って思いきり引っ張り出した。
しかし、『どうしたの?』と、顔を覗き込んだマリア先輩に、ちょっとビックリして、思わず『あ…。何でもないッス…』と、顔を逸らした。
『それじゃあ、話を進めたいんですけど、何にします?』と、Yが訊いた。
『ハイ!』
『マリア先輩!』
『エーデルワイス!』
『えー。またカバーやるんですか…?それ、前も福祉施設のボランティア用にアレンジした奴ですから、しっとりしすぎて、盛り上がりに欠けちゃいますよ』
『それならマリーは何か案でもあるの??』
俺は腕を組んで頭を捻ると、Yもマリア先輩も此方をじっと見つめて来た。
俺は二人の顔色を伺い、咳ばらいを一つして、徐に口を開いてみた。
『…思いきって、新譜に挑戦する…とか』
『…』と、二人は黙りとお互いの顔を見合わせていた。
『あー。やっぱ、新譜作る時間なんて無いですよね…。…今の無しで』
そう言おうとした瞬間、マリア先輩が『…やって…みよっか』と、Yに言った。
Yはそう言ったマリア先輩を二度見して、『マジッスか?!』と、言った。
『うん…!やってみようよ!今の私達なら、いける気がするの。プロローグでは校歌独唱をやって、エピローグで、新譜を思いきりぶちこんでやりましょう!』
『やれるかな…』と、Yは顔を俯かせた。
『大丈夫!だって、部局紹介であの一体感を生み出せたんだよ?知らない曲でも、乗ってくれるよ!プロローグで、校歌独唱は絶対掴みは完璧に取れる。そこで、エピローグで皆が驚くような、そんな新譜を作ってみようよ!』
Yは少し心配そうな顔を見せた。そんなYの気持ちも分かる。
新譜をやって、盛り上げた事は数える程しかなく、皆が知らない曲で乗って貰えるような、甘い現実では無い事は、もう身をもって実証済みだ。
そんなトラウマが、俺の脳裏に過っているのも無理はなく、Yも、その表情からでもそれが過っているのは十分伝わってくる。
でも、それでも、俺のこの提案を、マリア先輩はここがチャンスとばかり、言わば俺達三人の弱点を払拭させたいかのように、それを推してくれた。
マリア先輩も、新譜で盛り上げる困難を、重々承知しての提案だろう。
そのマリア先輩の情熱が、俺の身体にどんどんと伝わり、心底からそれが、沸々と沸き上がってきた。
『…やろうよ、Y。…ねぇ、マリア先輩』
マリア先輩は自信に満ちたその顔を、大きく一つ、頷かせた。
すると、Yが『あーー!二人の情熱には負けたよ!…やってみっかぁー!』
『よっしゃーーーー!』と、俺とマリア先輩はガッツポーズを高い空に向かって決めた。
『でも、そうと決めたからには本格的に考えて行こうぜ!もう、赤っ恥かくのはゴメンだ』
『いいじゃない。赤っ恥かいたって、胸を張っていい歌を作っちゃえば』
そう言ったマリア先輩にYは、『本当、そんなポジティブなマリア先輩に付いていくのも大変なんですからね?』と、笑って言った。
『でも、提案したのは私じゃないよ?マリーだよ、マリー。私はそれをプッシュしただけだもん』
『それじゃ、マリーがいい曲作らなきゃなぁ~』
『…て、おい。全ての責任を然り気無く押し付けるんじゃない。皆で作ろうよ。皆で…』
海が静かにさざなみを打っている横で、俺とYと、そしてマリア先輩の笑い声が、高らかに響き渡った。
そんな三人で楽しく話しているのも一入、いつのまにか、太陽が海に吸い込まれていく。
その時、Yは時計を見て、『もう、こんな時間か…』と、ポツリと呟いた。
『三人で話をしていると、いつも早く感じるよ』
俺は近くの石を軽く蹴飛ばした。
『ねぇねぇ。二人はいつもこうやって遊んでいたの?』
マリア先輩にそう言われ、俺とYは顔を合わせた。
『そう言えば、いつもこんな時間まで二人で遊んでたよな』
Yがそう言うと、俺も静かに頷いた。
『でも、マリーはいつもちょっとドジだから、追いかけっこしていて、すぐ転けるんだよ。それでさぁ…』
『もういいって!昔の事だろ?必要以上に言う事ないだろ!』
俺は慌ててYの口を手で被おうと、必死に追いかけた。
『アハハ!言わないって。言わないからぁ!』
Yと俺がマリア先輩の近くで追いかけ合う中、マリア先輩はそれを見て、フフッと一つ笑った。
『二人は本当に仲がいいのね。羨ましいな…』
俺とYはそれを聞いて、立ち止まった。
『私、友達はいるけど、二人みたいに親友とお互い呼べるような人、居ないから…。少し、羨ましい』
夕日が刻々と沈んでいく中、段々と風も冷たくなってきた。
すると、Yが二歩程前に出た。
『何言ってるんですか。俺達三人、もう既に親友じゃないッスか』
そう言ったYを、マリア先輩は見た。
暫くすると、顔を俯かせてフフッと笑いながら『ありがとう…』と、言った。
そんなマリア先輩の背中を、夕日が静かに照らしていた。
そのせいなのか、マリア先輩のその笑顔も、少しだけ寂しそうに見えてしまった。
『それじゃあ、帰ろうか!』
『そうッスね!帰りましょう!マリア先輩、近くまで送りますよ!』
『大丈夫よ。岸弥の家と私の家、逆方向じゃない』
『そうッスか?』とYは首を傾げながら俺を見た。
『それじゃあ、マリー!マリア先輩のお家まで送ってくれよ』
それに俺は慌て様『え?!俺?!』と、言ってしまった。
『当たり前だろ?マリア先輩に何かあったらどうするんだよ!』
『私の家、すぐ近くだから大丈夫…』
『ダメッスよ!こんな夜遅くに、何かあったらどうするんですか!マリー、頼んだぞ!』
そう言って、Yは自転車に跨がり、また再度俺に指をさして、『マリー!頼んだぞ!』と、言った。
『あー、もう。わーったよ!』と、俺はYに向かって叫んだ。
『本当、大袈裟だよなぁ』
『そこが岸弥の良い所じゃない』
俺は少したじたじとしながら、マリア先輩に『…家、送りますよ?』と、言うと、マリア先輩は首を横に振った。
『本当にすぐ近くなの。だから、大丈夫』
『すぐ近くなら、送りますよ』
『えー!近くなかったら送ってくれないのぉ?』と、少しからかったように、俺に言った。
『そんな事無いッスよ!』
『本当にマリーはちょっぴり面倒臭がりが出てるよねぇ』と、笑いながら言った。
俺は自覚をあまりしていなかったからか、『そうッスかねぇ~…』と、また頭を掻いた。
『…でも、何だかんだ、『え~』って言いながらでもやってくれるから、頼りになるよ…』
『え?』
マリア先輩は思いきり首を振って『何でもないよ』と、優しく俺に頬笑みかけた。
『それじゃあ帰りますかぁー!』
『あ、マリア先輩、家…』
『いいの!本当に近くだから、気にしないで!』
そう言ってマリア先輩は土手を思いきり駆け足で登り、その天辺までたどり着くと『マリー!』と、振り向き様、叫んだ。
『なんスかぁー!』と、負けじと俺も叫んだ。
『新譜!頼んだわよ!頼りにしてるんだから!』
『えー!』
俺がそう言うと、マリア先輩はニコリと笑った。
夕日に照らされているマリア先輩は、先程とは打って変わり、その笑顔が眩しく見えた。
そして、マリア先輩は手を横に振った。
俺もそれに応えて、横に振った。
そのままマリア先輩は、振り向いて土手を下って帰っていく様を、俺は静かに見送った。
なんだろう。俺は右手を静かに胸を当てると、それとは裏腹に、鼓動が少しだけ早く感じた。
『俺も帰るか…』
そう言って、刻々と沈み行く夕日に向かって、自転車を漕いで行った。
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